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【SIDE】
「!」
鋭く名前をよびかけられて振り向く先、見慣れた幼馴染みがいた。
「蓮ちゃん……」
「ここにいたか」
「どうかしたの?」と聞くより先に、後ろからかけてきた切原君が切羽詰まった声をあげた。
「部長が!その」
「どうかしたの?!」
悲鳴になりかけたのは仕方ないことだと思う。精市は大病を患ったことがある。私が近くにいなかった時頃だが、精市が倒れたと知ったときはこちらの方がどうにかなってしまいそうだった。
――また何かあったら……
まさかの予感に息がうまく吸えなくて、胸元を抑える。
何とか事情を聞こうと顔をあげると、蓮ちゃんが肩を叩いてくれた。
「大丈夫だ、ただの怪我だろう」
すかさず切原君もこちらの焦り方にフォローをいれてくれる。
「あ、……すんません。倒れたりとかじゃないっす」
「怪我…?」
だとしてもプレイに支障があるんなら精市にとっては同じことだろう。
動けないなら死んでも同じと、こちらの気持ちなどしらずに、あの幼馴染みは考えてる節がある。
再発でなくて良かったと思う反面、詳しいことが気にかかる。
「安心しろ。何だかしらないが、急に手が痛いといったら周囲の方が騒ぎ出してな……。本人はやりたがっている。ただ無茶を言ってないとも限らないから――」
つまり蓮ちゃんの言い分によれば、精市が嘘をついてないとも限らないから、私に嘘か本当か見抜いて欲しい、ということのようだ。
「――テニスエルボーではなくどちらかというと腱鞘炎に近い状況……と思うんだが。なら分かるかもしれない」
「……わかった」
断る理由はない。
横で、怪我と私の繋がりを知らない切原君は不思議そうに首をかしげたが、大したことじゃないし説明は蓮ちゃんに任せればいい。
「Bコートだ」
場所をきき、すぐに向かう。
会場校の青学は演奏会でなれていたからおおよそわかったし精市の周辺には真田を始め、にわかに人がたまっていた。
「怪我は?」
囲んでる人々の中で明らかにテニス関係者でないだけに勇気はいるが、注目にはなれている。
中遠か、と真田が呼ぶより先に後ろから声をかけ、厳然と構える当人に駆け寄った。
「大したことはない」
「本当?」
「ああ。安心しろとからも言ってやってくれ。皆が皆病身扱いして困っているんだ」
確かに試合後らしいブンちゃんと桑原君はまだしも立海ですらない青いユニフォームの選手まで近付いて来てる。
あちらの代表……部長だろう。
眼鏡の彼はやたら心配して「だが幸村、お前……」と精市を覗きこんでいた。
「手塚も肩は完治したんだろう?同じことだよ。俺は完全に治ってると言ってるんだ」
すくなくとも病気の類ではないから、アップを続けてくれ。
そう力強く言い切る精市に、手塚君とやらは黙りこんだ。
「……」
が……同時にその視線はしきりに動いており、「だが……」と明らかに何か言いよどんでる様子が見受けられる。
どうやら理由が別のところにある模様。
――……というか、彼に限らず他のメンバー(精市を抜かす)が妙にぴりぴりしてる……?
