□ 帝王と王子様 □
「煙草はやめておくんだろう?」

 女にしては低い心地良い声が耳に届き、跡部は振り向いた。
 特別棟と呼ばれる音楽室やら家庭科室やら小ホールの入った建物の裏手は人が少なくていいので、ごく稀に訪れる。
 特に奥の学園倉庫に通じる場所は跡部の苦手な音楽室からも死角になっている。
 タイミングよく、ここに来る人間を跡部は一人しか知らなかった。
 前に会ったとき、二人はなにやら無駄なことに疲れていて、くだらない草の味を確かめようかと相談し、止めた――そんな経緯を思い出しながら、跡部は、

「そうだな」

 その美少年と見紛うような彼女に声を返し、無意識に手にしていたマルボロをポケットにしまった。

「こいつはただの没収品だぜ?太郎のやつがいねぇから、預かってる」

「ほう?帝王は国に所属している小童どもの面倒も見なくてはならない、か。大変だな」

こそ苦労してんじゃねぇのか?二百人どころか、学校全体だろ?こっちの生徒会は元々お飾りだけ引き受けたしな。スタッフに仕事分配して終わり。【姫】がいるからそっちはできねーんじゃねーか?アーン?」

 天下の姫女の生徒会長さんよ?
 跡部が軽口で返すのは相変わらず高飛車な台詞だが、口調はからかうようだった。
 それを受けて、がくすりと笑う。
 跡部はごく自然に口を開く。

「仕事か?」

 が来るということは秋の合同行事に冠することか交流会なのだろうが、跡部は特に知らなかった。
 跡部がという生徒について知っているのは姉妹校の生徒で、自分に一番似ている存在だということ。ただそれだけだった。

「そう」

 簡潔な受け答えと、全てをそつなくこなしながらも実は熱い一面。

「ただのお飾りでいいと言われて黙ってるほど人が良くなくてね。珠には真剣な素振りを見せて、教師を牽制しなくてはならない。そこいくと氷帝(ここ)は理想的さ」

 例えば「何が――」と問う前に既に先を読んでの答え。

「うちよりも教師がバラエティに富んでる。わりと自由が利く」

「そりゃそうだろ?お前の従姉視てれば分かるぜ」

 先ほど出くわした事件(詳しいことは『番外編』参照:要するにの従姉氷帝高等部一年と榊の濡れ場に出くわして呆れてここに逃げたという一件である)を思い出して、跡部はにもうんざりした表情を見せるが、その破天荒な従姉に対して、彼女・は嫌いではなかった。
 一方、は氷帝の中では目立つ制服の襟元を調えて、不機嫌そうな表情で、

「うちの従姉は跡部の苦手な「女」の中の「女」だからさ。第一【43】(とかいて、「よんじゅうさん」歳と読む)も完璧に彼女には遊ばれてるぞ。あれ以外の話だ」

と注釈(文句とも言う)をつけたが、その様子もどこか楽しそうだった。

(基本的にこいつとの会話は楽しいんだよ)

 跡部は「太郎だかんな」とわけのわからない理由をつけて流すが、相手の同意の目は「苦労してるな」と語っていて、ついついしなくてもいい苦笑を返す。
 との会話は、スリリングなやり取りを肩張ってするわけでもなく、だが適度に涼しい空気が流れるので、気に入っている自覚があった。
 で、跡部とはわりと本音で話をする。

(結局、同類ってやつだな)

 跡部はふと先頃のクラスメートやら、噂の従姉君(榊の恋人)との会話を思い出す。

『跡部がいうんならいいんじゃん?』
『まあ帝王の決定は絶対だからな。え?意味?理由?……んなもん凡人には理解できねーって』
 ――もう少し考えろよ。てか考えるようにわざわざ言ってやったんじゃねーか。

『肩肘張って、王様してる貴方が可愛いわよ』
 ――放っておいてほしい……。つーか、肩肘はってんのか、跡部景吾(自分)よ?

 そのとき、

「コーヒー。ブラックじゃないけどね」

 ぽんっ。

 自動販売機(人でがないのに何故ここにあるんだ?)にコイン投入の音。
 直後、冴えないパックのコーヒーが放り投げられた。
 反射で、思わず手にとる。

(この女相変わらず、コントロールのいい……さすがは部活掛け持ちの最強助っ人)

「こないだのお礼と賄賂さ。受け取ってもらう」

 はにやりと笑った。

「相変わらず、強引だな」

「どっちが?」

 彼女は意外にも甘いものが好きで、面倒もあったのだろう。
 やっぱり自分と同じ茶色いパックを取り出して、ストローを指していた。
 缶でないし、格好つかないが、これでいい。

(……中学生だし)

 言わなかったはずの疲れが急に取れて、跡部はの気まぐれに感謝した。
 だが、お互い様だということもわかってるので――何しろここにくるまでもファン(女生徒大部分AND含む氷帝の学生)をまいてきたに違いない。それがという女だった――礼は言わない。
 かわりに、跡部はふと浮かんだ疑問を口に出してみることにした。

