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【SIDE 】
『……でも、私は精市に聴いてもらえるのが一番楽しい。忙しくないときに、ね、聴いてもらえればそれでいいの。だから……最後までは一緒に走れないかもしれない』
『コンクールに似合う曲より精市の好きな曲のほうが楽しいから』
天邪鬼君主論(鬼のマキャヴェリズム F神様はいるよ)
登校中、昨日のことをふと思い出す。
頭が混乱してた。
スカートの裾から入り込んだ冷たい指先。その感覚が離れなくて、昨晩は、いつもよりお風呂にのんびりつかってた気がする。
ちょっと怖かった。
――ブンちゃんがこなかったらどうなってたんだろ?
十中八九流されてただろう。
――私のこと、好きじゃない精市でも?
答えはYESだ。
裏門から入れば、校舎に向かう生徒の群れが見えた。
いつもより若干多いかもしれない。
校庭を横切っていくうち、「おはよう」といくつも挨拶がとびはじめたが、私はうつむいたまま適当に声を返していた。
「中遠、平気か?下ばかり向いていると危ない」
そのうち低いアイサツとともに、一人が、言葉を続けてきたので思わず顔を上げる。
「……真田か。おはよう、って?今日、朝練は?」
「ない。テスト一週間前だろう」
「そうか」
「幸村とは一緒に来なかったのか?」
「あ、うん。今日は」
「時折は一緒になっていたけれど、約束じゃないから」と言うと、真田の「意外」だと正直に描いた顔が向けられて……私は思わず笑ってしまった。
「そういえば最近、なんか一緒にいること増えたかもしれないね」
「そうなのか?」
「前よりは」
ついでに精市にからかわれる回数も減った気がする。
――お役ご免?
それはちょっと悲しいかもしれない。
無茶を言う精市のことを、切なく思うことはあったが、遠ざけられるよりはずっといいと思っている自分がいる。何か感情を吐き出されるなら、それはそれでいいと思えるのが滑稽だけれど。
――そんなこと、この目の前の人にいったら、「たるんどる」パンチが来るんだっけ?
ブンちゃんの実況中継(ジャッカルの悲劇パート1)を思い出したが、ふと、
「意地悪は相変わらずだけど」
真田は精市のことを、きっと敬愛してるんだろうなーとその意趣返しに付け加えてやった。
彼はぎょっとした顔を(案の定)見せ、その後「あー」とか「その」とか気持ちが悪いくらい気をつかった様子で、
「ここのところ、調子が良くないようだからな。――あまり気にするな」
殊勝すぎるほど殊勝な態度でそういってくれる。
――ごめん、照れてるの笑ったりして。
こういうところが、精市に受けてるのか。
予想以上に真田は実直でいい人だったみたいだ。
「じゃあな」
「うん。また」
どこで「また」なのか分からないが、前に一度音楽室を尋ねてからというもの、真田とはちょくちょく会話をするようになっている。この先もあるだろう。
下駄箱で分かれて、私は一番端っこの方に向かい、真田の姿が完全に消えた。
二段に分かれた下の方に靴をいれているとき、後ろから「よお」と声をかけられた。
「おはよ。早いな、」
「ブンちゃん」
おはよう。
声が上ずる。
――何って、昨日はあんなところ見られてるんだって……。
普通でいられるはずもない。
そらし気味の視線で、惑っていたら、ぽんっと無言で肩をたたかれた。
「、今日、すぐ帰る?」
「うん。何で?」
「幸村待ってんのかとおもって」
「ううん……」
少しどもってしまったかもしれない。
ただブンちゃんは、「気にすんな」と、軽く言って
「あいつ、意地悪なときあるけど、俺はの味方だし?」
任せろぃ。
そう笑うから、私まで笑ってしまった。
昨日の精市との対比かもしれない。
今日はやたら周囲がやさしく感じられるようだ。
でも一番おかしかったのは、その後のこと――
「教科書を借りにきたんだ」
「え?……忘れたの?」
「悪い?」
「ううん。精市がくるなんて珍しくて……」
二時間目の休み時間の出来事だった。
視線を合わせず、不機嫌ともちがう微妙な空気で言う精市は、怪我の前に戻ったみたいに思えた。
とはいえ……
「そんな目でみるな。?今は誘われても今は答えられないだろ?」
哂って、唇をかすめたネクタイ。
いつもどおり自分のペースをとりもどしたのだろう。
「後で返す」と、巻き上げるでもなく、さっと奪いさった古典の教科書の紙は刷れて、私の手に薄い傷が走った。
幸いたいしたことなくて……そのせいなのか?
