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完璧な演奏だと思った。
本当はもっと堂堂といいたいが俺は音楽に疎いので分からない。
それでも技巧が巧みかどうか以前に、スピードと、男のような力強さを持つ曲にハッとさせられたのだから仕方ない。
教室に踏み込んで、演奏者を見れば女で、その事実に驚いたほどだ。
一曲演奏を終えるでもなく、彼女は突然指を止めた。
弾き手がだということは考える間もなく分かった。
中等部から持ち上がりだから知らない仲ではないのだ。あまり話したことはなかったとはいえ。
「随分とすごい曲を弾くものだな」
重い旋律と、ダイナミックな演奏を褒めるとなしに言うと彼女は冷え切った目で、「ありがとう」と返した。
居心地が悪い。
「私が弾いてるって何で分かったの?」
は困惑を隠さず言った。
「何故」
弾いてると知っていると思ったのだ?
尋ねようとした声は遮られ、
「見てれば分かる。態度で大体は。……蓮ちゃんから聞いた?そうでなくとも知ってるか」
――テニス部だし。
解答を求めない様子で彼女は呟いた。
空気がよろしくない。
俺は女子が苦手だが、会話はしてきた。怯むこともなく、わりと馬鹿な話にも付き合った(大概が俺の説教に帰するとしても)。
でも、同じクラスになったことすらあるというのに、との空気はえもいわれぬものだった。
こちらは全て見透かされるようでいて、彼女自身は何も必要としていない。そんな雰囲気をかもし出している。
一拍遅れて蓮二の名前に気付き、何故とまた尋ねようとしたとき、答えは不意に落ちてきた。
――幸村不調の原因はこの女か。
単純に、柳蓮二のいうことに意味がないはずがない――そこからの推論だ。
相手は強張った俺の表情に気付いただろうに、どうしてか笑顔をみせた。
ふと何か含む、どことなく人を不安にさせる微笑は、誰かに似てると思った。
「ああ今朝の幸村ににているのだ」と気付いたのはもっとずっと後のことだが、彼女の場合月日や性質からではなく、誰か――幸村を真似ているように思えてならなかった。
その反面、不自然な顔を彼女がそむければ、ふっと寂しそうに目の色が沈むのを俺は見過ごせずにいた。
音楽室は、電気がつけられず、場所柄閑散としているのも助けてモノクロの空間を作り出している。
「上手いのだな、音楽は分からないが素晴らしい演奏だった」
何となくといえばそれまでだが話をしたくなり、俺は褒めるでもなく感想を口にした。
彼女は受け取って、謙遜するでもなく、
「そうね、普通よりは上かな。コンクールギリギリのレベル。もっとも、出場できるぎりぎり、だけど」
皮肉にまた口元を曲げた。
「出ないのか?」
出られる、と暗に告げられればそういいたくなるは道理。
馬鹿正直に尋ねた俺に、
「出たくないから」
そう告白がかえる。
「練習してたら、出来るようになって……皆弾けばいいっていって……。怪我で弾けなくなったら、今度はテノヒラを返したように弾かなくてもいいっていって……」
「今、弾きたいから弾いているのだろう?」
「そう。だから『出る』『出ない』が問題じゃなかったわけ」
「言っておくけど、出るのならそこそこ行くようにするよ?」と釘を刺され、俺は頷いた。
「なるほど」
実のところ頷いたはいいが、よく分からない。
俺はテニスでは競いたいと思う。
競わない相手は弱いと思っていた。
幸村もそうだ。最初は見かけで侮り、読めない気持ちを侮り……本気で戦わないのかと訝しく思ったことがある(ヤツの場合、何か目標を見つけたらしくすぐにレギュラーになり、そんなことは印象ごとなくなったのだ)
しかし――
「本気になれない、のか」
言い当てた気がした。
ただやる気がないだけなんじゃないか、と。
いい意味でも悪い意味でも奮起する理由がないんじゃないか、と。
しかし、違うのだろうか。彼女の方はため息をついて、
「本気だなんだって何?」
馬鹿かお前は、と言う顔をした。
むっとくる俺を、牽制するように、ピアノの椅子から立って「今日はおわりにする」と、鍵盤に鍵をかけてしまう。
「弾きたいときに弾ければいいじゃない。諦めるとか出来ないとかそういうんじゃなくて」
その頃には噛み付こうにも、先ほどまでの挑む目つきは消えていたから、俺は文句も言えず、流すままに声を聞いた。
「お見舞いに行きがたくて、コンクールを理由に弾いてた……精市が入院した頃。でも、よく考えたら私が弾き始めたのは精市にきかせたくてだった。……で、怪我のせいで偶々弾きたくとも弾けない状態になって、やっぱり弾きくて……。だから、また始めたんだけど――」
「けれど?何だというんだ」
「芸術は争いで、音楽は戦いだっていう決められたレールから降りたくなった。自然に。無理をするとかしないとかじゃなくて」
「弾くだけでいいと?」
「難しい。一生懸命ひくのが誰かの為だとしても、集中して完全にしようとすれば、そこにあるのは鍵盤だけ。これはテニスでも同じでしょ?それ自体が嫌ではないし、それならそれでいいって思ってた。でも、単純に弾きたくなくなっちゃったのよ」
「罪悪感に囚われてるんじゃないのか?見舞いに来られなかったから」
――あるいは逃げたか。
言葉にはしなかったが、俺の中でふとよぎったのはリハビリのきつさだ。
は見透かしてるよと冷笑してから(多分そういうことだと思う)俺の質問に返事をした。
「だからなおってるわ、そこそこのレベルに弾けてる」
「そうか」
「それに、相手はテニスに必死になってるからおアイコだと思わない?」
「確かに」
「ただ……」
「ただ?」
「……なんでもない」
俺は少し黙った。
何をいいたいのか、考えた。
幸村の不調の原因である、とヒントはもらった。
彼女のピアノと、幸村のテニスの関連もわかった。
ついでに、「諦めた」と考えることの失礼さもふと気付いた。
彼女がコンクールに出られるのは『今』もなのだ。そして、先ほどの様子から察するに本気で出る必要がないようだった。
とすれば分からないのは……
――二人の、因果と、心情。
ただの幼なじみであっても、お互いに関わりすぎている。考え方の酷似から以心伝心はしているようにも思え……それでいて違いすぎる。
かたや別の物に闘志を燃やし、かたやそれを見失ってもう片方を見つめている。
「駄目だ、俺にはわからん」
――二人とも俺には理解不能だ。参謀は何をさせたいんだ?
