|
今日も学校は休んだが、熱は昼過ぎには下がっていた。
薬のせいだと分かっていたが、今――五時半なんて半端な時間に飲んだから夜まではもつだろう。
仕事で母さんも出てたから、家を抜け出るのは簡単だった。
塾は五時スタートで、七時終わり。
私はそっとベッドを抜け出した。
こないだのことは失態だった。
不二周助は分かったにちがいない。
間違えても弟に知らせるようなことはないだろう。
けれど、安心よりも先に、不二のことは私にとって『もっと徹底して観月を意識しないようにしなきゃ』という戒めになった。
――ヤツが特別聡いからって、絶対バレちゃいけなかったのに……。
この調子じゃまずい。
焦燥が募る。
ただ、それでもルドルフに行くことを諦めるなんて考えられなかった。
――……離れてなんてやるもんか。
裕太とじゃない(裕太は裕太で大切だけど)。
皆と、なんて、甘いことももう言わない。(みんなことは大好きだけど)
ただ、観月とだ。(我侭っていわれてもいい。本当に大切ならそんなもんでしょ?)
観月のそばに居る為なら嘘つきでもいい。
もしここで泣き言を言ったり好きだと認めたりしたら、観月は私を切り捨てることしかできない。
部活と本人の気持ち、両方を考えて、裕太に遠慮したうえ――私にまで罪悪感をもったままいるなんて、観月には耐えられないから。
優しいからじゃない。弱いからじゃない。
――馬鹿なんだ、アイツは。
予想なんて簡単につく。
私でも多分そうするだろうし、観月はこういう肝心なところで私そっくりな行動にでる。
私は慌てて用意を始めた。
熱を理由に動いてしまった方がいい。
勢いに任せて、着替え、コートをとってマフラーを巻く。
出来るだけ厚着をして、オマケに帽子まで被ってみたけれど、鏡の前で見た自分があまりに可愛くないから我慢して外す。
「寒っ……」
熱のせいか、気候のせいか分からない。
外に出ると、吹き付ける北風に震えた。
逆に頭はすっきりしてる。
――さあ、しかけよう。
今度こそ最後にするんだ。
* * * * * * * *
数十分後、私は塾の最寄り駅までついて、いつも観月が通る道で待ち伏せをしてた。
観月が来るバス停の近くの公園で。
十分くらい立った頃だろうか。
悴んだ手を擦り合わせていたら、向こうから人影が見え始めた。
帰宅する生徒でこちら側の道を使う子は限られてる。
ばれるかなと警戒したが、必要はなかった。
細身の特徴的な髪型――すっきりした表情の綺麗な少年は観月本人だった。
観月は私に気づくと目を見張った。
「、今日はなんで休んでたんですか」
―― 一言目にそれはないじゃない?
でも、今日は塾は休んだのだ。
ずる休みだと思われても困る。
融通の利かない彼に、私は答えを悩み――結果として一番正しいものを選んだ。
「最近考えすぎて可笑しいの」
言いながら手を掴む。
観月は荷物をその場に置くと、手袋を外して、その手を掴んだ。
――あ……怒った顔……。
「寝てなさい」
その後、手早く額に手を当てるが、冷たさで熱が分からないらしい。
おでこにおでこをコツンと当てて、それでも図れなかったらしく、私を抱きしめた。
「ううん。治せるってわかったから来た」
ちょっと辛くなってたからほんの少し体重を預けて、私は囁く。
本当はしっかり口に出そうとしたのに、弱弱しくなってしまった。
――やっぱ熱下がってないのかな。
「そうですか」
強がりでなく、体調のせいだとわかっているのか、いないのか。
観月は大人しく頷く。
それから口を開き変えたから、「このまま来ない方〜」とか観月が言い出す前に、
「観月……」
私は耳に囁いた。
風邪は知恵熱と雨のせいだが、観月のせいでもあるんだから、大人しく利用させてもらう。
「観月……」
「何です?」
沈黙だったらごまかせたかもしれない。
でも、ヤツは其のときに限って言葉を返したから、私は素直に続けてしまった。
「協力してね?」
何が「ね?」だ。
そんなこと言っても可愛い柄じゃないのに。
その手から自分の荷物を奪って笑う私を、観月は案の定呆れた顔で見てきた。
私に対し、観月は動く気配がなかった。
離れるのはいやで、所在がなくなった私は彼の腕の中で俯いた。
我ながら阿呆なことを言うなぁと思いながら、おずおずと口を開く。
「絶対、私を好きになっちゃ駄目だよ?」
「何を急に馬鹿なことを……」
うん、馬鹿です。
阿呆です。
そんなこと天地がひっくり返ってもない。
観月は素直じゃないし、塾で夜、授業の終了が遅いとき待っててくれたり、別の方向なのに一緒に帰ってくれたりするのが私の自惚れだとしたらなおのこと。
――そうだ、遊びに行ったのも、名前を呼んでくれたのも気紛れだったらいい。
期待したのが私だけなら問題ないのだけれど、
「念のため」
一言で、後を封じた。
「例えばキスしても……」と唇を辿り、「もっと先の関係に成り行き上なってしまっても」と近くなりすぎた距離で覗き込む。
それから嫌われない程度にまた距離を取り直した。
引き寄せようとした腕を振り払う。
――もともと君は人に不用意に近づかれるのは好まないくせに?
でも、手だけは腕から離さない。
ふらつくほどじゃないのに『風邪だし』と言い聞かせてる自分が嫌だ。
「そんなことありえません」
観月はそんな私の気持ちは知らず、既に落ち着きを取り戻していて――
そんなヤツの乾いた口調に嬉しくなって、私は、
「ありえなくてもそうなったら分からないでしょ?」
と焚きつけた。
「……っ……」
真面目な目に観月は声を詰まらせ、彼の高いプライドが揺り動かされるのを対になった瞼の向こうに私は感じた。
好都合。
たぶん私も同じだから、ヤツが何を考えたかは想像に易い。
「そっちこそ。まあそんなことはないでしょうが、あったらあったで騒ぐんでしょうね」
「騒がない」
「言い切りますね」
「試してみれば?」
観月はまた口を閉じたのだけれど、今度は絶句ではなく、私に仕掛ける為のタイミング。
すぐに赤い唇が噛み付いた。
「ぁっ……」
何度も角度を変えて啄ばむ様に、乱暴だったり慈しむようだったり、観月は手を緩めない。
可笑しくなりそうで引き下がっても、捕まれた腕を離さない。
――観月は平気でしょ? 好きにならないんだから。
言いたい台詞が出て来ない。
髪に侵入する指が冷たく、気持ちよかった。
――今日は熱を理由にして……でも明日は?
呼吸も忘れて夢中になった長すぎる口付けは罪悪の味――ざくろみたいなすっぱさが残った。
たぶん、行きがけに噛んでたラズベリーのガムのせいなんだろうけれど。
これで今、何をリセットしろと?
負けたのはそっちだ、観月。
それでも、後悔した度合いはきっとこちらも同じだ。
|