切欠を知る (SIDE観月)
 始まりを覚えている。
 全てのきっかけも、あの手痛いミスも……。

      *     *    *    *    *    *    

「ごめん……初対面でなんなんだけど、プリント、みせてもらってもいい?」

「忘れたんですか?」

「朝まできっちり用意してたのよ!!机の上に……。めちゃくちゃ頑張ったんだから!……」

 そういっては思い出したのか、急に情けない顔をした。
 その顔がどこかの部長を思い出させて(あそこまで間抜け顔にしたら悪いが)ついつい

「いいですよ。今度からはしっかり持ってきてくださいね」

 僕はプリントを差し出した。
 次の週、彼女がまた忘れたことは付け足す必要もない。
 人間ってのは繰り返す生き物なんですよ。
 ……彼女の場合は悪いが単なる「赤澤体質」(通称;間抜け)だという気もするが。
 そのくせ意外と成績はよく、しっかりものだったから嫌な印象は受けなかった。


 そんなこんながきっかけで、僕は彼女と塾の帰り道、話をするようになった。
 なんというか話し好きでうるさいタイプだと思っていたが、彼女はわりと聞き上手で、気づけばクラブは勿論、部活動の後輩との関係まで話は滑り込んでいた。
 そう、青学との試合後の裕太君とのことまで。
 とはいっても、問題は何もなく、僕は以前どおり彼に慕われていたが(不二周助が利いたら心底嫌がるだろう)話をするごとに、自分が意外と根に疑問を抱いていた事実が露呈して新鮮だった。

「難しいね。……でも信用はされてそう」

 ずっと黙って聞いていた彼女はそう言った。

「かもしれませんね」

「それが辛い?」

「……いえ自分で決めたことですし。当然のことでしょう」

 試合なのだからそうした。
 一般的に道徳が云々でなく、利益は利益。
 別物としてやはり換算されてしかるべきだと僕は解釈してはいる。
 だが当然割り切れない気持ちがあるのも本当でイライラする。

 ――何故わからないんだ?
   俺たちのいる危い状況を。何故誰もっ……


「綺麗なお姉さんは好きですか?ってやつ」

 が突然言い出した。
 前ふりもない言葉に吃驚したが即答。
  できるだけ自然に……。

「柄じゃないでしょう?」

「かも。でもね……だからこそ利くと思うよ?」

 そういって、彼女は意味深に微笑んだ。
 小悪魔め……これだから女性は、と、いつもなら付け足すだろう。
  だが、口からすべりでたのは、
「いいんですか?」
 ……という小さい了承確認の声だけ。

 ――貴女は男嫌いで……。

 正確に言えば馬鹿で阿呆で見てくれや何となくの雰囲気で判断する人間が大嫌いで、半分以上性を疎んでいるような人なのに……。
 話をするごとに鮮明になってきたこの人の有り様と、その提案を比べて、正直驚かされた。
 「利益重視」と割り切られても尚、不可思議だ。

「貴女にはメリットがないんですよ?」

 だけれど、彼女はさっさと問題をかぎつけて――それだけでなく、ずかずか土足で入り込んで、更には勝手に解決方法まで提示している。

「観月への恩返し」

 あからさまに同情だといわれても(恩返しなんて同情にしか聞こえない。お返しも何も、既に友人となってしまった今、何か返せと要求するつもりなんてないのだ。そんなことは彼女も知っているのだ。だからこれは同情?なのだろう。あるいは何か別の単語もありそうな気もしたが自分では思い当たらない)断れなかった。
 嫌じゃないのは何故だ……?
 わからないと顔に書くと、言葉にする前に読みとられてしまう。

「影であれこれ阿呆なこと考える人は嫌い。でも、観月はものの価値はしっかり見て決めてる。人に左右されない。……似てるけど私よりずっと小利巧だ」

「褒め言葉のつもりですか?」

「違う。真実」

「言ってくれますね」

「利益重視なら女の武器もある程度許してくれる?」

「なんてことを……」

 ――はしたない。
 でも頼むのは僕です。
 そしてそれをこなすのはこの目の前の、女であることが何より苦手な彼女だ。
 そこでふと思った。

 ――なんだ?似てないか?

 それでいて、驚くほど違う二人。

「私はね、使うのは当然だと思うの。仕方ないじゃん?配分でそうなっちゃったんだから」

「ですね」

 割り切りのいいところは好きですよ。
 信用できる部分は確かに多いのだ。
 でも……。

「わかってる。今回は暗躍お願いじゃないんだからそう馬鹿女みたいな誘惑はしないよ?」

 そういうの一番嫌いだってわかってるでしょと言外に言う彼女に、
「ええ、心配してませんよ。貴女はせいぜいいい相談役のお姉さんどまりでしょう」

「酷っ」

「本当のことですから」
 ……と、いいつつも、侮っていた自分がいる。

 *    *  *  *  *  *  
 自分こそあのとき、彼女をその程度どまりにさせたかったくせに……。
 そこで危惧するべきだったんだ。

「へえ観月が女を……」

「本当に友達みたいだね……クス……」

「可愛いだーねー。でも本当に珍しいだーねー」

 そんな予想通りのみんなの反応に満足したりせず……

「裕太君、こちら僕の塾の友人です」

「こら、観月。名前くらい紹介してよね?」

「自分で言えばいいでしょう。口は何のためについてるんです?」

 好感を抱かせる程度の、僕との距離感。
 不二周助との接触は真実極度にない貴重な人種。
 (実は彼女にクラスメートだと、こっそり裏を取ったが彼女自体も不二周助という人間がどういう意味合いを持つか知らない)

「あ、あの、……観月さん……」

「わかったって。自分で紹介すればいいんでしょ?――です」

 放っておいたりせず……

 僕は、裕太君のアフターケアを彼女に任せて、また普通に戻った生活をエンジョイ――はできませんが、仕方ないです。テニスも学力もとかくうちの学校は実力重視ですから、まだ辛いポジションには変わりありません。負けましたし――ともかく通常通りに戻ろうと思っただけです。
 でも……
 そうしなければよかったんだと数ヶ月後、その瞬間を悔やむことになる。

「えっと、不二君…は違和感あるよね(アレがいるし)『裕太君』だと観月と被るから却下ね。……面倒だ!裕太!……でいい?」

「え、あ、いいですけど……」

「じゃよろしくね」

 さして会話をせず、相変わらず僕にまとわりついていた彼女を役不足だとたきつけて、引き剥がしてでも帰らせるべきだったのだ、と……。
 さんざん思い返すこのときのことを、僕はあのときあまりに自然に通り過ぎていた。





BACK