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早めにコートに来るのは元々の習慣だったが、俺は最近ますます早い時間からアップを始めるようになった。
観月さんとのことはすっかり吹っ切れて(っていうのも何だか可笑しいけど)普通に練習に専念できるせいもある。
ついでに言えば腕のこともある。
トレーニング前後に念入りにストレッチを始めてみた。
相変わらず観月さんは特に注文しなおさなかったが、「無理はしないように」とのみ告げた口調が例のお母さん染みた口調で(いつも皆そう言ってる。観月さんって絶対女系家族だよなぁ)俺は素直に返事した。
マジなとこ、あんまり無茶しないようにしようと思う。
周助の言い分もだけど、こないだサエ兄と試合したときもさり気なく忠告されたし(あの試合勝てたのも奇跡だ。サエは兄貴の幼馴染で、俺もちっちゃい頃から遊んでたから信頼できる人だ。兄貴がサエサエサエサエ呼ぶもんで、俺は名前だと信じ込んでたからそんな呼び方をする)
それから……
『観月のこと、あんまり信用しちゃ駄目だよ』
そう苦笑した先輩の調子が、あながち彼女が観月先輩と天敵だからって理由だけじゃなさそうだったから。
部活の準備をしながら、俺はそういえばあの人はまだ来てないんじゃ……と周囲を見回した。
やたら早い時間から出てくる半端な立場の似非マネージャー(本人談)は、この時間には来て、ドリンクやら救急箱やらの用意を始めているはずだった。
別に待ってるつもりはないが、偶々俺が早めにきたとき、あの人ときたら鍵がないし外部のものだから入りづらい……とハウスの前でしゃがみ込んでいたから、それ以降不安になって来てるという話もある。
実際、正規の部員じゃないし、最早学校さえ違う。けどよ、観月さんがOKを出してるから問題ないんだよな。休日のコーチは代理がいるが実質観月さんだし、問題が起きないよう観月さんなら既に手を講じてるだろ?
部員としても、マネージャーは観月さんしかいないから助かっていた(観月さんは雑用しないし、させられるはずもない!)。
性格が性格だから先輩方だけじゃなくて、溶け込んでるし。
……俺とか金田とか。
本人に「居てくれて嬉しい」とか口走ったのはよく考えると相当恥ずかしかったが、あの後先輩は普通に出てきてくれて――ちょっと安心した。
……問題があるとしたら、あの人が人懐っこすぎるくらいだ。
「裕太!」
そう、例えばこんなふうに気楽に呼んでくるし。
「ごめん。遅れた。皆にも謝んなきゃ」
「平気ですよ、まだ誰も来てません」
教えたら教えたで、あがった息のまま(走ってきたのだろう)観月さんの口調を真似て「んふ」とか手を組む動作ごと入れつつ、
「大体裕太のせいもあるんですよ?……君の性格の悪い兄貴に伝言頼まれて遅くなった」
とか言うし。
「裕太のせいで余計な関わりが増えちゃって最悪だ」
なんて風に、兄貴はむしろ邪険にして、俺との接点の方が価値があるとでも真剣に考えていそうだ。
それも兄貴の本性を垣間見たうえでの発言だからお世辞どころか納得が行ってしまって困る。
……正直、悪い気しないけどな。
* * * * * * * * *
すぐに先輩は用意に入り、俺もアップをとか思ってたら皆が来た。
金田と柔軟しながら、見たら観月さんがいなかった。(関係ないけど二人組ストレッチってどこの学校でもやんのな。かったるいけど怪我の防止には効くことを先輩から教えてもらったから、手は抜かない。前はランニング後のおしゃべりタイムっぽく思ってたけど――先輩方もそうっぽかったし)
「あれ?観月さんは?」
いつもならとっくにコートに入ってるはずの姿がない。
「ああ、あそこ」
金田が指す。
でも俺の目に映ったのは観月さんじゃなくて、先輩だった。
先輩はハウスの方に居て(コートよりちょっと土地が下がってる?から、見やすい)作業を観月さんが手伝ってるみたいだ。
ちなみに観月さんは今日はクラブだったらしい。
思い出したのは制服のままだったからだ。
観月さんの機嫌はここから伺ってもすこぶるよくない。
――怒られるぞアレ。手伝い、代わった方がいいか?
