「やっぱ帰る……」
「駄目です」
引き止めたところで、自分が何も出来ないことなど分かりきっていたのに、声が出ていた。
「――勝手になさい」
言い換えたところで、自分が何を考えてるのかなどとっくに伝わっているだろうに、それでも言わずにはいられなかった。
* * * * * * * *
ポットでいれた紅茶はいつもより美味しくなくて、飽きた僕はカップを置く。
喉が渇いて仕方ないというに、何故かこれ以上飲みたいとは思えなかった。
別の理由で喉がひりひり痛んだ。
隣に座る女が悪い。勉強机の椅子以外座る場所がないせいで、ベッドに腰掛けてるのも十分問題だった。
――貴女のせいです。
ちらりと見たら目があって、ますます苛立たしい。
「もう近づかないで下さい」
きつく言う気が、拗ねたような口調になってしまい慌てたが相手は分かっていないようだった。
ただし離れようとしたとき、手を引かれて自分の間抜けさを再認識する。
あんまり焦っていたものですっかり忘れていたのだが、紅茶を渡したときからずっと隣で手を重ねたままだった。
――恥ずかしさ二倍増しじゃないですか。
自然を装って視線を外したが、手は離れなかった。
「待ってろって入ったのはそっち」
「こんなに遅くなるつもりはありませんでした」
否、最初から計算していた。
我ながら馬鹿なことを試してしまったものだ。
彼女はいる。
部屋には二人きり。
遅い時間。
――どうもできないくせに。
「あの日と同じみたい」
「違いますよ」
即答して手を払う。
タイミングとしてはちょうどよかった。
「そうだね、観月は優しくない」
――出来るはずがないでしょう?
そうしたら歯止めが利かなくなる。
だが、凶暴にもなれない。
ただ、現状維持をするだけ。
あの日から前に戻ればいいだけだ……分かってる。
好きだとお互いに気づかなかった頃みたいに。
あるいは、後輩の気持ちに彼女が気づくより前に。
は絶対泣かないし、認めないだろうが、気配が哀しくなってる。
ここらが潮時だ。
僕は席を立った。
「部屋……出てるから寝て下さい」
このまま二人でいるのは流石にまずい。
男だからとてそういう気分になる日とならない日があるが、今日は日が悪いし、相手も悪い。
「……何それ?」
人の気持ちも知らないではこちらを睨んだ。
いつもそうだ。
ここのところ、は笑いながらも微妙に眉間に皺が拠っている。辛そうに見えるのは気のせいじゃないはずだ。……誰のせいかはなるべく考えないようにしているが。
――ブスになるでしょうが……。
ため息がこぼれる。
なんて馬鹿なんだ?
――どっちがでしょうね。
「お願いします」
「……嫌だ」
「、我侭を言わないで下さい」
「平気でしょ?一緒にいても。……何もないんだから」
『キスしても……例えその先に進んだとしても……』
の声が舞う。
――誘われてるのでしょうか?
……そうだとしたら?
――馬鹿なのはこっちだろう。何を考えてるんだか……。
『何もない』のだ。
「相手に何かしたいとは思いませんが、誰でもいい気分にならないとも限りません。僕も男ですから」
「……生生しい」
「仕方ないでしょう」
軽口で場が和ませて、僕はさり気なく席を外そうとした。
は追ってこなかった。
――それでいいんですよ。
* * * * * *
数十分、外で時間を潰し――といっても寮の人間に見つかるわけには行かないから、屋根裏へ続く階段辺りでぼーっとしていた。自分が滑稽に思えながら――部屋に戻ると、はうとうとしかけていた。
起してはいけない。
僕は静かに部屋からでようとした。
すると、は人の気配に目を開け、視線が一瞬交わる。
次の瞬間、彼女はすとんと眠りについた。
そのときの安心しきった表情をみてしまったこちらは呆気にとられながら、部屋に滑り込んだ。
勉強机の前の椅子を音を立てないように移動させ、ベッドからなるべく距離を取って腰掛ける。
それでは落ち着かず、結局僕はベッドの前に膝を付いた。
はベッドの上で横になるでもなく、崩れた体育座りのまま寝てる。
しばらくは寝息に悩まされながら、置いてあった本の文字を辿ったが、十数分もたたないうちに諦めた。
だが、その頃には心臓のざわめきが大分マシになっていて、さっきまでの焦った気持ちは嘘みたいに消えていた。
ふと寝てる彼女を起さないようにと甘いことばかり考えている自分がいることに気づく。
長めのスカートでよかったと苦笑しながら、ゆっくり体勢をずらしてやり、横たえた。
布団をかけてやったとき、触れてしまった髪は恐ろしいほど柔らかかった。
不意に鼻の奥がつんとする。
自嘲してももう遅い。
――睡眠不足決定ですね。
明日、体育がなくてよかったと壁の時間割を確認してから、これ以上はもう見ないでいようと決め、最後に一度彼女を覗き込んだ。
特別綺麗でも可愛いわけでもない顔だが、睫毛の長さと、涙を堪えていたのだろうか――目じりについた雫に、意味もなく指の先端が痛みだした。
――心臓とダイレクトに繋がっているとはよくいったものです……
あの夜の口付けでも同じような痛みを感じた。
思い出すだけで体が熱くなりかけたから、すぐに距離をとってしまったが、もう認めざるを得ない。
は自分にとってネックなのだ。
すきだとは言いたくないが、ともかく困る。彼女がいないことも、彼女がいることも。
裕太が彼女を好きになったからといって奪ってしまえばいい。テニスと彼女を比べることが出来ないからそうも簡単にいかないが、本当は簡単に手に入るはずなのだ。
だが、彼女と来たら、自分がそうした後悔やむことまで考慮していて―― だからこそこちらも一向に素直になれない。
都合がよすぎるのも考えものだ。
お互い、プライドの高さが邪魔をする。
――下手なプライドなんて持つもんじゃありませんね……
そう、彼女は誤解している。
――……僕は気が短い方ですよ。……本当のところ、待つのは得意じゃない。計算のつかないことにはイライラする――。
触れることは許されない。
泣きたいのはこっちだと思いながら、やけになって零すのはこんな機会でもないと胸に沈下させてしまいそうな本音で、まだ全て認めきれない気持ちだ。
「曖昧なままでいられるのは才能だと言われましたね――そう見せられていてよかった……」
――がそう思うから、僕はそういられるんです。
意地の張り合いでも、牽制し合えてるうちは平気なのだ。
着かず離れず、このままいける。
いつ終るのだろうか――ただそれが見えないだけで……。
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