回答は戻らない(柳沢SIDE)

「顔色悪いだーね……」

「ん。ちょっと寝不足だからじゃない?」

「……嘘はよくないだーね」

「嘘なんてついてないよ」

 は水道を捻りながら可愛くない口調で「ダーネ」と呼んだ。
 その声に少し安心して……。
 でも、それ以上何も言おうとしない様子に(普段ならまくし立ててくるはだーね)すぐに不安も覚える。
 部活は休憩中。
 水場まで出てきているのは自分と彼女だけで、他の部員はまだ水筒に張り付いているだろう。
 寒い時期とはいえ、動けば身体は水分を欲するのだ。
 休憩の重労働を終えたがタオルを洗う音だけが響いてる。
 二年は今日明日は自主練のみ。三年の参加者は今日は赤澤と自分、それから不在のマネージャー代わりに彼女。
 話させるのにはちょうどいいかもしれない、そう思う。
 ――簡単には白状しないかもしれないだーね。聞いたら息がつまるかも……。
 それでも、何となく今ならば、という予感がした。

?」

 嗜めるでもなく、何も分からないといった風でもなく、曖昧に疑問符をつければ、彼女の目がかすかに揺れた。
 開きかけた唇が再び閉じてしまう瞬間を歯がゆい思いで見ながらも見ぬふりで、自分も横の蛇口を捻った。
 水が冷たい。
 持ってきたタオルをほんの少し、片端の一部だけ濡らして時間をやり過ごした。
 はそのまま何事もないように、布を絞っている。
 ――待つだーね。
 水滴が軽くぽたぽたと流れて、コンクリートに吸い込まれていく。

「……ぃ……」

「え?」
 何か声が聞こえた……と思うと、やがて…

?!大丈夫だーね?」

 ふらっと少女の体が崩れかかったのはその直後だった。
 ――『を追い詰めちゃ駄目だーね』……
 淳に持ってた感想がふと脳裏をよぎった。

 *    *  *  *  *  *
 あれは確か観月が寝不足だった日のちょっと前のこと。
 部屋に入ると、いつになく不機嫌な淳がいた。

「ねえ柳沢。観月の馬鹿、殴ってやりたいんだけど」

「何でだーね?」
  
「なんでもない」

 淳が観月にキレてる理由は何となく検討がついたが、こればかりは分からないふりをしようと思った。

 ――そうじゃないとが大変だーね……

 観月との関係に気づいたのは本当に偶然だった。
 最初は予感程度。
 その後確信に変わる。
 手伝いに来るようになって一週間、観月が折角連れてきた臨時手伝いの彼女をこき使いすぎると話題になって、のフォローに行く人選をした(じゃんけんで公平に)
 結果負けた自分が水筒用意に行って見たものは、なんだかんだ文句をつけながら手伝いをする観月と、仕事をさせられながら怒った顔していても頬が赤い
 いつもどおりのはずの、場面が新鮮に見えた。
 二人とも意地っ張りだーね。好きなら好きって言えばいいだーね……全く。
 そう思ってそっとしておいてから一ヶ月もたっていないのに。

「観月は試験の前だから我慢するしかないんじゃないのか?」

 ……と、理由にかすらない程度の理由を言ってみたら、淳は「そうだね」と気のない返事をして、また本を読み始める
 ――あれ?淳は知ってるのか?観月の特推の話、試験の日程は聞かされてないと思ってただーね……
 知るとますます不機嫌になりそうなので、黙っておくことにする。 
 観月がイライラし始めて、の調子が悪くなった理由は『進路』だが、本当のところ【何か】あったに違いない。

ってどんな子だと思う?」

 急に淳は聞いて、こっちは現実に引き戻された。
 ――どんな子、だーね?

「うーん……観月に似てるような似てないような……要するに意地っ張りなんだーね」

「だよね。プライド傷つけたかな」

「何かしただーね?」

「僕は思ったことはっきり言っただけだよ」

 ――淳の場合、それが結構きついんだーね。
 それには……

「追い詰めちゃいけないタイプもいるだーね」

「観月とか?」

 そう。
 それから……
 ――を追い詰めちゃ駄目だーね。
 言葉でなくても自分に厳しいところがあるから……。
 ――気づかない振りが優しさだーね。

 *    *  *  *  *  *  *  *
 思い出した記憶は鮮明で、そのせいか動作が止まってしまった。
 幸いは倒れず単に眩暈がしただけらしい。(十分それも一大事ではあるが)
 すぐ自分で体勢を建て直し、へらへらと手を振っている。
 どうやら大丈夫だという合図のようだった。
 下手に手を貸せば怒るだろう。
 さり気なく「何やってるだーね」と観月を真似て手を出したら……
 ――あ、取った……
 そのまま、素直にベンチまでエスコートされてくれる。
 ――重症だーね?
 
