【SIDE 柳蓮二】
ドアが空いても、特に驚いた調子を見せないに、これは根が深いなと思った。
精市が冗談でも別れを口にし……丸井ブン太がやり場のない怒りをあらわにしたのは昨日の放課後だ。
――自分の出番は心得ている……
そもそも幸村と関係する者が彼女と顔をあわせること自体が今は困難になっているのだ。「分かりにくい意地っ張り」な精市には、自分から動くことが(したいくせに)出来ないときがある。
……そうだ。がらみ、のときだ。
の場合が常に折れてくれるから事なきを得ていたが今回は違った。
部室やコート脇はもちろんあれだけ通っていた音楽室にすら出没しない彼女を探して、現に自分は教室、図書館、音楽室……とまわった挙句にようやくここ(=生徒会議室)にたどり着いたのだ。
「鍵がかかってると思っていたが……」
会議室は普段からあまり人の寄り付かない場所で、生徒の管理ですらなかった。
それでも生徒会会計を勤めて来た者にはやはり馴染み深いのだろうから……と一か八か踏み込んだところ、はあっさりと内側で昼食をとっていた。
生徒会メンバーの中でもごくわずかに支給された「鍵」の存在を精市は知っているのだろうか。
それよりも、ここがの所属場所だと分かってるのだろうか。恐らくは気付いてないんじゃないだろうか。
がテニス部を尋ねてくることはあっても、精市が彼女を必死に探す様は付き合い始めてからこの方見たことがない。束の間の秘密基地を楽しむようにぼーっと弁当をつつくをみていると、彼女の怒りはもっともに思えてきた。
「……聞くまでもないが……怒ってる。違うか?」
さらに、こんなに彼女が感情を露わにして怒る相手は彼以外ありえない(コレも言うまでもない)
「忠告はしたんだが」
「言っても仕方ないことってあるから」
「ああ」
いいの悪いのでいったら今回「も」確実に彼が悪い。
――に原因はないわけでもないが……
いや、ないな。
呟いて大人しく口を開く。
「恵まれすぎてるのも悲劇だな。……まあ、こちらのことは気にしなくていい。たまにはあれも悩んだ方がいいんだ」
「彼女が彼に(当然のように)してくれてきたこと」をちゃんと考えられるようになるのなら大した進歩だ。
ただ……
「――勝たなきゃダメなのかな」
いきなり呟かれた言葉が予想外だったから――少し戸惑う。
「いろいろなことが好きで少しずつ楽しみたいんだけど、何か一つ極めたいとは思わなくなったから」
ああ、ピアノの話かと、ぴんときて、口をつぐんだ。
正直なところ、自分も、彼女が精市を選ぶまでは彼女は彼女であっちの道を究めるものだと思いこんでいた部分もある。
俺にとっても都合のいい想像ではあったが、勝手に幸村と類似したものを感じていたのは事実だ。そんな彼女の口から出た言葉だけに意外だと思った。
「傲慢でも自惚れでもなくて……してきたことと周りから、ある程度はいけるって分かってる。ただ一番を目指すとかよくわかんないんだよね。欲しい音を手に入れたいのはあるんだけどそのことで他の時間を失いたくない」
――つまり?
「幸村精市を放って没頭するのは無理」
惚気られた気がしたのもそのせいだ。
だが、視線を向ければ思いの他真面目な顔があった。
寸でのところで出かけたからかいのセリフを呑む。
「好きで頑張れたのは本当でも私の演奏は逃げ場だったかも。側にいないのは結構寂しかったし」
「誰が」と述語を抜かして言うのは癖なのだろうか。
ただ……もし仮にそれが茶化した響きを持っていなかったとしても、虚を突かれた。
「悪かったな」
その一瞬、俺は独り善がりな後悔をした。
テニスに取られたと本人が思わずとあまりに距離を置いた幼馴染みたちに切っ掛けくらい与えられた自分(ポジション)を知っていた。
そうしなかったのはうまく言えないが――軽い嫉妬だ。どちらにともつかない。二人がお互いを一番にするさまを美しいと思ったから、だからこそちょっとした好奇心で放っておいても保つのか密かに試したいと思った。
――子供の思いつきであっても悔やむべきこともある。
寂しくて音楽に身を置いたは、運よく本気になり、一流になりえる場所まで到達したのかもしれない。だが……
「結果的に味方どころか邪魔をしていたようだ。たまの休日もつぶさせてしまったからな」
彼女を気にする精市に、「違う場所で励み合うのはいいな」と余計な牽制を加えたり、言えばかえって近付かなくなるタイミングで放っておいていいのかきいたり……とかく俺には馬に蹴られそうな過去があって――
――自分の怪我(挫折)よりが堪えたのは幸村精市という男の不在か……
