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事件は放課後に発生した。
練習後、いつものように手塚は部室を後にした。
ただいつもと違うのは頼まれた書類をとりに、生徒会室によることだ。
部屋の中はがらんとしていた。
「……?」
「ちょうど先生に頼まれたの。これでしょ?」
暗い部屋の中にいたのは彼女だった。
電気がついていないのは、恐らく場所が分からなかったのだろう。
ここのスイッチはタンスの影に隠れていて、よほど使い慣れている人間でもない限り気付けないのだ。
「ああ」
差し出されたプリントを前に、手塚はといえば、昼と朝、ついでに昨晩のこと脳裏にこびりついて離れず、ぼーっとしていた。
日ごろ、遊ばれやすい手塚だ。またからかわれるんじゃ……と危惧する感覚は正しい。だが、はそんなつもりはないのか、演技にしては自然すぎるほど自然にプリントを手塚の手の中に収めさせ、
「さ、帰ろ」
と、素早く生徒会の机の鞄を手に取り、先に歩き出す。
――もしや。
手塚はふっと触れた指先の冷たさと照らし合わせ、はっとした。
「待っていたのか?」
「ううん。ついで」
すたすたと歩きながら言う彼女に付いていきながら、ふと思う。
――それにしても待っていたことに違いはないんだが……。
それにしろ言い張るだろう予測も簡単につくので、手塚は追求は止めておくことにした。
部室とは逆側の門の方に彼女は進みだす。
――もう皆も帰宅している頃だしな。
一緒に帰ることを断わる理由も、わざわざ了承する理由も自分達にはない。
こういうとき、幼馴染でよかったと思いつつ、半歩だけ後を追った。
―― 一緒にいる理由があるのが嬉しいなんてにしれたら問題だ……。
考えるだけで自然と表情が緩む。
手塚は黙っての後をつけていたが、機微に鋭い彼女に立ち止まられ、「ん?」と好奇の目を向けられてしまう。
「何だ?」
一応憮然としてみせると、
「今日は仏頂面。加えて無口?」
「誰がそうさせている?」といいたくなるような返事が戻った。
それでも手塚の機嫌がいいのは、がいつもより数倍増し可愛く見えるせいだった。
――ただ自覚しただけなのだが……。
そうとは思うが、どうもの様子がいつもと違って見えて仕方ない。
――む?……待てよ?
そういえば、と手塚は気付いた。
朝から一度も目を合わせてくれないのだ。
――からかうとき以外は……。
すると、ふと、
「ねぇ聞いてる?」
今にも零れ落ちそうな瞳が、こちらに真っ向からぶつかった。
――これか……?からかわれるというのは……。
どうせこれも演技だと、そう思ったのだろうか。
それとも、ただの衝動だろうか。
刹那、手塚はの腕を引き寄せて、「?」と無防備に首を傾げた少女の唇をいきなり奪っていた。
「っ」
あまりのことに、息継ぎも身じろぎも忘れるを、抱きしめられるだけの力で抱きしめて自分の腕に閉じこめてしまう。
一瞬、離したその隙間、泣きそうな彼女の表情が見え、同時に唇に綺麗な髪の先っぽが触れる。
――邪魔だ。
優しく髪を払い、撫で付ける。
すると、は目じりを掻こうとした。
「擦るな」
言うと、びくりと震える。
ふと、不二の言葉がまた耳に届いた気がした。
――『からかわれるのが癪なら、ちょっとは抵抗しないと……』か。
ともすれば、手塚は推測したのだ。
すなわち、『はまだ俺をからかう気でいるに違いない』と。
抵抗――とはいえ、避けるだけでは駄目だった。
――ではどうする?
泣きそうなふりで、誘うをやり過ごし今までどおり無視するか?
はたまた……
かくして、手塚の応えははじき出された。
正しいか、正しくないかは別にして……
手塚は目じりを舐め上げ、いつもなら逆に迫ってくるはずのの言動に多少疑問符を投げながらも何をするでもなく……
「誘惑するんだろう?」
仕返し、とばかりに唇に噛み付いた。
そして、にやりと笑ったのだが――
「……ひど……そんなこっ……」
の顔が辛そうにゆがむのをみて、ようやく過ちに気付いたのだった。
――……まさか……
ここまできても、今日の洗脳(BY不二)は相当らしく、「また騙されるのでは?」と思うあたりはどうかと思うが、今度こそ、手塚も流石に実感する。
涙こそ流さないものの、の身体ががたがたと本人の意にせぬだろうところで震えているのだ。濡れた唇もエロスティックながら、それ以上に青ざめて見える。
――怖がらせてしまった?
動揺が走る。
自分はいつも心臓の鼓動を勝手に高められて、それで怒っていたのだが……こんなに壊れてしまいそうなほど鼓動が早いのも、胸騒ぎがして気持ち悪いのもはじめての経験だ。
手塚はそのまま腕の力を少し抜いてやり、髪を梳いて、「平気だ」と耳元に必死で釈明をしようとするが、の方は本気で怒っているのか――あるいは呆然としてるのか、反応が薄い。
「……ズルイっ……」
弱弱しく跳ね除けられて離れると、
「嫌い」
一番ききたくない一言が来た。
――ふざけていたわけじゃないのか……。
すなわち、勝手に解釈して、彼女に誘われたということになる。
手塚はものすごい自己嫌悪に陥った。
『もあれで子供だから、気をつけてあげてくれないかな。仕掛けてるつもりで、逆に手塚に食べられちゃ可哀想だろ』
『仲間の犯罪はごめんだから……』
別の意味でリアリティをもって、不二の言葉が蘇る。
元凶が彼だと思う反面、それ以上に不二の方がのことを分かっているのでは?という現実に打ちのめされる。
それでも……
「離して」
昨晩同様、どうしても最後まで話せなかった手だけはそのままにのぬくもりを感じとっていて……
「だから、手離して?」
「すまない、――」
謝罪の言葉は幾らでも出るのだけれど……
――絶対に離せない……。
思いは伝えられぬまま、それどころか昨日は言えたことまで口にできないまま――
手塚はただただ彼女を引き寄せた。
――嫌わないでくれ……。
どんなに理不尽なことを仕掛けられても、仕向けられても、
紫の上のごとく彼女を育ててきたこの源氏は、彼女にだけは適わないのだ。
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