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塾の授業が此処まで長く感じたことはなかった。
終るとすぐさま教室を飛び出て、先に終って階段を下りていた隣のクラスの子の中からを探し出す。ほとんどの授業が同じクラスだったが、あいにく今日の科目――英語のグレードだけは別なのだ。
ほどなくして彼女は出てきた。
自分が待っていたことに驚いた様子で、「何?」と尋ねる。
いつも先に終ると、こちらは先に帰ってしまうこともあるから仕方ない。
「気づいてますか?」
僕はすぐ本題に入る。
もしも、声に――彼女の目が動揺していたら、ここまでかき乱されなかっただろう。
でも、僕はその一言への反応で、は「わかって」いるのだと了解してしまった。
「出ましょう」
は了解の返事の代わりに、好奇の目から逃れるようにして教室を出た。
僕が迎えにきたことも、そんなふうにが振舞うことも始めてだった。
マフラーをかけなおして、鞄を自転車かごに預けると、何事もなかったかにして今度は並んで歩き出す。
その自然さが今は可笑しい。
先ほどとのギャップのせいで、少しも変わらない動作が不自然に思えて仕方なかった。
――イライラが募るじゃないですか?
「裕太君はアナタを……」
荒げようと思って出した台詞にぽつんと、声が重なる。
「計算間違えしたね。お互い」
「……そう、みたいですね……」
毒気を抜かれて、僕もぽつねんと返す。
――そうですね……確かに。
侮っていた、子供だと。
でも、今ならわかる。
それは裕太君がどうだとかじゃなくて、単に僕が彼にそうあってほしいと願っていたからだ。
今もその気持ちは変わらない。
そもそも裕太君の真っ直ぐさはまだ損なわれてなどいないのだ。
……僕らの秘密が露呈しなければ。
どうでもいいと思いながら、僕は結局のところ、裕太君を駒として見られていない。
は以前それを知ったとき、こちらが半端であることを「曖昧なことをそのまま曖昧にしておけるのってスゴイと思うよ」と言った。
「僕は彼が羨ましいです」
は「うん」と首を振り、全て見てるよと確認するように僕に
「観月が認めるなんて珍しい」
笑いかけ、一瞬止まったが、またすぐに進みだしてしまう。
ほんの数歩前、差し出そうとした手が今度は彼女の肩に触れそうになった。
だが、正確にはそれも出来ずに空を切り、その瞬間タイミングよく彼女が振り向いたことで、細い腕に当たる。
触れた手を見つめ、が言った。
「ねえ観月?なんで遠慮してるの?」
「何、馬鹿なこと言ってるんですか。元々貴女なんて趣味じゃないんですよ」
何を遠慮しているのか?
言葉は何もさしていなかったのに、僕は「彼女」を引き合いに出してた。
――なんだ、これではまるで、肯定しているようなものじゃないか?
動揺を見抜かれないように、気持ちを切り替え、掴んでしまった腕を離す。
「もっと真っ直ぐでいいのに」
「なれるなら苦労しないでしょう?」
「貴女も」と付け加えながら、彼女の髪を撫で、感触の冷たさに何度も繰り返す。
――まだ落ちてません。
まだ……。
証にキスはしなかった。
掬った髪の合間から見えた唇はぎょっとするほど朱かったし、荒れた唇を唾液で潤そうかなんて生々しい想像まで働きもしたが、自分からは一歩も踏み出していない。
――まだ勝ってる。
誰にともなく呟きながら、ふと誰かが笑っているような錯覚を覚える。
近づいてきた彼女になすがまま腕をとられてしまっている自分……。
不安に、周囲を見回すが、木の葉の落ちる音と静かな息遣いしか聞こえない。
……もしも、この光景を部員が見たらどうなるんでしょうか?
赤澤の馬鹿あたりに見られたら吃驚されそうだ。
木更津ならば同情半分にクスクス笑い、あひるは真っ赤になる。
――じゃあ裕太君は?
あひるに近い行動をとるだろうはずの彼の行動が何故想像できない?
するとタイミングよく彼女は立ち止まった。
別れる十字路まで後数歩。
「観月?」
「なんですか?」
踏み出さないの、俯いた様子に不安になって声をかけた。
すると、はこちらを向いて、切なくなるような仕草でぎこちなく顔をほころばせ、
「ありがとう……」
「っ」
お礼を言った。
……なんで、こうも人を脅かすんだ、この女は。
勝手に同情で動いて、番狂わせを演じて……そんな人間にこうも心をかき乱されるなんて……
――僕には許せない。
なのに……。
「ありがとう。態度変えないでくれて」
「いえ」
それだけじゃないんですよ。
そうじゃなくて……もっと……。
ああ言葉が足りない。
――言えないんです。
「真面目に困ったけどここからが腕の見せ所だから」
――見せなくていいです。
駆け引きなんか嫌いなくせに、なんで貴女は認めないんですか?
貴女の方がよっぽど意地っぱりで……よっぽど……
「憧れのおねえさんていいよね?」
彼女はそういったのだけれど、今度こそ目が泣いているようにしか見えなくて、
「さあ?そうなれればいいですが、貴女相手なら幻滅もさぞかし早いでしょうね?現実を知るのは大切なことですからちょうどいいでしょう」
僕は皮肉で返しながら、顔がますますゆがむのを感じていた。
ふってしまってくださいとは言えない。
叫びたくなっても、笑顔を繕う『らしくない彼女』に辛くなっても、「ありがとう」に封じ込められてしまったから益々言えない。
ただ、それでもいつの間にか強く引き寄せた肩から手を外せないでいた。
驚いた顔をせず、「寒い?」と笑ってマフラーをかける女を、滅茶苦茶にしたい衝動に駆られながらも、ついには何もできないままいつもの帰途に着く。
別れの場所が過ぎても、
「もう少し先まで送りますよ。最近変質者が多いですから、貴女とはいえ危ないでしょう」
「一言余計」
「んふっ……」
色々理由をくっつけて……。
もう少しだけ一緒に歩くことを自分に許した。
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