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「シクヨロ」
「何語?」
「俺語」
「で?……なんでこうなっちゃうかなぁ。私、切原君が来るってきいてたのに。二年の範囲ならいいけど、三年のなんて……苦手なのに」
「最低ラインとれりゃいいから、頼む。悪ぃな、」
赤い髪の小柄めな彼は早速とばかりに扉から入ってきた。
遠慮ない様子に、私は呆れながら手を完全に止める。
椅子を弾いて、逆に腰掛けてからため息をついた。
「ブンちゃんだと、ピアノ室でってわけに行かないしね」
「あーそうそう。思ったんだが、何でまたここ?」
「ピアノやってたの。知らない?」
「聞いた」
「そっか。せい――幸から?」
「ううん、仁王」
「意外」
「俺もびっくりした。手のこととか」
「ああ。たいしたことないし。今は全然……ってそんな情報まで?」
「あ、うん。気にしてないみたいだから言ってんだけどよ。今ここにいるってことは弾くんだろぃ?」
「あー……趣味でなら」
「勿体ないっていわれねー?」
『うわー言っちゃったよ。この人』と、一瞬、こちらの方が動作を止めてしまった。誰もが言おうとして言えなくて、微妙な対応をしてきた中、ブン太は迷いなくづかづかと踏み込んできてくれる。
それは決して嫌ではなくて、あっけらかんとした調子にこちらもついつい乗せられて口数が多くなってしまうほどだ。
「幸のせいじゃないよ」
「予想通りのこといってんなよ。それに、『精市』でいーじゃん。俺気にしないのに本人の前以外じゃ言わないの?」
「うん。あんま。ほら……ファンとか」
「おっかねーか」
そりゃそうだよな。
と、納得してる底抜けに明るい彼に、うんともすんとも言えず、私は英語の教科書を取り出した。
いっそのこと、ここでやってしまえばいい。
移って噂になるのは嫌だったし、正直言えば「面倒」。
この一言につきる。
ブン太は笑いながら、「妙なとこ似てんのな」って、雨の日急に外練習がなくなったときの精市の判断と顛末(雑巾がけさせたらしい、トレーニングと称して。絶対あれは「面倒だったから」だというのがブン太と仁王と切原君の予想)を話してくれた。
「今日もさ、柳が『赤也を』つったんだけど なんか可笑しかったからよ、かわった」
「可笑しかったって幸――精市が?」
「そ」
――いや、きっとブン太君がそういうことも見越してたと思うよ、蓮ちゃんは。
得意満面な様子を壊すのは悪いから黙っておく。
「最初女から教わるって赤也に聞いて『それは嫌かも』とか思ったらでさ。それなら居心地は悪くねぇし。幸村君、好きだし。おれも」
「だから私ならOK?」
「当たり前だろぃ?」
「食べ物くれる人に悪い人はいないから?」
「何だそれ?」
ポケットに隠しておいた、家庭科の残り物を取り出して、きょとんとした彼の手の平に置いた。
触れ合った手は予想通り暖かかったから(失礼だけど子供体温だと思ってたから)安心してしまって、何だか「お姉さん」な気分。
こんなこと言ったら悪いけど。
「あげる」
「でも幸村のじゃ」
「ううん。貰ってくれるとは思うから遠慮してないよ。けど付き合ってもいないのにって周囲の子が言うし」
折角なら喜んでくれる人のがいい。
そういったら、ぱぁっと顔が明るくなった。
――本当甘い物好きなんだなぁ。
ちょっと感心してしまった。
「あ、俺のファンもいんのにいいの?」
「ほら、ブンちゃんは食べ物すきだってばれてるでしょ」
「気楽ってことな。OK.もらった」
「ありがとう」
「そりゃこっちの台詞」
「じゃ、その分勉強してね」
というわけで、ここからはレッツスタディ。
LESSON12の構文の書きだしから始めよう。
少し進度が速い私のクラスのジャネット(アシスタントティーチャーね)に感謝して、ノートをめくった。
グランドピアノから少々離れたところに、小さなテーブルつきの椅子が二つ。
* * * * *
勉強は拍子抜けするくらい簡単に終わった。
「これなら先生に聞いた方が早いんじゃないの?」
「それ、俺も思った」
「ならそうしてよ」
「あー?でも鈴先(鈴原先生の略称)嫌いだし」
「分かる。ガムとか噛んでるから?」
授業はテストが出来ればスルーする教師が多い中、珍しく注意好きで、そのわりに生活指導部ではない珍しい英語教諭だ。理由はすぐに理解できる。
「そゆこと」
お陰で自主練いけるかもな、けど疲れたかーなどなど……ブン太は横でぼやいてる。
よかったよかった。これでお役ゴメンだ。
後は、精市が終わるのを待つだけ。
そのつもりで、机を片付けていたときだった。
「、終わった」
「珍しいね……精市が来るの」
見張りに?