じっとみてたら、横から金田が「仲いいよなぁ」 とか言いだした。
俺の背中押しながら。
「いや、あれ、多分喧嘩になるって」
俺が答えると、横から、
「どうした?」
赤澤先輩が出てきた。
「さんて観月さんと天敵って感じですけど、何で観月さんあの人連れてきたんですか?」
金田が聞き終えるより先に、先輩は
「ああ、あれだろ。雑用押し付け係とか?」
「そういう解釈もあるか」
唸ったのはまた別の人。
ノムタクこと野村先輩だ。
――ここの人は本当噂好きだよな。
兄貴をはじめ、他人などどうでもいいやぁというのはむしろ青学の方で、補強組まであって組織的な印象の強い【実力重視のルドルフ】を疑わしく思う。
下のハウスでは、案の定、あの二人がもめだしたらしい。
怒った様子のあの人と、怒鳴りつけてる観月さんに金田が呻いた。
「うわ、真剣に観月さんと喧嘩してる女の人、俺始めてみた」
この間から口喧嘩は散々してるぞ?
言おうと思ったが、その前に部長の口から傍観者の感想が飛び出す。
「キツイこと言ってそうだよな、観月」
「部長、止めたらどうっすか?」
さり気ない提案はため息で却下される。
「止められてたら俺も観月に怒られちゃいねーよ」
そのとおりかも。
金田と俺は顔を見合わせた。
ここで最強は観月さんだ。
――互角に喧嘩できるってどういう人だよ。
兄貴の「僕に似てるらしいよ」発言が脳裏を舞った。
* * * * * * * *
「休憩」
赤澤部長の声に、皆其の場に座り込む。
水道とドリンクに群がるのは数秒後だ。
俺はそこまで疲れていなかった(アップが利いたらしい)
同じく、平然とした顔つきの観月さんを捕まえる。
午前クラブに行ってたことが信じられない。
体力ないと思われがちなのに、観月さんはそうでもない。
もっとも効率もいいから、午前中もさっきの練習も調整したんだろう。
「観月さん、あのちょっといいですか」
「ああ、何ですか。裕太君」
「フォームをかえてみたはいいんですが、やりづらくて俺……」
「ふむ。もう少し腕を内側に入れるようにした方がいいかもしれませんね」
「内側、ですか?」
「そうです、裕太君は腕がこう、ほらそりかえってしまう癖がありますから」
「あ……」
ラケットをもって実演されて気づく。
確かに左手首が反り返っていた。
これじゃずれて仕方ない。
「ありがとうございます」
「いえ、自分から気づくのはいいことです。頑張って練習した証ですから」
観月さんはラケットを置いた。
練習中基本的に手放さない人だから、珍しくて、俺は聞こうとしたら、後ろの方を気にした。
ドリンクでも飲みに行くのかと思えばそうでもないらしい。
どうやら遠くの先輩方の会話に耳が向いていたらしい。
「ったく……あの人は……」
独り言が口に出ているなんて本人思ってもいなさそうだ。
すごく不機嫌そうにして、それから、観月さんは、
「すみませんが僕はちょっと用事が……」
そう残して、急にどこかへ行ってしまった。
――赤澤先輩かな
よく怒られると自己申告した部長が脳裏に浮かんだ。
多分この後のメニューのことで部長と打ちあわせだろう。
そこでふと思い出す。
「先輩、平気かな」
* * * * *
ちょっと前のことだ。
帰宅前に俺は彼女に出くわした。
そんときの先輩は水筒を洗ってて、飛び散った水でTシャツが透けてて俺は慌てて目を逸らした。先輩は稀に制服のときもあるが、基本的に運動しやすい格好。ウィンドブレーカーを引っ掛けた典型的な運動部スタイルだったが、水仕事はやりにくいらしくて上着を脱いでた。
気づいていないうちに通りすぎようとしたが、
「あ、裕太。また帰ってないの?」
「はい。今日は寮の当番じゃないんで」
声をかけられ、やむなく向き直る(胸元を見ないように心がけながらだ)
そうしたら、水筒の数は四つだってことに感づかされた。
休憩に出てくるのは二つ。
残りの二つは?
