可愛がれない紫の上 (PartV)


「今日は泊りになると思うの」

 の爆弾発言は彼女の希望でなく予測のようだった。
 我がままにしては、いつもよりも淡々としている。
 すぐにも悪戯に笑って見せたがその表情も、手塚の目には「しかたないなぁ」といってるように見えた。
 そして、この家に居残るといったわりに、そのまま廊下に出てしまう。

「どういう――」

 ことなのか?
 聞こうとした瞬間、玄関を開ける音、足音が聞こえた。

「……帰って来たようだな」

「そう。そういうこと」

 ここにきて手塚はようやく納得した。
 手塚家では、父も母も……挙句は祖父までもが、例外なく、を可愛がっているのである。
 加えての両親側は放任主義と来ている。
 ともすれば……
 ――コイツが言わなくても当然……
 廊下手前で押し問答するより先に、

「あら、ちゃん来てたの?」

 母は音もなく現れた。
 時おりこういう人間ばなれしたところに驚かされている息子である。

「あ、はい。食事を作って貰った後、心配なので送りに来ました」

「あらあら……」

 うふふふ。
 にこやかに笑う二人がおっかない、と思う手塚息子である。
 いや事実仲良しなのだが、会話のテンポについていけないのだ(少なくとも国光は)
 ――そもそも送られるべきはであって、俺ではないだろう……。
 そう思うも関の山。
 ここまできたら後の祭り。
 母はのうのうとのたもうてくれる。

「なら泊っていきなさいな。用意はあるわ」

 何故ある?――と聞きたい手塚国光。職業=学生。
 
「え、でも悪いから……」

 嘘付け(そんなこと思ってない癖に)――と叫びたい手塚国光、以下略。
 ――確定だな……
 呆れた顔でを見やれば、彼女は「でしょ?」と目配せして、その後「お言葉に甘えて」と手塚母に向けて笑った。
 どうせ、この後押し問答をしたところで、彼女は少女染みた部分を残す自分の母に叶わず――挙句は自分からに「すまないから泊ってやってくれ」と言い出す羽目に陥ることを、手塚は重々承知していた。
 この年齢でお泊りはどうだろうと思うが、同じ部屋にしろだの襲うなだの可笑しなことに話を持っていかれない分まだましだ。
 手塚はひとりごちて、くるりとUターンした。

「じゃ、私、部屋にいってるから後でね?」

 何が後でか分からなかったが、彼女の言葉に取りあえず頷くと、どっと疲れが出た。
 が……これだけで終わるならではない。
 波乱はこの後に待ち受けているのである。

 *    *  *  *  *  *  *
 予想の範疇だったが、母は客間をに宛がい、「不安だから」だのとわけの分からない理由をつけて、息子に、横の部屋――応接間で寝るよう指示を出した。
 手塚は先ほどが言った「後で」の意味に気付けなかったことを後悔しつつも、今更逆らっても無駄だということは当に飲み込めていた。
 持ち物は特になし。
 シャワーを浴びた後で、少々髪は濡れていたがタオルを被っているから問題はない。見られて困る姿でもないから、寝巻き代わりのさむえで部屋を出る。
 自室から、客室を通り、居間に入る。
 通りすがりに察するにはさっさと部屋を占拠している様子だった。
 ――普通は、こういう場合大人は若い男を近づけないものじゃないのか?
 思うが、直接母に文句をつけて、自ら墓穴を掘りたくもない。それこそ格好のからかい材料になってしまう。
 ――自分が無口になったのは、思えばこの「言っても無駄」という諦めが切欠だったのかもしれない。
 手塚はそんなことを考えた。
 まあ、それも実のところ、横の部屋から聞こえる音に悩まされない為の言い訳に過ぎなかったのだが。

 しゅる……
 着物の帯を留める音が聞こえる。
 寝巻き代わりに母が渡したのだろう。

 しゅっ……しゅるり……

「…………」

 防音にしろとは言わないが、この壁、薄すぎやしないか。
 着替えている当人の鼻歌もまじるが、これは心臓によろしくなかった。
 手塚は布の擦れる音に、確実に自分の心拍数が上がっていくのを知り、眉根を潜めた。
 渋い顔のまま、敷かれた布団に腰を落ち着けようとしたとき、