「そういえば、。俺様と張り合ったことあるか?」

「珍しいね、私の前で跡部が様付けするなんて」

 ないと思うけど、なんで?
 ――そっけないただの一生徒の顔でが答える。

「……んだよ。癖になってんだ。わりぃか?アーン?」

 ついついいつもどおりのキャラクターで返してしまうし。
 そういうキャラクターでインプットされているから。
 そう強くなくてはならないと自分でも思ううちにこうなっていたから。
 時折自分の「帝王」っぷりに疲れる(いやむしろ周りの、自分に対する「帝王」使用の態度に、というべきか)が、なんでか結局、こうなってしまうのだ。
 例えば帝王にある意味、肩を並べられるこの「王子様」なる称号を持つ女だとかが相手でも。
 それでも今のは気楽さが勝ってしまってのこと。

(――ってことは……だ)

 結論に至る前に、彼女は後を読み取った。
 には無駄に共感できる状況があるだけに、声なしに通じてしまう会話がある。

「いや、そのままの強さを維持できるのはお前の強みだろ。それにそれも「素」なのは分かるからいい」

(そうか、これも俺の「素」ってことになるのか)

 目からうろこ。
 流石は「王子様」である。
 なかなかいえるもんではない、格好よさげな台詞に感動しかけて、ふと既視感を覚える。

(なるほど、こういうのに人(ファン)が騒ぐってわけだな)

 自分もそうやって言われてるのかもしれない。
 こういうことがあるのかもしれない(テニスコートで、とか……)。
 思った瞬間、なんだかまた溜め込んでいた何かが抜けていくのを感じた。

もだろ?」

 相手は何を見てんだかわからない様子で近くのアジサイなんかを見つめて、

「ああ。ファンはうざいが憧れの対象になれてる自分は嫌いじゃない」

 ひどくあっさりと分かりやすい意見を返し、綺麗に飲み終わった紙パックをくずかごに投げ入れる。

「行くか?」

「同感だな」

 跡部もそれにならった。
 と――ふと、「ファン」という言葉に、あの乙女化した親友を思い出して止まる。
 あれは「うざい」ファンに入るのか?
 跡部はの台詞を復唱し、自分を投影して、考える。
 うざいファンは嫌いで、だがそうまで慕われる自分は嫌いじゃないし自分の実力だ。……ファン自身はどうだ?嫌いか?
 ――結論、「ファン」はそこまで嫌いじゃない。だが……

(……あれはまずいだろ?)

 そう思うのも間違いないわけで……。
 跡部は親友の前途を案じた。
 少しだけ面白いと思ったのはナイショだ。

。そういや、お前に年季の入ったストーカーがついたぜ?」

 提案の声が微妙に笑いに震えていたのも、それを彼女に感づかれたと分かったのもナイショだ。

「知り合いなのか?」

「まあそうっちゃそうだな。ばらさないでおいた方いいだろ。どうせそのうち自分から挨拶にいくだろうしな」

 症状が悪化して「自分からなんてとてもいえないわ」状態になっている事実にまではまだ理解の至らない跡部を責めないでいただきたい。
 彼はだからごく軽くそう予告し、

「せいぜい逃げろよ」 と、あの「帝王」スマイルを見せた。
 今日彼女にあって始めてかもしれない。
「からかってるだろ?」とは珍しく本音を漏らし、その後、

「どうせ、男……つーか、ファン、のことなぞすぐ忘れるんだろうけどよ。あいつのしつこさは筋金いりだからな」

 どうやら本気らしい跡部の言葉、も珍しくあからさまに顔を歪めてみせた。

「へえ?お前が気に入った相手か、私も気に入るだろうな。どういう種類かは別にして。まあお互いファンをそう無碍に扱いのもよくないしな」

 強がりとも思えない強気な語調で、そういい、は特に跡部を気にせず中央棟に歩き出す。これから職員室のある中央棟で彼女なりの「戦闘」が始まるのだろう。
 跡部はなぜだかほんのすこし彼女と張り合うことを楽しんで、形成逆転の素振りで、

「さあ。どうか?お前は星の「王子様」らしいから、丁重に持て成す信条らしいが、俺は「帝王」だぜ?気楽にあしらえるんじゃねー?」

 かばんとラケットを手に持ち直し、「部活仕様」になっていく自分をどこか客観的に観察した。

「もっともで、むかつくな」

 は悪態をついたが、その目もどこからんらんとして、さきほどのやる気なさげな様子が飛んでいる。

(やっぱりこいつは同士か)

 勝負を楽しみに、挑むこと、進むことをどこかで知っている人間と認めて、跡部はに軽く別れの挨拶がわりに手を振り、中央棟へとの分かれ道をまっすぐグランドの方に出て行った。

  「……にしてもがこっちにいるって忍足のやつは知ってるんじゃねーのか?……したらあいつ逃亡確定だろ」

 ジローよりもたちの悪いサボり常習犯を思い浮かべて、すぐさまげんなりすることになるが。
 今日もこんな調子で部活をきっちりおえ、同じように「帝王」跡部景吾は普通の生活を楽しむのである。

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