「そっか。当番制なんだっけ。お風呂とか掃除とか」
――あ、ドリンク用か。
ドリンクはハウスで詰め替えるというようなことを観月さんが言っていた記憶がある。
一時期マネージャー志望の子(どうせ直ぐ観月さんに泣かされたり仕事がつらかったりで辞めてしまう)が来たときのことだ。
「きいてる?」
「い、あ……それ、二つって大変じゃないんですか?」
そればかりが気にかかって、声が右から左に通り過ぎていた俺は返事より先に指摘していた。
中身がなければ軽いのかもしれない。
片手で残った飲み物を水道に流し、もう片方を洗っている先輩は気楽そうに言う。
「手伝う?」
指された水筒を見たら、ついでに彼女の手先が飛び込んできた。
荒れそうだわと姉貴辺りが顔をしかめるだろう指先の赤さ。
やります――言おうとしたが、先輩は
「嘘、嘘。後輩働かせたら観月に怒られちゃう」
そういって、髪を掻き揚げた。
そこそこ伸びてるそれを結び直して、作業に戻る拍子、さらりとうなじが覗いた。
――うわマジィ。嘘だろ……
女だった。
そんなこと、とっくにわかってても吃驚して声が上ずる。
「あ、その……」
「ん?どうかした?」
わかってない、という人は。
彼女はさっさと仕事を終えてしまい、俺は軽い水筒を運ぶくらいしかなくなってしまった、彼女の手伝いを申し出かねて、そのまま別れた。
* * * * *
あの無防備さともども、彼女が妙に危険(敷地にはテニス部だけじゃない。特別コートならいいが、今日は学園コートを使ってるんだ。ナンパで有名なサッカー部とか一部乱暴な野球部とかもいる)に思えて、次からは手伝おうと思ったんだっけ。
休憩のときの仕事もいい勝負だろう。
今日は塾で早退だといってたから、水筒洗うのは休憩後直ぐのはず。
――手伝いが出来ないなら、今、ドリンク手伝いだけでも……。
慌てて、俺はハウスに行った。
「先輩、手伝いますよ。…あれ、観月さん……」
既に手伝ってたのは紛れもない観月さんだった。
俺が見たら渋い顔をして肩を竦めてみせた。
困った人でしょう?といわんばかりに。
それを見た先輩がきっと目をきつくして、むくれる。
「あーもうっ観月最悪」
また喧嘩が始まりそうだ。
威勢良く文句をいう先輩にもう一度名乗りでようとしたら、
「平気。一人でやるの馴れてるから」
笑顔で返されてしまった。
元気な人だよな。
「そうですね、これくらい出来なければわざわざ見学させてあげてるメリットがありません」
観月さんが冷たく言う。
前に、この観月さんによく絶えられると聞いたら、先輩はそこまで酷くないって観月さんを庇うでもなく笑ってた。でも、ちょっと今日の観月さんの言い方はキツイ。
水道場のワンシーンが浮かんで、先輩だって女なのに……なんて思ったからかもしれない。
――あ、だから、観月さんは容赦しないのかも。
先輩に慣れっこで忘れてたが、観月さんは女嫌いなんだった。
「行きますよ、裕太君」
ぼっとしてた俺に、観月さんは八つ当たりみたいに言った。
「あ、はい」
俺も連行されてしまう。
やっぱり『今日の』観月さんが、格段に機嫌悪いらしい。
練習が始まるまでの数分、ベンチの横に移動して、観月さんは黙ったままだった。
横に腰掛けたせいで横顔しか見えないが、イライラした雰囲気が朝を思い出させて、俺は言ってみる。
「先輩、怒ってましたよ」
観月さんはますます顔をゆがませた。
でも、それも一瞬。
ふうとため息をつく。
「役に立たないなら、連れてこなければよかったんですが、あれで優秀な方ではあるんですよ」
「スゴイですよね。俺尊敬します」
思わずつられたら、むっとされてしまう。
「あんなの尊敬してちゃいけません。いつも忘れてばかり、だらしがない」
本当にキツイ。
毎度なら苦笑で切り抜けるところ、俺もちょっと頭にきた。
自分のことでもないし、別に観月さんだって本心で言ってるわけじゃないことも分かる。
でも、理解することと感情がうまく結びつかなくて。
「先輩はそんな人じゃないですよ」
「裕太君、君にの何が分かるんです」
思いもよらぬ強い調子に、観月さんは冷静さを取り戻したのか、困惑のポーズ(頭に手を当ててる、観月さんの三つめの癖だ)で答えた。
「まだそんなに知らないですけど……。みんな褒めてるし、俺も助かってるから」
「だから、そうでなければ僕がここに連れてくるはずないと言ってるでしょう?」
――何が不満なんだ?
