【幸村SIDE】
「――」
呼びなれた名前を呼ぶ。
口の端だけで笑うと、彼女はふっと視線を逸らしてしまった。それから、俯いて、悔しそうに唇を噛んだ。
「こっちを向けないのか?」
くいっと、腕を掴んで向き直らせる。
覗きこむようにすれば、困るというより最早怒りで真っ赤になった顔が見える。
「そんな目をしても駄目。精市はいつも名前呼ぶだけで何でもかなえようとするんだから」
彼女はわかってないんだろう。その仕草、所作全てががどんなに、自分を苛立たせるのか。
「そうか?」
疑問とも言えない調子で返して、鞄を下ろした。
部活前だが、大分立ってしまっているから教室には誰もいない。
金具が床に擦れる硬い音が廊下まで響くようだった。
いつの頃からだろう。
横に自然にいたはずの、彼女がいることが鬱陶しく感じられた。
テニスを始めて夢中になったばかりの頃もそうだった。
ただ、彼女は大人しい方でも誰かを眺めている方でもなかったから、やっぱり自分で、テニスとは別の「夢中になれるもの」を探し出した。
でもそれは完全に自分から離れることにはならなかった。
近所だということもあって、朝練がなかったり雨が降って早めに部活をきりあげたりすれば登下校は一緒になったし、学校に行けばクラスは隣。共通の友人も多い。合同授業で一緒になれば、口の聞きやすさからついお互いを頼りにしていた。自覚はある。
「空気みたいだな」と柳に言われて、笑ったけれど実際自分たちだってそう思っているのだ。
――それがどうしてこうなるんだろうな。
顎に手をあてて、視線を合わせれば、はキッとにらめ付ける様にこちらを見た。
「は呼ぶだけで【分かる】だろう?だったら、敢えて、俺が、その先の希望を口にする必要はない。――違うか?」
言葉遊びみたいに返して、思わせぶりとも言える姿勢を崩す。何のことはない。キスする直前みたいに顔を近づけた後、未練も見せずに腕を開放するのだ。
欲しくなったのはどちらか?
いつの間にか「女」になった幼馴染が、気に入らない。
「それ」を望んでいる自分がもっともっと気に入らない。
彼女にも、とっくに伝わってるはずだ。
――はそれでも離れないでいられるのかい?
試すのはどうしてなのか、それだけは薄々知ってはいる。
「俺は何もなくても平気なんだけど……は何もなしにいられないだろ?」
「ちがっ」
「『幼馴染だから』とかいうくだらない嘘はつかなくていい。微温湯を受け入れられるなら、俺は側にいる……」
一年前と同じだ。
俗に言う告白というものをされて、自分が彼女に返したのはそんな言葉だった。
「『独占欲』はある、そこまでは認めよう。でも俺はと同じように思ってはいない」
――だから……
「けど不愉快とも思わない」
「じゃあ、今までみたいに側に居ていいの?」
「そうだね、好きでいてもいい。でも言われた分、俺は気紛れにキスとか、それ以上もする。嫌だっていっても許してなんてやらない」
「何それ……」
「身体と心は別だし、衝動に駆られることもあるだろう。拒まれない相手ならなお更意識してしまうものだし。――が俺を好きで、誘うならそうしたいと思って当然。どうするのか自分で考えて」
「誘うって……そんな…」
「選ぶのは次第だ」
そうといえば、絶対誘うことなどなくても、彼女が拒めないと知っていたのかもしれない。
は俺を知ってるから、俺が望むようにするに決まっている。
卑怯で姑息なやり方だが、彼女を考えすぎないで、しかも留め置くのにはちょうどいい手段だった。
独占欲、そこまではいい。
それ以上に彼女を好きになんてなりたくなかった。
「好きでなくてもするの?……私が……好きなら?」
「そう。すると思うな、それが俺だから……。そのくらい容易く出来るだけの力はあるよ」
「……知ってる。見た目よりずっと強いもん……」
「うん。なら早く」
誘えば?