「……ね。起きてる?」

 が声だけで尋ねてきた。

 しゅるっ……

 そう器用ではない性質だ。
 前もそうだったが今度も(もう大分たつとはいえ)うまく着られず悪戦苦闘してるにちがいない。
 それならばわざわざ話しかけてこないでくれ、と言いたいが何とか堪える。
 ――焦っていると思われるのは何故か癪だ……
 変なところで古風(OR鈍感)なのが手塚国光という男だった。
 
「ああ……」

 しゅっ……

「んー……帯が上手く行かないんだけど……」

「………」

 だからどうした?――と言いたい。
 しかし、言ったら最後「やって?」などと、彼女ならば言い出しかねない。
 
「んっと……あ、出来た」

「そうか……」

 よかったな。 
 その言葉に手塚が心底安心したのは言うまでもない。
 しかし、「直してくれ、といいたかっただけで後は何もない、という毎度のパターンでもなさそうな様子を、声のトーンから察した為、一応続けて尋ねた。

「それで?……どうかしたのか?」

「えーと……」

「何か不都合でもあるのか?」

「ううん……」

「ならば寝ろ」

 そういうと返事はなくなった。
 次いで、少しだけ、何かまた布がずれる音がして(恐らく布団だろう)その後、

 かちゃん

 かすかな音と同時に電気も消されたようだ。
 ――寝たか……。
 ほっとした反面、さきほどの「らしくない」様子が気にかかる。
 それでも、覗くわけにはいかず……やがて、手塚も布団にもぐりこんだ。

「……………」

 だが、一分もしないうちに気付いてしまったことがある。
 ――寝てないな……。
 気配がするのだ。
 手塚は家の関係(祖父の関係)もあって、またテニスによって培われた感覚のせいか、相当気配に敏感になっていた。
 わざわざ気配を殺してなどいようはずもないの状態ならば、何となく壁越しでも伺える。
 オマケに彼女とは長い付き合いで行動のパターンも流石に分かっていた。

、どうした?」

 がらっ。
 一枚しかないドア――というか、ふすまが開かれ、顔が覗く。
 は不思議そうに小首を傾げた。

「起きてるのばれた?」

「あのな……」

 ――頼むからしめろ。
 言いたいが無理そうだ。
 彼女は既にふすまを開けてしまっているし、さらには乗り出すでもなく、一歩退いたところで何やらもごもごと呟いている。
 ――不可抗力だ。
 手塚は誰にともなく脳裏で呟いて、やがてが「ふう」と深呼吸してから、再びこちらに向き直るまで辛抱強く待った。
 はなかなか本題に入らず、うーんだの、えっとだのを繰り返してから決意したように真っ直ぐ手塚を見た。

「あのね、国光」

 その刹那、長年の勘が手塚に語りかけた。
 曰く――これはマズイぞ、と。
 そして、案の定、彼女は、

「今日一緒に寝ちゃ駄目?」
 
 爆弾を投下した。

 *    *  *  *  *  *  *  *
「なっ……」

 ―― 一瞬にして随分のことを考えたような気がする。
 数秒の空白の後、手塚は分析した。
 が、ソレを無駄にするかのように、

「……あのねぇ……国光、冗談だってば」
 
 呆れたの声。
 場はそれで納まると思われた。
 だが……

「ふざけたことをいうな」

 ――パターンにひっかかってどうする?
 反省をしながらも手塚はむっとした。
 どうしてか無性にむしゃくしゃするし、鼓動は収まらないしで大変だった。
 寝転がったまま、其方を向いていた姿勢を変え、彼女に背を向ける。