ふと、見回して……【原因】に気付き、思わず私はため息を漏らしていた。
「手塚君……だっけ。あのね、真田の過保護は毎度だから気にしたら負けだよ」
無為に周囲を威嚇しているお人がいれば、さしもの手塚君も黙り込むのは無理もない。
真田の表情の迫力は行き過ぎだ。一瞬絶句したものの、さっと指摘した。
どっちみち、このままでは周りも動きようがないどころか、怪我の処置も出来ない。
「なっ」
顔を赤くして真田は、その後しきりにむせたふりをしている。声をあげてしまったものだから、急に恥ずかしくなったに違いない。
むっとしたというより、それを告げた『私』にビックリしたんだろう。
毎度なら精市が諌める場面だからだ。
だが、部外者であっても怪我については多分詳しいし、今はその対処の方が先。
さっとみて、「テニスエルボーの類ではない」という蓮ちゃんの指摘が正しいことを本人に確かめる。
精市は癖にならないよう、物凄く気を使っているし、プレー前のストレッチはもちろん、プレー後アイシングすることも怠っていない。
それどころか、少しでも兆候が現れたり不調を感じればガットを緩めて、ラケットのフェースを大きく、グリップを細めに………と工夫も普段からしているようだった。塗り薬を塗ることや、マッサージに付き合わされることもある。
――昨日は平気だったし、先週は練習も調整でそんなにハードではないと言ってたし……
そうともなれば、思い当たるのは一つだ。
平気だから、と真田に、手塚君をコートに戻るよう促してもらう。
その後、少しばかり声を小さめに作って聞いた。
「……もしかして、歴史の小テスト勉強で、またノート作った?」
「ああ」
注目していた周囲に、何となく気まずい空気が流れる。
「これは大したことないらしい」とどうやら気付いたようで……一人づつ近くを離れていく。
結局、残ったのは疑わしそうだというか、ただ単にタイミングを外したというか、真田だけだ。
気にしないことにして、そのまま、精市に質問を追加。
「普段のとまとめだけじゃなくて、暗記用のあれ?」
こくりと頷かれた。
――納得……
精市は暗記をする為に兎に角何でも書きなぐる癖があった。集中するのはいいが、何時間も書いて覚えるうえ、筆跡も決して弱弱しくはない。よって、手を傷つけるのだ。中学に入りたての頃から何度も同じようなことを繰り返すので、腱鞘炎気味になったことがあって、私と一緒に知り合いの外科にかかったこともある。
「って……まさか……昨日の朝までずっとやって……」
ありえると思ったと同時に、それが事実だと知らされる。
精市のふいっと視線を逸らされたから(こういうところは意外と分かりやすい。ばれてもいいと思ってるんだろうな)。
確かに件の歴史の小テストの難易度は……特に世界史は有名で、このテストと中間期末を完全に平均して成績が付けられる。精市は興味がないことにはぎりぎりまで向かわないからどうしても、試験になると「局地的に自分にとってどうでもよさそうな部分」を勝手に切り捨てる傾向があった。
その分、小テストは大事にしてるんだろうけど、一夜漬けまでしなくても……
――イメージじゃないうえ、そこまでしなくても成績とれるのに……
何度目のことかな、と思いながらも、ため息が止まらない。そのくせ、本人は飄々と、
「柳生と競争……とはいかないが、柳――蓮二とな」
「……あのね……」
考えを先読みしてくれるし。
それに、きっとまた影でこそこそ何か賭けてるに違いない。
そうでもなければそこまで執着しないはずだ。断定してもいい。
「分かったから……」
蓮ちゃんの慌てた様子からもある意味明らかだが、詳細は聞かないでおくことにした。
どうせ精市のことだ。賭けの内容は意地でも吐かないに違いない。
――降参……
手の方もみてみたが、当人の推測は痛みの出ている場所からも確かなようであるし、今動かしている分にもそこまでの傷みはないようで、これならそんなに心配しなくてもよさそうだ。
前のことがあって、皆だけじゃなく本人も多少過敏になってるのかもしれない。 倒れる前、手足がしびれていたといっていたから。
「ちょっと腱鞘炎気味だけど、酷くはないし。まあ、無理しないでテーピングだけしておけばいいと思う。真田……」
精市への小言は諦めて真田に呼びかける。
「出来るのか?」といいたそうな顔が失礼だから扱き使ってもいいかな?と思ったことは秘密だ(最近、真田へのぞんざいな扱いを蓮ちゃんに「誰かさんに似てきた」と指摘されたので余計に)
「アイシング用の氷と、水……なんていうんだっけ、あの青いケースある?」※
「ああ…わかった。持ってくる」
「あとテーピング用のテープ。軽いやつ。伸縮ある程度OKなのもお願い」
強く頷いたのをみて、精市に向き直った。
さっきの殊勝な態度はどこ吹く風、幼馴染は笑っているような笑っていないような目でこちらをジッと見て言う。
「見に来たのか」
勧めないといったわりに来て欲しそうだと思ったのに、あれは勘違いだろうか。
余裕のある表情に鼻の奥がつんとなった。
こちらの心配などどうでもいいのか、と言いたいけれど、いわせてくれなどしないのが幸村精市だ。
「約束だから」
見たかったからと素直に言えば、きっとまた哂うんだろうけれど、安心したのもあったし、本当の気持ちを言ってもいいかなとも思っていたから、口を開く。
「それに、『私が』見たかった」
精市ははっとわずかに目を開いた後、極上の――敵対する相手に同情したくなるような、どちらかというと獰猛な笑みを見せた。
「無理はできないが、きっちり見せてあげるよ」
ジャージを脱ぎ捨てて、頭にかける。
「……あ、まだアイシング」
していない。
言う前に、勝手な男はすたすたとコートに脚を踏み入れている。
「大丈夫だ。必ずやっておく。は見ていてくれ」
――部外者としては、こうなると非常に居づらいんだけれど、気にするなってことかな?