観月さんには勿論、俺にもよく分からない。
無性にイライラしてる。
「なら観月さん何でそんなにあの人と言い合いに……」
言いかけたらスパンと切られた。
「いつものことです。気にしないでいいんですよ。裕太君」
――あれ?
調子が優しくなってた。
俺も何で頭にきてたのか分からなくなる。
「喧嘩じゃないんです。あれは一種のコミュニケーションですよ」
先輩も同じことを言っていたから、今日のキツさはむしろ先輩達の間じゃ慣れっこなのか。
いつも以上にキツイと思っても、標準が違えば問題は問題じゃなくなる。
例えば、兄貴に文句言う俺も、よく度が過ぎるって言われるし、兄貴のやつも女が見たら泣きそうなこと平気で俺には言うけど、俺らは仲が悪くて――でも仲が悪くない。
――同じなのかもしれない。
結論がでかかったとき、何かが引っかかった。
観月さんの目が冷たく感じられたからかもしれない。
「『』は我侭ですから」
「え」
「どうかしましたか?」
「今――」
――呼び捨てにした。……もしかして……さっきも?
俺は動揺した。
喧嘩してる人と、親しげに呼び捨てにしてる人なんてかけ離れてるような気持ちもしたし、何より相手が観月さんなのだ。
観月さんといえば、俺に対しても「裕太君」。
他も同じ感じだ。
先輩がたは流石に付き合いの長さからか、名字を呼び捨てにしてるが、女子にはさんづけ鉄則。あまり交友がない人は名前に「君」がつく。柳沢先輩だけ、ときどき「あひる」よばわりされてるが、女の人を呼び捨てにすることなんて考えられない。
他の誰がそうしてても(例えば赤澤先輩なんて、いっちゃなんだがどんな呼び方しても許されそうだし、木更津先輩はさりげなくしそうだ)そこまでびびったりしない。
観月さんは、「ああ」とそこでようやく気づいた素振りで、
「昔馴染みなんです。公私混同と勘違いされるのもよくないですから、ここでは名前呼びは控えてますけどね」
そう告白した。
口調はごく普通だったが、そこにきて始めて可能性に思い当たる。
――兄貴が観月さんにナイショって行ったのってもしかして?
先輩が好きだから?とか――
誰が?
兄貴が、なわけない(と思う。多分)
観月さんが、だ。
練習再開に立ち上がった俺は「兄貴のヤツ千里眼かよ?」と悪態をついたが、
「それに身内だと思われると付け上がりますからね。仕事能率が下がる」
観月さんの言葉をきいて、訂正をいれる。
――兄貴、残念ながらそれはなさそうだぞ?
ただふと沸いた危惧が一体何なのか。
はっきりしない。
気づかされたのは一つ。
青学の女子とか関係なくクラスの女子も女全般苦手なはず(姉貴は『苦手』のレベルじゃない。あれはもうトラウマだと思う)が、先輩だと平気だってこと。そして、悪く言われると癪だってことだ。
……で、思い当たる。
「……周助のやつ、感づいてやがったのかよ……」
からかってる兄貴に今度こそ、文句を――と思うが、よく考えられたらまた一つ弱みを握られてしまったみたいなものだ。
秘密にし通すことを心に近いながら、俺は練習に戻った。
どうやら「好き」ってやつらしい。
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