ってことはないだろう。
ただ、気紛れがさせたか、あるいは私の表情を見て愉しんでるのか……。
両方だろう。
「進んだ?」
精市はコッチを無視して、ブン太を見た。
笑う顔は普通だったから、気軽になって、
「もう終わるけどどう――」
『どうする?』と、まるで対等染みた台詞を吐きそうになる。
――ちがう、私が勝手に待ってるんだ。
「そうだな、それはこっちの台詞だ」と、彼の目は無言で告げていた。
黙りこんだら、
「俺はもうちょっとかかる。待つなら勝手にまてばいい」
吐き捨てるでもなく……ただそれまでとは少し違う抑揚で言葉が返る。
「冷たくね?」
空気をぶったぎったのはブン太だ。
「そう思われるかな?ブン太」
「うーん。幸村君っぽくない」
素直だ。
これは新しい発見だが、ブン太は返答に困ると思いきや、そうきっぱり言って……
「ふふ」
精市に、声をたてて笑わせたのだった。
何が可笑しいんだろう。
私にはどうリアクションしていいか分からなくて、取りあえず精市の台詞を待った。
「そっか。じゃあ、、好きだよ」
嘘つきな、仕草で、こちらの肩をぽんっと叩いて、ブン太に「これで分かる?冷たくする気はないって」、と精市は完璧な笑顔を見せた。
ブン太は胡散臭そうに見てから、「あのなぁ」と唸った。
「は?どう思ってるんだ?」
悪乗りもいい加減にしてほしい。
ここで「好きだよ」と言って欲しいんだろう。
そうして、「冗談だね?」って返すとか。
ちょっと迷った挙句、私は選んだ。
「大嫌い」
精市は始めてこちらに分かる程度にぴくっとしたが、心なし笑っているようにも思えて(それで肩が震えただけかもしれない)、私は淡い期待を消し去ることに必死になった。
「自主練、もう少し行って来る」
そういって引き返す手前、数センチの隙間に伝えられる残酷さが、彼には分かっていない。
「泣きそうな顔は嫌いじゃない」
――好きでもないくせに。
「そっちは?」
「どこにいる?」「部室まで付いてくる?と」視線で尋ねられ、空白の時間が生じる。いつもなら出てくる「私の我がまま」が上手く声にならなかったからだ。
結果的に、可笑しな空気に痺れを切らしたのは、ブン太だった。
蓮二でもない限りこの空間には耐え難いだろう。
下手すればバカップルなのに、ブン太はきちんと私の、片思いを聞かされているのだから。混乱もするというものだ。
「幸村、俺、もうおわるから帰るし。、つれてけよ」
「……そうさせてもらう??」
「選ぶのはお前だ」というようないつもの視線に、私はたじろぐ。
問いかけがなくならない限り――あるいは「駄目」とはっきり切り捨てられるまで、私にはNOが言えない。
本当は、今精市は、私が側にいることを望んでいないと知っているのに。
ほんのちょっと時間を貰ってから、私は「本心からの彼の望みだろう方」を選んだ。
今、私は邪魔だ。
もう少し練習するとなればいない方がいい。
「ううん。待ってる。ここで」
「あー、なら俺もうちょっとわかんねーとこあるから教えてくれよ」
空気を読むのが元来上手いのか、天然なのか。ブン太がフォローでもなく言ってくれたのは正直助かった。
「しっかり勉強してくれると嬉しい。試合に出られないレギュラーはいらないよ」
引き止めず笑う彼を、私もいつもどおり見送る。
練習に集中するのなら、どんなものでも邪魔になる。
そういう瞬間――集中する瞬間があるのはよく分かるのだ。私も。
「はいはい、部長さんはそういうと思いました。……アー面倒くせぇ」
「ありがとう。ブン太」
「何が?」
「いや、何でもない」
「邪魔にならないように俺は行くよ」
だから、「邪魔なのは私でしょ」とは言えない。
ブン太がいることへのお礼だって、「私」を練習から――彼の中から閉め出せることへの感謝から来る物だろうけれど……言ったら駄目なんだ。
知らないふりをして、「いってらっしゃい」というと、大きな手が伸びて髪を撫ぜた。どこまで本気なんだろうか。
「流石に最近校内といえども物騒だから……、大人しくしてろ」
ほら。
それが優しい思いやりなのか、単純な排他なのかすら、私にはもう分からなくなっている。
泣くほどの感慨ももてなくなったはずの、喉の奥が、妙に痒かった。
『もどかしくて――』
蓮ちゃんの台詞の意味が何となく分かる。
どうしていいのか、分からなくなってる自分が、むしろもどかしくて……。
ついて出た言葉は――
「……大嫌い」
「はいはい」
あしらう様に言って、勝手に原因にしてしまっている彼は笑う。
仕返しといわんばかりに、楽しそうに、こっちの泣きそうな目を見て、
「俺も、大嫌いだ」
安心していい。
そう突き放された気がした。
「おかしな幼馴染」
「ついてけねーよ」と注をつける第三者を潜り抜け、【おかしな幼なじみ】同士はお互いを一瞥した。
それから――
「「後で」」
あわせるつもりもなく答えをぴたりと一致させ、いつもの放課後が始まる。
一人だけ、合間に人を多く立ててしまった、そんな放課後が。
to be continued……
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