【SIDE 不二】
「おはよう、さん」
声をかけながら、これは普通の挨拶なのだろうかと首をかしげる。
答えは、彼女の方から出してくれた。
思いっきりよった眉宇のしわ……。
彼女の顔には、「うさんくさい」と描いてある
きっと、前の前の人間が裕太の兄だと知っているからなのだろう。それ以外の理由は浮かばなかった。
自分で言うのもなんだけれど、これで愛想だけはいい方だ。
クラスメートへの挨拶は欠かさない。
……つまり、他に可笑しな顔される理由はないはずだ(僕だって内心、イレギュラーだなと思わなくはないけど、クラスメートへの挨拶として普通であることには違いない)
「おはよう……?」
疑問符をつけたまま彼女は挨拶を返した。
「何?どうかした?」
まだ顔をしかめている彼女に付け足せば、慌てておいたかばんが音を立てる。
それでも、淡々とそのまま授業用意を始める彼女が興味深い。驚きを引っ込めるとすぐ答えもくれた。
「……珍しいって思っただけ。席近くなってからも敢えて挨拶とかしてなかったから……?」
――何で疑問系?
気になったがその前に、ふと彼女の言葉を脳裏でリピートした。
――敢えて挨拶をしてなかった?
確かに彼女と話した記憶はない。……が、それは女の子全般をややこしく思ってるら覚えてないだけで、嫌でも席の近い人には声をかけてるはずだ(でないと不自然だ。誰も特別扱いしてないとはいえ僕なら社交辞令で話してるはず……)
「そうだったっけ?」
「だからって『さん』づけもなんかどうかと思うから止めて」などと軽く注文をつけながら、彼女はこう説明を足してくれる。
「そっちは朝練だから早いんだろうけど、こっちはそうでもないし、大抵菊丸が席
のっとっちゃって、先生くるまで適当に時間つぶしてるから」
「ああ」
言われれば否定も出来なかった。
―― でも、本当か?ただ裕太のことの直後だから動揺した、とか……。
何となく疑惑は残る。
……というか、正直なところ、あまりに『普通』な態度に毒気を抜かれたのだ。
彼女に習ってかばんを机に置くが、話題が特に見つからず……時間もたっぷりある
(朝練がなかったのに早くついたのが悪い。他に人もいないのだ)
――どうしようかな。
引き出しにノートを入れた彼女を見ながら、席が一つ斜め前で本当によかったと妙
な安心をした。
今隣にいたら、次に何を言おうか考えている自分を悟られてばつの悪い思いをした
に違いないから。
――本来なら、裕太をふったの方が気まずいはずなのに、なんか解せないよ……。
彼女の言い分だとこれがファーストコンタクトみたいなものだ。
……でも、どうも出鼻を挫かれてならない。初めて話す子なんて山ほどいたし、その度にうまく受け流していたのに何で入学から三年間も立った今苦労する?
「……そうか」
「ん?何か?」
声を不振に思ったか、は後ろを向いた。
小首を傾げるが、告げるべきことはない。
思いついた「居心地悪さの理由」は、酷く傲慢で――真実だが男にいったら殴られ
るだろうなぁといった内容なのだ。
曰く、「好意を欠片も持っていない子に、自分から話しかける初めての体験だか
ら」
恋愛とは限らなくとも、好感度が高いと分かってるからこそ、ある程度彼女らの中
の「自分」を演じていた節がある。が、は全く期待してみえなくて、何となく気
分が悪い。
――ナルシストのつもりはないけど、もう解放してくれって顔されても……ね?
裕太のことがあるから仕方ないかもしれないが、「もういいだろう?」とばかり
に、彼女は答えを聞かずカバンから取った本をスタンバイしている。
どうやら早く読みはじめたくてたまらないらしい。
「今日早いのってその本のせい?」
話を止めてもよかったが妙に引き下がりがたかった。
このまま、無視して本を読まれるのも癪に思えてしまった僕は、意外と負けず嫌いなのかもしれない。
よくよくねえさんや古馴染みに注意されていたことが、今になって少しだけ分かる。
もともと人が言われるほど自分を温厚だと思ったこともなかったが……
――見られるのは嫌いなくせして目を向けないでいられるとこんなにこちらを向かせたくなるなんて……ちょっと子どもっぽくない?
