【SIDE 幸村】
部活のない日はぎりぎりまで寝ている。
でも今日はやけに目がさめて、支度をおえ、気付けば玄関に出ていた。
そして、ふと横のとおりから出てくる幼馴染の姿を捉えている自分に気付いた。
彼女は……意識しなくとも俺の意思に飛び込んでしまう。
それに気付いたのは多分最近のように、二人で歩くようになるずっとずっと前だ。
――そういえば、蓮二にはよく熟年夫婦だのといわれたな。
どちらかというとお姫様の騎士でいるくらいの心意気だったころだから、大層顔をしかめた記憶がある。
そんなことを考えていたら、
「あ……」
目があった。
「おはよ」
一拍おいてはにかんだは本当に久々で――
――「どこにいってたんだ?」――
勝手に一人で……。
そう尋ねてしまえれば楽なのだろうが、それをするのも癪にさわるし、そもそも喧嘩ともいえない微妙な空気があの日から続いている。
どちらからとも沈黙がおち、が気まずさからか……怒っているのか、踵を返す。
それでも、今日こうして会った彼女が素直に大切に思えて――あるいは焦っているのかもしれない。
思わず自分は、その手を掴み、
「待てよ」
その細い手首を繋ぎとめていた。
――すきか嫌いか……今更手ばなせるか……答えなんてとうに……
分かっていて、だから手を伸ばす。
「おはよう、。何で先に行く?」
よく避けてくれたな、と脅す。
はいつもの泣きそうな顔じゃなくて、「朝練かどうか分からなかったから」と、戸惑うような表情を見せた。
きゅっと鞄を握った指の先は白く、不必要に力をこめる様子がありありと伝わる。
痛そうで――綺麗な指が傷つかないか心配で、口を開き……そしてやめた。
芸術家が手を粗末に扱うな、といったら怒るだろうか。そう思ったら急に怖くなったのだ。
あんなに取り乱した彼女を見たのは怪我よりも前から数えても実に久々で…… 自分の動揺は相当だった。
今なら分かる。
背を向けてしまいたくなったのは、不自然な苛立ちは……自分の方が怯えていたせいだ。
「一緒に登校してもいいだろ」
言葉に出来ないほど神聖なものだと思うあのピアノの音色を惜しみながら、その一方で、あの音を手に入れているは自分から離れてしまうのではないか、とそんな気に襲われた。
嫉妬すらしないで、自然と自分の側にいられるだから、行くと決めたら自分の道を進んでいってしまうのではないか?
そもそも執着は自分ばかりで、は羽安めに自分の側を選んでいるのではないかという説も抜けない。
なんで今更なんだよ……と、呆れたくなる。
けれど、言わなければ伝わらない。
このまま手を離す?
――ないな……。
離れるなんて許さないといっておいて、自ら逃げた情けなさに頭が痛くなる。
なんのことはない。
納得はしたくないがこれが恋なのだろう。
――あのピアノの音色ごと独占したい。
独占も何も、その前の段階だ。
蓮二あたりには呆れられてるだろう(真田の名前もあがっていたから、事情がばれればあいつにさえかもしれない)、ブン太にはまた殴られ兼ねない。
別れるかもしれない、そう思ったのもあのときは本当だ。
出来るか出来ないかを考えず――が遠のいたと、勘違いした。
――何って俺は……
「当たり前だと思ってたんだ」
違うと知って――がとどまってくれていて……それがもしかしたら我慢や一時的なものと気付いて――今、だから言える。
「何を」
と、は一歩ひいてふるりと首を動かす。
――が横にいること、俺に従うこと。
これでは亭主関白……真田的発想だ。
それでも理性が感知出来ないところにあるのだから、わがままを通すべきなんだ。
「――欲しがるままに手を伸ばすのが俺なんだよ」
「うん」
即座に返事するかな?
けれど知っててだからこそ幼馴染で……だからこそ、は選んだ。
自惚れてもいい。
……たぶん。
「好きで側にいるなら……勝手にしろって、前なら言ったんだけど――」
今はそんな言い方できない。
照れくさくても、言わない方が餓鬼で、ここでちゃんと伝えるのが大人になるってことだ。
「今は……?」と続きを促す瞳に、期待を見て(たぶんあってる。思い込みじゃないはずだ)自然と微笑んだ。
「なんでもかんでも従うくせに嫉妬の素振りもないからな」
だから……
――お前の隣が当然じゃないって気付いて焦った…――
そういうことだ。
もっとわがままを言えって言っても、言わないんだろ? 少しは丸井にしてるみたいに……甘えてみせろよ、と……流石に口には出来ない(長年の関係は、俺のキャラクターは、今更の照れを運んでくれてしまう)が、それでも、突然が言うから。
「やきもちも何も……ああいう子嫌いだって知ってる」
「……ああ」
「従うんじゃなくて、選んだだけなの。続けたくないわけじゃない。でも、今は休ませてもらってる」
俺の隣で?ひととき?