「……馬鹿」

 の囁くような言葉が耳に届いた。

「……意地悪」

「ふう」

 嘆息。
 やむなく、起き上がり、そちら側を向く。
 スライド式の壁(ふすま)一枚隔てた意味がないような距離に状態。

「何を考えてるんだ、お前は……」

「何も考えてない」

 は布団から出て、かなり接近していたが境界線は越えていないので怒るに怒れない。
 それでも、

「怒るぞ」

 手塚が告げた声は本気で苛立っていたし、

「もう怒ってるくせに」

 ――仕方ないだろう。怒らせるようなことをするのは誰だと思っているんだ……
 イライラが益々募り、布団から出た。
 途端、

「冗談でも国光にしか言わないから、いーでしょ?それで」

 そういわれた手塚は、自分の周囲だけ時間が止まったように感じて、凝固する。
 ――どこで覚えてきた文句だ。
 眩暈を覚え、寝込んだふりをしようかと思ってもそれ以上に頭に血が上っているようだ。
 顔がかっと熱くなり、胸の辺りがむかむかした。
 ――軽々しいことを……。
 馬鹿か、こいつは。
 そういいたくなるのを抑えて、精一杯真剣に言う。

「俺にはやめてくれ」

「……ひどっ」

「酷いのはそっちだろう」

 もう自分でもそれを口にしているのかどうなのか、手塚には分かってはいなかった。
 ただただ本気で止めて欲しいと願っていた。
 それだけは何が何でも勘弁してほしいと。
 ――頼むから近づかないでくれ……
 切実なのが何故なのか、自分でも分からないまま手塚は必死に色々な理性に歯止めをかけているようだった。

「ね。そっちの部屋いっていい?」

 気付かないは、能天気に言うけれど。

「あのな」

「眠れないの」

「嘘をつけ、さっきまで寝てただろうが」

 ――嘘寝でも、出来るならそうしてくれろ。
 無為なことを言いたくない。
 不毛な言い争いもしたくない。

「……駄目?」

 の声は次には涙声になっていたけれど。

 手塚は、「演技では?」と疑った。
 そもそも、最早境界を越えて側に来すぎた彼女を意識しないようにするので精一杯だったせいで、感覚が麻痺していたのかもしれない。

「今度は何をふきこまれたんだ?」

 だから、それを追及する方が大切で……。

「……ばれた?」

「また不二だろう?」

 ついつい、怒りにまたも不二の名前を出して……。
 ――これではまるで嫉妬してるみたいじゃないか。
 鈍感な青少年は、自分に愕然とした。
 しかしながら、驚いたのはものようだった。
 手塚のすぐ目の前まで接近していた彼女は目を見開いて「違うよ」と訂正を入れる。
 直後、が弱く笑った顔を、はっきりと見て、三度は手塚は硬直する。
 オマケに、彼女と来たら、

「そんなこと不二にきかなくたって……」

「?」

「……もういい。寝るね」

 さっさと方向転換をし、向こう側に戻ろうとしているではないか。

「そうか」

 口では同意したが、手塚はガラにもなく焦った。
 は今度こそいつもどおりの面倒くさそうな調子で、「寝るって……」とぼやいたが、手塚は先ほど――母が戻る直前のように、ほとんど衝動で――

「……」

「だから、手離して?」

「……そうだな」

 白い手首を掴んでいた。
 
「手」

 オマケに彼女の意見には返事をしながらも一向に離す気配がない。
 それからふと思った。
 ――……そう、なのか。
 一つの過程が脳裏に浮かんで、また消える。
 答え合わせは簡単だった。
 
「……すまない、……」

 「わかればいいのよ」といいかねないを手を引き寄せて、

「離せないんだ――」
 
 抱きしめてしまえばいい。

「くにみっ……」

 あとは物凄く楽だった。
 ――答えなんて最初から……。
 そう。分かりきっていたのだから。

「頼むから不二には近づかないでくれ」

「からかわれたくない?」

 「抱きしめたままの体勢で、大の男が泣きそうになりながらまでいうことか?」などとボヤクにはまだ告げられないけれど……
 手塚はようやく気付いた温もりに、

「それでいい」

 ほっとしたように目を閉じた。
 解釈は彼女に任せて、まだ本当のことをいう勇気はなかったのだけれど。

 
END



どこまで続くのだろう。まあ気ままに。

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