むしろ、出て行くなという証なんだろう。
止む無く、預かったジャージとタオル……それから横に置きっぱなしにされて――いかにも番を頼まれたかのような彼専用のボトルに、頭を抱えたくなる。
……というか、実際のところ、特別扱いが嬉しくて……困った。この領域に加わらせられなかった自分を哀しく思ったことなどないだけに。ピアノと同じく試合さえ始まってしまえば集中するこの領域で自分が何もできないと知っている癖に…と思うからこそ……。
――コートベンチやチームメイトのいるベンチでなく……その延長に変わりはなかったけれど、せめて一列下がった場所でよかった。
ほっとしている目の前で、精市は真田から預かったアイシングの為の氷を手にさっさと用意を始めたようだ。
ふと……もう一つの事実に気付く。
「そういえばテーピング……嫌いなんだっけ」
「逃げられた」と気付けば、横から相変わらずのフォローが入った。
「嫌だと言っていられるのだから大したことないんだろう」
いつのまにか蓮ちゃんが戻ってきていたらしい。
蓮ちゃんは、そのまま「ふむ……」と息をつくと、
「俺たちは担がれたかもしれない」
「え?何が?」
ひょいっと……これまた私にタオルを投げてよこした(これこそ嫌がらせだ。精市のだけで手一杯だというのにどうしろというんだろう)
「預かっていてくれ。精市が怒ったら置いてもいいぞ」
終わるまでの口実をくれているのだろう。
だからこそ「……つまり、怒るまではおいちゃ駄目ってことでしょ」とは文句も言いがたくて……けどそれ以上に何が「担がれた」のか聞きたくて、名前を呼びかける。
でも、蓮ちゃんも蓮ちゃんで、にっこり笑って無言のままアップに行ってしまった。
――あの笑顔に弱いって知られてるのか。
大切な幼馴染はどちらもどちらで、自分の見せ方を心得ているようだ。参ったことに、私だけが仲間はずれらしい。
――だからこそ、ストレートに教えてくれるヒトには救われるというもの、か。
予想どおり、ブンちゃんが空気を見るに見かねていたのか、駆けつけてくれた。
「お、。幸村君平気だって?……よかったな。で?ここにいてくれんだ?」
「荷物を押し付けられたんだけど、居ていいって言われても……」
「いんだよ。監督はあっちの監督と打ち合わせとかで午後はいねーし。連れてくるためなら、幸村は大抵のことはすんだから」
「……」
そういう精市の「分かりにくいところ」まで否定できなくさせてくれるから、ブンちゃんはありがたいともいえるし、困る……とも言える。
「素直に、みとけって」
彼の相方と「そうっすよ」という切原君の駄目押しに、こっそり端っこへ移動することも諦めて、静かにコートを見つめた。
どうやら何番目が誰だの、ダブルスだシングルスだの関係なく、何度か適当に試合形式で練習をすることから始めていたらしく、今コートに対峙しているのは精市と、向こうの……不二君といったか?ちょっと感じの似た彼だ。ただ線の細さと雰囲気の柔和さは精市とは違った色に思えた。……贔屓目だろうか。
「相手……迫力負けしてるっていったら怒られるかな」
「幸村君の方がパワーがありますしね。似てるとか、負けてるとかいわれるよりはよいでしょう」
柳生が説明に加わって、コートの試合を見やすくしてくれる。
――これが、精市の場所か。
好きなもの。それから、好きな場所。そして、大切で、一番なもの。夢……
「っつっても、今日の幸村相手ってのは不二には主にだろ?手塚じゃ決着付かないかもしれないってのも分からなくもないけどさ」
「手塚との試合は午後六本目に組まれている」
ブンちゃんの声に柳が返し、
「え?マジっすか」
「…………たるんどる」
切原君の声に、返答になっていない呟きを真田が漏らした(しかもこちらをちらりとみて……というところが多少気にかかった)
「何がたるんどるんだかのう」
私とは接触をあまり図っていなかった仁王が釘を指すようにつげ、此方を気遣っているように思えたが、何でだろうか。
……と、考え込む前に、やり取りが聞こえていたようで、本人がベンチまで戻って、答えをあっさり教えてくれた。