ただ距離が遠くなり、お互いが一番キツイ時期にそばにいられなかった真実が自分を苛んだなどと彼女から告白されれば……こっちの片が汚れきった自分に耐えられなくなりそうだった。
何せと来たら、状況や周囲など微塵も気にせず……ただ近寄らずにいた自身を悔やみ続けるのだから困る。俺が多少意図的に遠ざけたとここで罪を告白したって気にはしないだろう(その純真さがかえって辛い)
「しっくり来なかったんだ、競い合うの」
「……ああ」
「誰かに向かって演奏してたい。本当は違っていて――鍵盤に手を置けば何も見られなくて、結局【弾く】のに必死になっちゃっててもさ。私我が儘だからな」
精市に見てもらえないのはなんか寂しい、と。
ただやっぱり近くにいたいなんて誰が言うと思っただろうか。
幼馴染だ、幸村の特別だ……と勝手に決め付けて、俺こそが彼女の本質をみていなかったのかもしれない。
「ああ」
頷いた。
惚気だろうが愚痴だろうが聞いてやることが自分の役目に思えた。
彼女は鞄をとり、帰る支度をし、自分は彼女が何を言おうと部室によろうと決めて鞄の止め具を閉める。
特に意味はないが途中まで着いて行く意思表示にはなるだろう。
たんたんたんと拍子をとって、は感慨なさそうに口にした。
「弾きたくなればひく。多分インターバルがいるんだ。だから、また始めるかも。でもそのときは、王者の孤独なんて分かったふりしないし、巻き込める範囲で、精市の隣りで弾くよ――」
「好きで取った休暇か」
「今一番したいのは、自分勝手な思いこみでも、そばにいなかった頃の埋め合わせというか――ただ王様の隣りを堪能することというか」
王様は好き勝手にしてていいし、私は好きで選んでここにいる。
言い切るは負けん気の強い精市に似た空気を持っていた。
皆のイメージする幸村のお相手は王妃というよりむしろ女王様な体質らしい。
守られるより護衛を無視して戦いにでるだろうタイプだ。
「なのに……なんでわかんないかな」
周りが尽くすタイプと勘違いしても精市には通じると思ったのに。と、聞こえた。
――予測は正しい。だが精市はに苛立っている。
そして俺が理解してやれというべき相手は精市であって彼女ではない。
「お前の望みは精市だけか」
「だけじゃない。よくばりだから」
――そうは言っても、確かに従順に見えるからな……
にとっては自然なんだろうが、困ったことにそれは大人びすぎてもいた。
俺にはようやく真相がのみこめてきた。
精市が気付いたのだ。
と自分を観察する他の視線に。
自分が無理やり言うがままにさせてるんじゃなくても、簡単に自分のために動いてしまうに。
――従順なんかでないはずのが簡単に束縛されているらかえって不安になっているんだろうが。
大将がそんなザマじゃ格好着かないぞ。
俺も、にこの事実を告げることはできても、今「答え」に気付けてない本人に何ができるでもない。
だから……これ以上踏み込むことをやめた。
ここからは二人の領域だから。
――違うな。それは表向きの理由だ。
裏は……簡単だ。
俺とて悔しいこともある。
もしもう少し俺が馬鹿正直であるか、対抗心がなければ、口にしただろう。
天才の領域――極めようとしなくとも、恐らく極められてしまう人間だからこその領域があるのかもしれないという推測。
その上に努力があることは言うまでもないが、も……間違えなく天才型の人間であり、仮にが彼女のいう「ぴかいち」でなくとも、才能に嫉妬し、努力しても超えられぬ者もいるに違いないことは分かる。
そしてそれは精市も然り。
ただし、精市は上を目指すことを楽しみ、はそんな姿にギャップを感じて新しい道で進み始めた。
――分かってやれるのは、お互いだけということにしておこう。
……そうだ。
推測にしか過ぎないと、自分でも思う。
ただ、どうしてその境地にたどり着けるか。
俺は言葉を持てずにいる。
本当に今の……あるいは幸村という男の考えを理解できているのだろうか。
不安があった。
もしかしたらそれは天才でなければたどり着けないのではないかという……愚かな、わずかな予測。
3パーセントにも満たないその予測に、揺れて――結果今回もその二人に踏み込みそびれる。
守ると決めたのに。
* * * * *
だがそれでよかったのかもしれない。
確かに、この後、ろくな手助けができなかった自分は、もはや抑えられないんじゃないかと思われる「冷戦」を目にする。
それでも、その後にはちゃんと……。二人が特別だと思いあっている光景こそが安らぐ自分のポジションを痛感できるようになるのだから。
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