「軽い貧血だーね」

「ただの寝不足」

「同じだーね。原因はそうでも今のは病人だーね」

 断言すれば、はむっとした。
 タオルを――勿論彼女の――軽く顔に押し当てる。
 は「寒い」だの「気持ち良い」だのぶつぶつ言いながらも受けとめて、やがて手に持ち直した。

「誰か呼んでくるだーね」

「……送ってもらうなら赤澤呼んで。一番デカイから」

 続けてあからさまに不本意な声が飛ぶ。
 ――……あー…なるほどだーね……。
 
「何?」

 なんでそんなに鋭いのか。
 ぎろりと視線がこちらに向かう。
 ――悪口のつもりじゃないだーね……。
 でも……

は背が高いだーね」

「そうでもないし」
 
 背のことを持ち出したのはそっちなのに(恐らくその理由で合ってるだろうに)、口をとがらせてる。
 怒ってるとも拗ねてるとも着かないが、気にしていたのか、また無言になってしまった。
 ――そういえば観月も身長のことは気にしてるだーね。
 思い出したらタイムリーなことに、「……観月よりは低いもん」と返事がある。
 ――……基準はそこだーね……?
 本当に仲がいいのか悪いのか分からない――おかしな関係(当然前者だーね)。

、最近無理してないか?」

「んー。ちょっと」

 今日は珍しいことだらけ。
 苦笑したの声は不自然に明るくて、俺は内心怯えただーね。
 でも、普通そうに取り繕って訊ねてみる。

「観月と喧嘩しただーね?」

「ううん、そんなんじゃない」

 薄く笑う様子が、昔の淳を思い出させて(アイツも全く駄目なヤツだっただーね)何故だか無性に腹立たしくなった。
 は笑ってるのに笑ってない。
 ――しかもこれじゃ観月と関係あるって認めてるのと同じだーね。
 『らしく』ない。
 予感どおりの彼女の弱音が嬉しいのか、嬉しくないのか……自分でもよくわからない。
 ただ、『淳の失敗』が、そこに覗けた気がした。

「がぁっ!うだうだするな、だーね!」

「『がぁ』って……」

は文句を言って、観月を困らせてるくらいがちょうど良いだーね」

 俺はの顔に休憩で取り替えたばかりの、自分タオルを、もう一つ押し付け、泣き顔を見せないようにした。
 笑顔が泣いてるみたい、だなんて、下手な歌詞みたいだけれど思ったのだから仕方ない。
 ――調子が狂うだーね。

「そのまま、大人しく待ってるだーね」

 いつもより強い調子で良い含めたら、の体がびくっと震えたが見なかったことにする。
 その足で、急いで昇降口に一つだけある自動販売機に走った。
 コインがないことに気づいて、ハウスに戻り、赤澤に状況説明の代わり「」と一言告げて、また戻る。
 迷わずにスポーツ飲料水を買う。
 貧血と安易に決め付けたが、がハードな仕事のわりに何も飲んでいなかったことを思い出したからだ。
 時節とはいえ、夏場の脱水症状まではいかなくても水が足りずに気持ち悪くなることはある。
 寒いと文句を言われたときを見越して、ついでにもう一つ身体によさそうなレモネードの缶も抱える。
 ……自分に使い走りの才能を見出せそうで嫌だ。

 *    *  *  *  *  *  *  *
 戻ったときは頭を垂れて、手で抱えるようにしていた。
 一回り小さく見えてぎょっとしたが、冷静に近寄ったら、

「あーもう……むかつく……」

 いつもの彼女がいて、ちょっとほっとする。
 ――心配させてくれるだーね。
 腹がたったので缶を首におしつけてやった。

「ぎゃっ」

「どこから声をだしてるだーね」

「ダーネが悪い!」

 ――ああ、そうだーね。
 段々調子を取り戻しつつあるに呆れつつ……
「でもあんまり無茶しないでほしいだーね」
 本当に心配したんだから、と教えるようにプルタブを開けて渡してやった。

らしくないだーね」

「じゃ、ぶちまける」

 あっけらかんと彼女は笑って、缶を受け取る。
 つられて軽口を叩きたくなった俺は、 
「『そういうことなら許してあげてもいいですよ…んふ……』だーね」
 観月の真似を分かりやすくやり、

「どうしよう、柳沢が良いやつに見える」

 はそうぼやくと小さく「ぷっ」とふきだして――やがて声をたてて笑った。

「酷いだーね。いつでも俺は良いやつだーね」

「さあ?……でも、おかげで悩んでたのが吹っ飛んだみたい」

 今のところは、と付け足す慎重さが彼女らしいが追求しない。
 飲み物の蓋を開けて一気に仰いだところをみるとやはり水分不足だったようだ。
 ますます白く見えてた顔を覗くと、何となく赤みがさして見えた。
 気のせいかもしれないのだけれど。

「よかった。じゃあ、今日は早いけど上がるだーね」

「……ん。あ、でも――……心配するから」

 は誰が、とは決して言わない。
 話してくれる予感もあるが、ここで言ったら「」じゃないのかもしれない。
 ――観月が弱音を吐いてはいけないと思ってるのと同じだーね。
 
「たまには皆を心配させた方が良いだーね。みんなヒト使い荒すぎるだーね」

「――そっか」

 神妙に頷くのも「らしくない」。

「じゃ、『背の高い』赤澤を呼ぶだーね?」

 馬鹿をききながら、「むかつく」と返されて、本気で安心する自分がいたのは言うまでもない。
 彼女が飲まなかった生暖かいレモネードの缶を手に何度も何度も頷きたくなる。
 ――それでこそだーね。

 を追い詰めないこと――それは出来るだけ知らぬふりで、でも手の届く場所にいること。
 なんで、分かったか?
 そんなの、普段の彼女を見てればわかる。
 ――一緒にいる観月の真似をすればいいだーね。
 んふっと笑うのはもう御免だけれど。



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