【SIDE 】
精市と会話を避けたのは拗ねたからみたいなものだった。
本気で関係を切ってしまうつもりはなかったし、そうなるとも思えなかった。
もし一度でも「諦められてしまったら」と不安になっていたのなら、それは蓮ちゃんと話したせい。
――精市が何を求めてるのか、わからなくなったから……
けど、今、すくなくとも私ははっきりしてる。
別に彼がテニスに没頭しててもそれでいいと思えるのは、私がピアノを諦めてテニス界の将軍に付き従うと決めたからじゃない。
蓮ちゃんと話したとおり、本当精市のそばにいるのは『今』だけであって……しばらくしたらきっとかわるんだろう。
――それとも、私も何かを極めようとしなければそばにいられないんだろうか?
自問自答する。
「……ごめん」
分からないけどすくなくとも私は……
ふっと気付いたことがあって――だからこそ、「彼」の声には応えられず、口を開いた。
――もし精市の側に離れるとしても、あくまで「心がちゃんと繋れた後で」の話で……
もし、精市がピアノでもなんでも上を目指さない私を嫌いだというのだとしても
変わりようがないのだ。
「二者択一だとしたら応えは一つなんだ」
だから、謝るしかなかった。
もし精市にテニスと私の二つが与えられたなら捨てられるだろう。
でもそんなことだけはないと思ってる。あいつはあれでわがままなんだ。だから絶対一つなんて選ばない。選ぶなら二つともだ。
けど、私は今余裕がない。
「だから一つだけしか無理なの」
何年もないがしろにした、一つを選んだつもりで切り捨ててしまったもう片方を大切にしたい。
きっと、通じはしないだろう。
それでも、彼は頷いた。
「いつか戻ってくるのなら」
それまで待つ。
そう告げる、彼に応えられる日は来るんだろうか。
* * * * *
「あ、えっと……もう弾かないんですか?」
聞かれたのは、気まぐれで尋ねたピアノ教室でだった。
ここには、本気でコンクールを目指す人たちだけじゃなくて、弾くことが好きで好きで仕方ない人が溢れてて……だから、舞台を降りようと決めた後もご厚意に甘えて先生とお茶しにきてたりする。無料レッスンよ、って笑ってくれる先生と、一匹の猫はテニスを見に行けないときとか、暇な時とか……ちょっとした休憩の場所なのだ。
そんな中で、二週間ぶりにレッスンにきたという彼は突然私にむかってそういった。
先生もぎょっとしてる。
控え室を開くなりこれだから無理もない。(ついさっきまで彼はバイオリンを弾いてた。ピアノから乗り換えたといってたから今日はたまたま挨拶がてらちょっとピアノをいじってたんだろう。私もよくやるから分かる)
聞きなれた質問だったけど、知らない人だったから目をぱちぱちしていると、先生は「鳳君よ。覚えてる?貴方の前のレッスンに入ってたでしょう」と苦笑した。
突然の訪問で教えられなくてごめんなさい、その薄茶色の上品な貴婦人の目に訴えられると文句はいえない。
「ごめん覚えてなくて……」
「い、いえ……あ、俺の方だけ知ってて……よく先生と話してて……」
――言いにくそうに「ファンなんだ」って言われても……
私のほうだけ知られてるのは気分が悪いものなのだ。
昔の名前というのはちょこっとだけそっちの人には知れていて、怪我をした後……本当一部、関東圏の関係者だけだけどいろいろ言われたのだ。
ファンだの続けてだの、そんなこと言われるにおこがましいレベルなのに、と思い続けていた私は同じ教室の子ともあんまりあいたくなくてわざと人のいない時間を目指して訪れているほどなのだから……分かって欲しい。
「挨拶か名乗るかしてくれると嬉しかったかも」
――でも……普段なら身構えるんだけど。
にらむどころか笑ってしまったのは彼が真っ赤になって下をむいてるからだろうか。