「『テニスコートは俺の領域』なんて区切ってヒトを締め出すのもばかばかしい。……のことを考えながらでも余裕だからな」
「精……」
言いかけた言葉は、「真田こそ邪推してる余裕あるのか?たるんでるんじゃないか」と悪戯な声に取って代わられ、
「証明する」
いつだって上に君臨している幼馴染は、今一度こちらに向かって堂々といいきってくれた。
困るよりも戸惑うのは、そうは言ってもこの領域が――コートやテニスが彼の場所であって私が寄り付けないと思っていたばかりじゃなく……一昨日が残っているからだろうか。
それとも、耳元でもないのに簡単に「今日だけは、私情も挟んでやる」と言ってくれるせいか。
ただそんな彼にしては甘い言葉より何より
「どのみちそれは俺のためで、どうやったところで試合の間は関係なく、ただ勝つことしか考えていないことは、なら分かるだろうが」
もらされた声の方がずっと嬉しかったから――共有できている何かを感じてるようで喜べたから……
「終わってから言って」
するりと、返事は考える間もなく出来た。
『明後日は言葉にするから……』
あの時の約束が本物なら、期待をしてもいいはずだ。
練習試合だから、で……さらに相手がそこまで精市にとって手ごわくない相手(ただ弱くは決してなく……恐らく僅差であっても毎度勝ってるといった種の相手なんだろうが)だから、であっても――いや、制約がある中でこそ、自分の領域に私を入れてくれるのならば、自分は精市に認められていると実感できる。
選手の領域とは異なっていて……もちろん私もそこに入ろうとも思わなければ、興味はあっても入れないと知って一歩退いていたことを知っていてなお……
――その輪の内側の世界を見せてくれるなら。
無理やりでも引きずり込んでくれるのなら。
思いのほか挑戦的に響いた声に、答えるかにして精市の口端は、不敵に、上向きのカーブを象り、
「あとで」
と、その響きだけを残して、踵を返した。
――でももう知ってる。
負けるはずはない。
勝利を得た彼は、また笑うだろう。
手を傷めていないか、心配する私ごと、平気だと吹き飛ばして……
コート横から審判の合図がかかる直前、精市は振り向いて相手も挑発するようなことを言った。
「十分じゃ終わらないかもな」
「赤也じゃあるまいし何言ってんだよ」
ブンちゃんに冷やかされながらも気にせず、
真田に「お前よりは早く終えてやる」と可愛くないことを付け足して(馬鹿にされる真田は……カワイソウだが、さっきこてんぱんとまではいかないが手塚君に下されたのだと後で蓮ちゃんに聞いた。精市は「負け方」にご立腹らしい)
――始まる……
初めて自分から見学にきたように、精市の中でも何かが動き出したのだと、思った。
* * * * *
十数分後、簡単ではなくとも見事なプレイで相手を下した立海の専制君主(と呼ばれていることがうちの下級生から漏れる声で発覚した)は、わざわざこちらに近づいてきて、タオルを受け取り、
「ちゃんと好きだから安心しろ」
一見、脈絡のないことばで誓約を果たした。
冷やかす間も与えず、次の試合の指示たとび、こちらにも「一緒に帰るから次も見てけよ」なんていう不遜な声が発せられるのだが。
「――言われなくてもずっと見てると思う」
口にして伝えるのは後でいい。
ただ、言われっぱなしではいられなかった。
――好き、なんだ……。
すとんと、今更ながら実感してしまった。
好きだから、違う道でもせめて見守って居たい。
別々のところで頑張るのもいいけれど、もう離れてしまう気はない。
――ましてやそれが自分には、許されているのだから。
一昨日の発言(『偶には『好き』だといったらどうだ?』)が本心でないにしろあるにしろ、帰りにはちゃんと伝えよう。
覚悟を決めて見つめたコートは、いつもより(単純なことに)近く思えた。
もう他のことなど気にかける余裕もない。
ただそのプレイを、呼吸を追うだけだ。
END
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