それで終われば消えてしまうのかが嫌だと思ってる俺になんで気づかない?
言葉を思わず止めた。
思わず、抱きしめてしまえればいいだろうが、人目以上にプライドが許さず、腕に力をこめることで誤魔化す。
物分りの悪い女だと、どこかで呟く自分を見ながら、苛苛した調子で足を速める。(けれど手だけは離さずに)
それすら、本来彼女にとって不本意で、不条理なことなのに。
「好きに弾くから、きいてもらえればいいんだけど」
他は望まないといわれても、そんなもんじゃないだろう。
才能が全てでも、努力が全てでもない。
たどり着けないかもしれない道を歩くのは困難だが楽しく……も分かってると思っていた。
――同じ、なわけはない。か。
だとしても、勿体無いと思ってしまうんだから……
「どうしろっていうんだ」
「えーと……」
要領を得ない。
ここにきて、いいあいがむちゃくちゃな気がしてくる。
――要するに聞きたいことは……
「別々のことに熱中してても構わないと思うけど?俺がきいてなければやらないのか?」
勿体無いだろ?
さらりと、言葉が出てきた。
テニスコートに寝食されても、俺は俺のテニスをするだけ。
もしっていて、はの道ですきにすればいい。
根本的な話から逸れた気もしたが、これもこれで一度ちゃんと話すべきだと、誰かが警告していた。柳か、あるいはブン太か……あるいは真田がもらしたことか。
与太話だと思っていた、部活でのちょっとした会話がわっと脳裏に浮かんだ。
――何を今更……
「……分かんない。弾くのは好きだけど別に勝たなくていいの。それこそ精市は分からないかもしれないから……あれなんだけど……」
あれって何だよ。
口走りそうな文句をのんで、話の先を促すが、自分の矛盾に気付いている。
――勿体無いが、のものは全て自分のものだから……
何そのジャイアニズムとブン太に後で退かれても、蓮二に「お前……」と見捨てられても、譲れないくらい強い気持ちもある。
でも、が好きで選んでるのならいいがそうでないなら……と思うのも自分なのだ。
それより気付けばもう校舎が見えてきて「……好きにしろ」で終わらせたくなっている自分に嫌気がさす。
「そういえば昔から相手だと面倒になるんだ」
ふと思い出したのは、いろいろなシーンでのいろいろなだ。(ということは状況や自分に嫌気はさしても、が嫌になんてなるはずがないってことだが)
「……何それ」
ヒドイ、といわれても仕方ない言葉に、もうこうなるとぐだぐだだ……。
零れた言葉は戻らず、に愚痴みたいに投げつけられる。
「大体、そっちが勝手に分かってくれるから言わなくてもよくなっちゃうじゃないか」
「責任転嫁だよ」
「……だから、伝わると思ってたんだがな」
校門を越えて、同級生に挨拶をかえし、「いいなー彼女」のからかいに、信じられないくらいの軽口で「やらないよ」と笑った。笑えてしまったのだから仕方ない。(たぶんいつもの思わせぶりな調子ではなく、一瞬本気だった自分がいる)
「言わないと分からないこともあるから言っておく」
告白はした。
の返事も聞いた。
それでも一度の言葉で全て伝わるほど、いくら近くにいても俺たちは大人じゃない。何度だって言うべきことは、伝えなきゃならないだろう。
安心させるために、継続させるために?
――違う。
ただ言いたいだけだ。
「ほいほい俺に従うな。……どこまで許されてるか分からなくなる。……じゃなきゃ自惚れる……」
止まって、きっぱりと。
目を見て、告げた俺に、彼女は凝固した。
照れてる様子……とも違うような、そんなただ本気で凍った状態の数瞬。
その後、嫌になるくらい和やかな笑みを見せたのだ。
― 「私も好きにする」 ―
勝手に側にいると言い切った彼女は姫どころか女王のように傲然としていて……魅力的なのが癪に障るが……
――これを造ったのが俺なら……
逸れはそれでいい。
は、決して弱くなんてない。
新たに認識しなおして――今回の騒動にけりをつける。
もう忘れない。
縛ることが俺の特権なら、縛られることはの特権なのだ。
主導権はあくまで自分において、彼女が真剣に嫌がるだろうと知ったうえ、その耳に素早く噛み付く。
唇にすると、一日はまた口をきいてもらえないから髪の毛で隠れるように、顔を寄せて……
「っ」
驚いた間抜けな顔を笑って、遠ざかる。
クラスは別だ。
昼休みも部長会。
「放課後。来るんだろ」
見になんていってやるか?
文句をいえるならいえばいいんだ。
「迎えに行く。――引きずってでも連れてくから見学してったら?」
疑問符なのか命令なのか曖昧な形で……のYESをもぎ取って。
正確には有無を言わせずだが、これでいいんだ。
――お前には俺がいる……――
もうずっと前から決まっていたのだから。
他は許さないことも、彼女が全て従ってしまうことも。
The end
本当はどうしても譲らない頑固なところもあるんだけどね。
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