目だけで訴えて、初めてのキスを得た。
あの時と同じように、抱きしめられるような距離まで近づいて、相手がたじろぐまでじぃっと見つめる。
やがて、はもう一度羞恥から目を逸らした。が、そんなままでいられても面白くない。求められなければ欲は満たされない。
「は何か言われたいとでもいうんだ?」
「好きとは決して言わない」と宣言しておいて、こういえば泣きそうになられるはやむを得ない。
けれども、その顔が、あの頃に一番近くて、俺は気に入っていた。
小さい頃、よりちょっと早く歩いて、追いつけず必死になるを見てた。
そうすれば泣きそうな赤い顔と、ちっちゃな手に、必死に食い止められた。
その様子が一番を可愛く見せるから、止められず何度も何度も繰り返した。
「わかった。仕方ないな……」
固まりきって何も出来ないをあやすように告げ、
「――目を閉じろ」
でなければ、真っ直ぐにこちらを見ろ。
そうきつく命じる。
驚愕に、つい見上げてしまった視線を、再び顎ごと捕らえる。後はもう……
「……聞き分けのない子はわりと好きなんだ」
彼女がそうなろうと考える前に、抱き寄せてしまえばいい。
反転した景色に目を白黒させるよりも先に……
「無理やりにじゃないと本音を聞けないと多少コッチも無理が聞く」
「卑怯。ねだってなんてない」と小さくぼやく声も無視して、ただむさぼってしまえばいい。
「が素直に強請れないことくらい俺には分かる。どれだけ隣に居たと思ってる?」
「だからって、なんで」
「好きにしてくれって叫んでるみたいな目をみて、何もしないでいられるほど俺は大人じゃない。のことは可愛い妹みたいだと思ってるけれど、俺は放っておけるほどいいお兄さんじゃないから。――読み取らせないようになるか、なれて愉しむか」
「っ――」
「どっちかにしてほしいものだな」
さらに奥深く。深く。
息苦しさと、なれずに逃げようとする彼女の動きは相変わらずだった(率直に言えば上手いキスには程遠い)けれど、それでも満たされる。
欲望ならば既に持ってる。
ただ「好き」とは違うだけ。周囲だって付き合ってすることはしていても、「好き」を免罪符にしてる「つもりの恋人」の方が多いんだ。
俺はそれを理由にしないだけマシだと思っていた。には悪いが、それがせいぜいの誠実さだとさえ。
* * * *
憂鬱で意味のない部長会を終えて部活に出ると、柳生が声をかけてきた。
「どうでしたか?部費は」
「柳が説明しておいてくれたから、楽に取れた。生徒会にはがいるしね」
「ああ、中遠さん。そういえば幼馴染でしたね」
話はそこで一度打ち切りだ。
ランニングと、ストレッチを軽くこなして、隊列に入る。
柳生も部活の時間だと察したのだろう。
静かに列の横の方で、続くウォーミングアップメニューをこなしていた。
今日は明日の女子の練習試合のため、コートはほとんど使えない。16面もあるのだからとは思うが、それまでずっと使わせてもらっていたうちとしては、数時間だけでも借りられるのだから文句は言えなかった。
「精市」
後ろの気配を察するとすぐ、相手が誰だか分かった。
柳だけが古馴染みの俺を名前で呼ぶ。
と柳、そして俺は小学校よりも前からの遊び仲間だ。厳密に言えば、柳が加わったのはテニスコートでのことで、よりずっと後になるのだが、付き合いの時間はいつの間にかと逆転していた。
「どうかしたか」
「から伝言で、見積もりの一部にミスがあったそうだ。このままでは通せないから書き換えておくといってくれた」
「承諾した?」
「部長の厳命後の方がと思ったが、が……急がしそうだったからな」
「本当に?」
違うな。
あの後に会いたくない――それだけのことだ。
だがそれは好都合だった。
試合前ではないが、テニスに打ち込みたい。
そんなとき、は確実に邪魔になるのだから。
「柳生がと一緒にいるところを見たといっている。『どこでも一緒にいるんですね』といって誤魔化してはいたが、どういうことだ?何をしてたのかは大体想像つくんだが」
分かっているだけに、柳の視線はキツイし、いう言葉は辛らつだった。
「別に」
かわせるとは思っていない。
だから本当のことをいうだけだ。
「は俺がすきだからな」
「お前は違うのか」
「それを聞いてどうする?」
恋敵にはなりえない。
俺が彼女を好きでない以上に、柳はを好きになりえなかった。
理由は?それも分かりきっている。
が俺を好きだからだ。
「多分――ちがうよ」
まだ何か望むような気配に答えてやれば、柳は嘆息した。
「テニスをさせてくれないか?」
「……世間は、テニス馬鹿という言葉を、真田弦一郎に適用するが、本当の馬鹿はお前のほうだな」
「それも知ってる」
「馬鹿もほどほどにな。あれが泣くのは忍びない」
「仕方ないだろう?勝手に泣くんだから」
「どうかな」
「仕方ないんだ、『蓮二』。――ただ、の『好き』っていう言葉やキスは好きだったりするから、俺は」
「キスってお前………」
通じないとは思わないが、諭されるとも思わなかった。
柳――蓮二にはばれているだろう。
何を言っても、この俺の苛苛する気持ちが晴れないこと。彼女がどれだけ俺のテニスにとって邪魔になるのかも了解してしまえるからこそ。
「最低な男にはなるなよ」
「ああ」
答えて、ふと首を傾げる。
「どうだろう。手遅れかもしれない」
「あのな、精市」
たしなめるのを諦めかけた柳が、最後だというように何か口を開こうとした。
台詞を奪うように、俺は言う。
「嘘、だよ」
いいや、手遅れだろう。
それでも……
――俺は勝ちたいんだ。
他のものは全て障害にしかならない。
そう思えてしまう状態を作るのは、の方なんだから何もしようがない。
「邪魔をしないでくれれば、側に居る分にはいいと思う」
少し考えてから、俺は付け加えた。
「そうか」
「今のままでいられるなら、は俺のものだ」
「手を出すな、と、その状況で牽制でもするつもりか?……まあ、言われずともがお前にべったりなのも、お前がを嫌がってはいないのも分かってるさ。周囲に、わざわざ振られるに行く勇気のある人間もいないだろう」
「知ってる」
だから、このままでいいんだ。
そのときまではそう思っていた。
彼女が俺の側を離れる理由はなかったからだ。
to be continued……
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