図体はでかいのにどうなんだ?と……精市あたりにはからかわれそうな年下の子(とてもそうはみえないが一学年下らしい)はばつが悪そうに、「鳳です」と告げた。
「……氷帝?」
聞きなれた名前にふっと見てみれば、制服が思い切りあの学校のもので、納得する。(どおりで上品なわけだ)
「あ、そうです」
ちなみに、学校を知ってたのは音楽で知られてるせいだったりする。
でももっといえば、鳳長太郎という存在を知ってたのは間違えなく誰かさんのせいだ。
思わず顔が強張るのが分かる。(なんのかんの今日わざわざここにきたのも、誰かさんとの冷戦のせいだ。あれから三日口もきいてない)
「鳳……君?」
「あ、はい。あの……なんで……」
「あー……なんていうか」
面倒くさいな、と思わず躊躇した。
王者は死角がないのだと笑って提供された資料(DVD)はものすごい量があって、見切れないから多少省いたけれど、氷帝は見たのだ。しかも覚えてる(あの応援はなしだし……)
「知人がテニスを……」
「あ。立海っていうと皇帝……真田弦一郎さんか、達人――」
ああやっぱり有名なんだな。
そう思うと面白かった。
私が知られててややこしいなーと思うように、精市も「なんで知らないやつに名前しられてんだか」と呆れたことがあるのだろうか。私のように、精市やあの真田なんかが、変なあだ名を付けられてお互いにネタにしたりしてたんだろうか。
今の姿しか知らない。
つい数箇月前に訪れた平穏の前から、有名だった彼を知らないから、とても新鮮だ。
打ち解けたつもりになって、
「三強の一人には違いないけど、残りの方」
漏らす。
先生は何かに気付いたのか後は若いものでといわんばかりに楽しそうに出て行ってしまうし、するりと口をついた言葉に目の前の彼は興味津々のようだ。
失敗したなと思う。
――このまま終わらせてもくれなさそう……
気安さに話を膨らませてしまったのも自分の癖に面白くない。
かわいくないなーと思いながら手招きすれば、面白いくらい簡単に鳳君は首をかしげ、近づいてきた。
「試合は見に言ってないから、テニス会場で会ったことはないと思うよ」
ブンちゃんや蓮ちゃんは兎に角苦手な仁王、真田組の前でもしないほどのしかめっ面をしている自覚がある。
それでも告げた。
正直に言おう。
真っ直ぐすぎる彼の目は私にとっては毒だ。
「え?……」
「幸村精市――」
我ながら自嘲気味だなと苦笑しつつ、さらけ出して、距離をとる。
――もういいでしょ?
っていうみたいに。
「入院してたし、一時期はいなかったから知らない?」
「いえ……一年のときに見たことがありますから……」
「……そう。そのときも、私は別の舞台に立ってたから」
だからやっぱり会場では会いようがない。ともう全て言葉にしなくても分かったんだろう。
はっと彼が身構えた。
怪我のことを、やはり知ってるのだ。
ますますかしこまって、「すみません」と頭を下げられる。
――弾けなくて悔しかった思いも嘘じゃない。
だから考慮は素直にありがたく思っておく。
「まだ、悪いんですか」
言わなければ帰れないとふんで、ソファに腰を下ろすと鳳君は向かいに立ったまま、目を逸らしてきいた。
「でも、俺……さ――さんの演奏すきで……」
――って名前呼びがうつってるのは先生のせいだな。
丁寧に、きかなかったことにして、彼の名誉を守りながら、
「怪我は平気」
気が進まなかった話を、した。
理由は分かってる。
ふっきれてたはずの自分にとって、怪我の経過も、その後の演奏も問題なくすぎられるはずだったのだ。それなのに今拘っている。
その理由なんて一つしかない。
――思い知らされるから。
嫌なだけで鳳君が悪いんじゃないじゃない……
なんのことはない湧き上がったイライラは「八つ当たり」
肩の力を抜く。