愚痴が漏れそうになる。
「いいって。気にしないで」
「お前は――。幸村のためだけにやってたわけじゃないんだろう」
確認をした。
「そう。自分のためだよ」
「今度は幸村のために諦めるんじゃ?」
「ない」
――ああ、そうだときいたな。
そう、そこなんだ。
分からないのは……
「自分がやりたくなくてやめたなら誰に何を言われる必要もない……」
「そのとおり」
「……だから、だ。わからん。……なぜ……」
「?」
きょとんとしたのは彼女の方だった。
俺にはもう蓮二の謎賭けも、幸村の理由も理解できない。
まだ、彼女の心情の方がわかりそうな気がしてくるほどだ。
だから、吐き出した。
「何で幸村は、あんなに不調なんだ?」
「私に聞かれても」
即答だ。
ちょっと間をおいて改めてから、『自分のせいで苛苛されてるのは分かっても』と少女は本気で困ったような、むっとしたような表情を見せた。
「放っといてくれればいいのに」とさらに詰める横顔。
それらは始めて年齢相応といえるもので……切なそうなのに悪いが、俺には「可愛く」(好ましく)思えた。(無論「他意」はない)
「そういえば、朝丸井と一緒にいたな」
「あ、ブンちゃんね。仲良くなってみた」
「なってみた、って……お前」
――まさかな。
そんなはずは、と思う。
だが、あのとき幸村は確か……。
ちょっとした感想はすぐさま声に消され、
「にしても、真田も意外と柔軟になったね」
「そうか?」
「あんまり覚えてないと思うけど、前話したときは『しっかりすれば回復するだろう』って言われた」
「ああ、お前の怪我のときに」
「そう。偶然居合わせただけなのに、そういわれて、正直嫌だった」
「すまない」
謝らなければならない気がして、俺は頭を下げる。
「大げさにしないで」とは笑う。
「でも、今は分からなくても理解しようとしてくれてるみたいだから」
「……何をだ?」
「諦めたんでも舞台をおりたんでもなくて、ただしたいことをしてる。本当にしたかったことを探してるの」
「だから、弾けないんじゃなくて、弾きたいときに弾く、なのか」
「ほら、もう分かってくれた」
通じるようになるとはねぇ。
過去への嫌味といわんばかりにいって、その後悪戯っぽく(俺が気にしないですむよう)続け、ぽんっと肩を叩いた。
単純に、一段高く置いてあるピアノの部分の床から、下に下りる弾みだったが音とともに気持ちは楽になった。
に対する苦手意識を吹き飛ばすかのようだ。
思えば俺はコイツのことを、人伝いにしか知らなかったし、人一倍触らないよう恐れるのは可笑しなことだった。
「蓮ちゃんが言ってた意味が分かる。自分の目で見れば、分かるヤツだって。真田ともこれで仲良くなってみた」
丸井と同じ扱いか。
苦笑して、ふとまた違和感を覚える。
――まさかとは思うがこれは……。
そう、さきほども思ったのだ。
――……まさか?
* * * * *
と別れると、音楽室のすぐ外に気配を消して蓮二が立っていた。
「計算づくか?」
聞くと、
「何のことだ?」
声が戻る。
臆することなく、俺は続けた。
「……嫉妬というやつか」
――馬鹿馬鹿しいが……。
苦い思いで、口にしたくない言葉をはっきり声に出せば、『蓮ちゃん』とやらは、ふっと笑った。
「恋だの愛だので、ヤル気はでても実際戦ってる最中は其のことしか考えられん。だから、あんまり進めはしないが……逆に気になるものをないことにして見なかったふりをすればマイナスになる。避けたところで明鏡止水とはいかないんだが……」
本当に困ったものだ。と俺に言われても、それはそれで参るのだが。
「今更『意識する(気付く)』なんてな」
――がきじゃあるまいし。
「何とかしたいがこちらには何もできないこともある。あの二人は根が深い」
蓮二はいい、俺は「うむ」と頷いた。
どんな因果かは相変わらず分からなかったが。
「俺にはどうやっても好いている同士にしか、見えないんだがな」
――しかり。
憎悪は相手を強烈に考えていることの裏返しだ。
今までならば蓮二の考えは飲めなかったろう。
しかし、をよくしってからなら分かる気もする。
幸村の冷酷さの中に潜むものも、何となく理解がいった。
潜む熱は冷たいものだ。
星がそれ自体の温度をあげるほどに蒼く白くおちていくように。
to be continued……
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