いつもとちがうようでいつもどおりの精市に、なぜかほっとしてしまった。
* * * * *
強く鍵盤をたたくと、スタッカートの衝撃は腕まで通じて、痛まぬはずの古傷が痛んだ。
昼休みピアノを弾きにいくのはもう日課だ。
もともと、だったけれど、ここのところ輪をかけている。
最初はブンちゃんがきたから、それに柳――蓮ちゃんがきたり、真田がきたり……精市も――
誰かを待って弾いたことはもうだいぶなかった。
誰かを想って弾くことすら邪魔だと忘れていたのだから。
それでも指を走らせるときは、無音で……集中しすぎるものだから周りに気づかない。
悪いくせ、かもしれない。
音楽は勝負でないといいながら、どこかで勝負にしてしまう。
ただし、曲によりけり。
この曲一曲。
これだけは、どうしてもそうなってしまうし、何よりベストで弾きたいとそう願っているのだ。
右から左へ……。
親指を乗り越える他の四本が器用な螺旋を描く。
再びフォルテッシモ。
衝撃の一音。
すぐに、また駆け抜けるようなオクターブごとの繰り返しが続く。指にも気持ちいい。
無茶はしないけれど、この曲のときだけは動けますように、と時折やってるハノンがきいてるのだろうか。
「いたの?」
演奏をやめそうになったのは影を認めたからだ。
影――彼、柳蓮二はそっと「続けてくれ」といったが、やる気がそがれて先ほどの迫力は潜んでいる。
「悪かったな。邪魔をして……」
そんなことない。
フォローでもしなければファンに殴られそうだ。
そう思って小さく付け足したのだが、そこはさすが、あの真田をも抑えられる人(パート2・無論パート1は精市だ)。
「気にするな」
苦笑だけでこちらの返答を閉じ込めてしまう。
一瞬、ふとまた軽く髪にその指が触れた。
でも、それは落ち着くものでしかなく、精市のとき――あるいはふっとブン太(ブンちゃんは故意がなくても格好いいからね)が一度掠めたときみたいにドキドキはしなかった。
――蓮ちゃんの場合、昔の癖が再発したみたいなものだからかな?
それを思うと、何だか嬉しいのがおかしかった。
聞かせたくて、聞かせられたなかった演奏。それが少しでも誰かの耳に入って、楽しまれればいいだなんて私は考えたこともなかった。今まで。
ところが聞いてもらっていて、それでも変わらず一緒にいられる古馴染みがいる。
――この曲は弾ければいいくせに。しかも一人だけに聞かせられればよかったくせに。
ふてくされたような顔に戻ってしまったのだろうか。
くしゃりと、そのまま頭を軽く叩かれた。
「安心しろ、」
「何?」
演奏の合間、聞きそびれそうな言葉に首を傾げれば(集中してる分、声がでてるかわからないから、できるジェスチャーをするほかない)、相手はゆっくりと口を開いてくれた。
「神様はいるらしい」
そのまま続けて。と、目で合図をされた。
こわれるままに、指を動かせば、種明かしが始まる。
彼は、ちゃんと説明をする。私がわかる限りは。
「隣で部長会があってな。今もまだ続けられてるんだ」
一瞬弾くのを止めるべきかと思ったが、静かに、という注意はない。
不思議そうに見えるよう表情を作ると、
「精市にもたまには聞かせてやれ」
「聞こえるはずないよ?」
「さあ」
俺は仕事があるから。
そういうと、彼は出て行ってしまう。
――何を弾けと?
ただ指を激しく走らせるだけの、【革命】はこの場には即さない気がした。
一度手を止め、曲を変える。
入院するよりずっとずっと前、精市にきかせた曲がもう一つある。
あのときは、たしかコンクール関係なしにひいたんだった。
物悲しくなくてそこまで強くもない、曲。
精市は趣味じゃないかなとおもったけれど「こういうのも悪くない」って安らいだ表情をみせて……それでおもったんだっけ?
これでいいんだって。
むしろこれが私が求めたものだって。
のピアノはいいな、と笑ってくれたから、コンクールでの曲(私が選ぶ、技術として私に似合った曲)ではなくても、「これこそが」と思ったんだ。
――覚えてるかな?
BGMにはよく使われる、難しくはないが、弾ける人間がそこまで多くもない、そんな曲。
私が弾いてると伝わるはずもないのに、柄にもなく緊張してるらしい。
左から遅れて数小節。
右の指先が震えて主旋律を奏でる。
――リスト、愛の夢第三番。
* * * * * *
演奏が終わるのにはそんなにかからない。
幻想即興曲や革命よりもテンポもあって、長くはなるけれどせいぜい5分が関の山ってところだ。
続けて数度弾いて(それもどうかと思ったけれど、もしかしたら〜の可能性にかけてしまう自分が笑える)その後、音楽室の扉を開けた。
奥の部屋に鍵を返してから、もう一度そこを通ったら、見慣れたその人が近づいてきた。
「」
「何かあったの?」
白々しい言葉を流すのにもなれていても、声が上ずってしまう。
いつもなら、そこを見過ごさない精市だが、珍しく戸惑っているようだった。
「さっき、弾いて……」
話しかける内容も大体予想がついたが、聞かないふりをしたくなって、「ん?」と首をかしげた。
――ちょっとわざとらしかったかな……
恐る恐る荷物を持ち直して、顔色を伺う。
穏やかに笑っているが、その顔は……
――気づいて、くれてる?
たぶんそう。
精市は覚えてる。そうでなくても、私の演奏だと気づいてはくれたんだ。
「なんでもない」と口の上端をあげて哂ってる。
いつもならばそれは意地悪の合図であるにもかかわらず、何だか純粋に嬉しそうに思える。これが、錯覚ではないと思いたい。
「理科棟だからこっちだな」
「うん……」
別れ際までとくに何も話さなかったが、こうして帰り道でもない校内を、一緒に歩くのは久しぶりだった。いちいち、別れ際に何か話すことすら……普段もないと思う(じゃあの一言すらなしに分かれることも少なくはない)
それだけじゃなかった。
引き止めるような視線と、歩調に、誘われれば、
「今日は早くおわるから、後できかせてくれ」
視線をそらせた幼馴染から、そんな言葉が返った。
神様はいるよ……。
――そうかもしれない。
; *
to be continued……
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