彼の顔をみると、やっぱり嫌味なくらい真っ直ぐな目で――なのに今回はとても好ましく思えてた。
だから、聞いたのだと思う。
「ねえ、私はもう一度上を目指すべきなのかな?」
すくなくとも、君は目の前でそう思っているのだろうか。
彼に誰を重ねたかなんてきかずとも自分がよく分かってる。
それでいて返事が絶対的に違うんだろうなってことも(タイプが違いすぎる。誠実なだけの精市なんて、想像つかない。だからこそ「誠一」じゃなくて「精市」って名前にかえられたんだと信じてやまない。……お母さん迷ったらしいけど)
鳳君は目を見開いて、ゆっくり頷いた。
「すくなくとも俺はそう思ってます」
――欲しかった言葉……のはず……
「上っていうか、弾いてて欲しいから」
真っ直ぐさが痛かった。
ただ弾きたいように弾いてるだけなのに、どうしても誰もかれもがいうんだろう。
「好きなように弾いて……その、たまに聞かせて欲しいって……」
舞い上がっていないその懇願に、少しだけ揺れた。
彼に、ではない。
『 弾けよ。それとも俺が聞けないくらい、腕鈍ってるのか? 』
だから上を目指せなんて精市は言わなかった。
ただやめることを許さなかったけれど、それは私が聞かせたいからで――
だから、鳳君の声に、無性に答えを知りたくなったんだ。
「好きだし、聞けないのは勿体無いって思います……」
精市にだけは言われたくない、分かられてると信じてたのは、「弾かない理由」
彼のために、捨てたつもりなんてなくて……ただ好きに弾いてるつもりだったのに……あんなふうに突き放されてすごく傷ついた。
でも、もしこういう人を想定して、言ったのだとしたら?
そこまで考えて言ったのなら……?
――あるいは……
「……幸村さんが独占したい気持ちもわからないでもないかな。けど、俺が彼なら……たぶんあの演奏を知ってたら迷うと思いますよ。これだけの音を専有できても、悪いっていうか……勿体無い気がして……」
――もし、そうなら?
ありえないと思いながらも……そうなら嬉しいと思う。
それでも、
「だから俺は戻って欲しいです。もう一度舞台であの音を聞きたい――」
そういわれたとしても応えは今はまだ一つなのだ。
だってまだ、精市の答えを知らない。
私には余裕なんてなくて、ただただその背中を追いかけるので精一杯で…………すくなくとも暫くはそうさせてもらわないと……怖い。
「ごめん……」
今は無理。
別のものに目をやって、うまくいくほどの絆はないと分かってしまった。
あの頃と違って、こんなにも距離が離れてしまっている。
「二者択一だとしたら応えは一つなの」。
確かめないといけない。
ありがとう、は言えない。
「また戻ってくるなら」
という彼に、頷きもしやしない自分なのだから。
それでも確かめよう、もうちょっとだけ自分の評価をあげてみよう……と思えたのは彼のおかげだからせめてものお礼に、席を立つ。
この先は分からないと、前置きはして。
「何が聞きたい?」
「あ……」
嬉しそうな顔。
「弾くよ。――愛の夢と革命以外なら……」
精市のためだけに弾く曲と、自分のための曲は抜かして、今一曲だけ。
これで終わるかもしれないし、始まるかもしれない。
何にせよ音楽を消すことはないのだからいいだろう。
人に聞かせないために避けてたんじゃない。嫌いになったわけじゃないんだから。
少したって告げられたそれの一小節目を浮かべて、手を滑らせる。今はまだ練習用の小さいアップライトピアノに。
受け取ったのはショパンのワルツ集。
聞くのはすきでも弾くのは好きでないその中の一曲を奏でる。
今日の気持ちにとてもあっていた。
――いつまでも続く終わらない三拍子。
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