とはいえ、の随所に見せるやる気のなさは、たしか彼女の友人のお墨付きだったはずだ。(名前忘れたけど、前に「なんだかんだいっては面倒なとき顔に面倒ってかいてあるのよ。もうちょっと繕いなさい」とか怒鳴られてるのを見て――何だか珍しい光景だったものだから記憶に残ってる)
――そっちの方が子どもなら、邪魔をしてみるのもいいんじゃない?
裕太に冷たくしたように(本当にそうしたかは分からないが、記憶の断片からも彼女は、興味がない者には繕わず顔を向けるだろうと、容易く分かった)自分もあしらわれるのだろうか。
少しだけだけれど苛苛していたから――話しかけることで僕は鬱憤晴らしするつもりだったのかもしれない。
そんなこちらの姿勢を見て答えるまで動かないと踏んだ彼女は、
「あー」
諦めたように息をついた。
ついでに、席に着かず机に軽く座った僕を見るでもなく、何やらうんうん唸りはじめた。
やがて、少しだけ躊躇してから、
「実は……従兄の友達のをね、従弟経由で借りたんだけど、今日の放課後返すっていっちゃって……」
「でも、まだ読み終わってない?」
「そう。だから早く来て、読もうと思って」
「教室で?」
「誰もいなければ集中できるし」
「そしたら僕がいた、と?」
一切合財の事情は、知らされればなんてことはないものだった。
……となると、最初のあのいぶかしげな表情は、話しかけられると思ってなかったのに話しかけられて吃驚したり、裕太の兄貴のタイミングのよさに困ったりしたわけではなく……本を読めなくなってがっかりしていたのだろう。
「まあ人選としても相当珍しかったしね。テニス部は有名だし」
だから、話しかけられて驚いたのは本当だ、とは、単なる事実を告げるように言った。
皮肉も喜びもそこにはないことが見て取れる。
それはそれで新鮮だったけれど――喜ばれても困るし、珍しがられること事態なれないから――普段なら、好感度が高いはずのこちらを気にしないそぶりが自棄に神経を逆なでしてくれる。
人と話してる状態だというに、一刻も早く読みたいとばかりに手が本のシオリを弄っていることが気に喰わなかった。
――……なんか……。
苛苛する。が、何故だろう?
基本的に、大概のことは「スルー」出来る大人のはずの自分が、これしきのことでぴりぴりするなど馬鹿馬鹿しい。
――それにしてもこれ以上話すと可笑しなことになるような……
そう思い始めたとき、予鈴の予鈴がなった。
朝練習の終了時間を知らせるものだ。
「おっ、不二。早いじゃん!おっはよー!」
「英二」
「も、珍しいにゃ。遅刻しにゃいなんて」
「にゃーって……言われても……」
突然の闖入者に、ふっと目が覚める。
僕はに「じゃあ」と返し、近づいてきた英二に挨拶を返した。
「おはよう」
に話しかけたのとは、少し違って感じた。
――これは、普通の挨拶だ。
やっぱり先ほどはおかしかったのだろうか?
* * * *
それでも、特に接触があるでも彼女が気にかかるでもなく……放課後まで何事もなく、時間は流れる。
だが、それは、下駄箱で携帯を片手に誰かと話すをみるまで、の話だった。
「ああ、本返しに?行くよ。だってあっちゃん、観月君におこられちゃうんでしょ?」
不可抗力って怖いもんだ。
裕太の話どおり「観月を気にしてる」かどうかは分からないけど(純粋に本が読みたそうにしか見えなかったようにも思える。物凄い勢いで休み時間も読んでたのはいやがおうにも目に入ったから)何となく聞こえた会話に耳を済ませてしまった。
――だからって特別興味を引かれたわけでもなかったけれど……
ただ、なぜか首をかしげ始めるのはこの日から。
裕太は振られたと思いこんでいた日――
それから、挨拶は今回だけでもうないと、信じていた、そんなどうということのない一日――
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