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UP OR DOWN?
背後を取られて、榊はぞっとした。
職業:ホストクラブ経営者……と言われがちな、ペイペイの音楽教師。実家はそれなりに金持ちだが命をねらわれる所以はない。ただ貞操の危機感は常にある。
なぜなら……
フウ。
首元がぞくりとした。
息を吹きかけられたのだ。
学園広しといえども、流石に貫禄の音楽教師を本気で落とそうと考える女生徒はいない。
比較的教師人の中で若いという理由と渋さでもててはいたが、こんな行動に出られるものは女教師でも保険医でもいない。
「………」
低く名前を呼ぶ。
相手を意識してではなく、ゴク自然に。
呆れたように声は出ていた。
クスクス。
忍び笑いがもれると同時に、腕が絡められた。
音楽室には幸い他に人がおらず、彼女は忍びこむついでに恐らく鍵を掛けてくれていることだろう。
「ここは学び舎だ」
腕は後ろから回され、背中に温かさとやわらかい感触が届く。
そのまま背後のピアノに押し倒されかねないほどの力で後ろにひっぱられて、榊は唸るように告げた。
当然、体格の差もあってびくともしないが、相手はそれ以上に強い力を持ってる。
できるだけ意識を反らすように抵抗するが、そんなに可愛い相手ではない。
という女は。
「今時、音楽室なんて密会以外の何に使うのよ?」
「………」
挑発してるのか、素でたずねているのか分からないクールさがある。
「でも、お前も時折ここで演奏していた」
一年前、彼女がこちらの棟の生徒だった頃は。
今はもう隣の校舎に移ってしまったが、それでもこうして忍びこんでくるのは高等部の第二でなく、中等部用の「第一」音楽室。榊の城なのだ。
「……文句ある?」
ここで出会った。
授業は関係なく、彼女は学校ではクラブにも所属せず、目立たないポジションにいたが、それでも皆が彼女を認めていて、榊もまた彼女に惹かれていた。
その音楽の類まれなる才能を知って、なお彼女が音楽という場で戦うことなく、ただ本当に楽しそうになのに苦しいほど必死に鍵盤を弾く姿を見てしまってからずっと。
きつい目がこちらに向かう瞬間、また負けを確信する。
とてもじゃないが、勝ちだけを信条と言い切っている生徒には見せられない。
「いや」
「それより、なんで知ってるの?私がここで演奏していた頃、貴方は私を知らなかった」
「跡部から聞いた」
嘘だ。
覗き見ていた時期を彼女は知らない。
男としてどうかと思うが教師としてもまずいと思いながら、見ていた頃をバラす気はなかったので、榊はシラを切る。
「ああ。あの子ね」
世間広し。
わずかな年齢差を無視して、光臨する自分の生徒を思い出し、それに対し「あの子」と年下扱いしても問題のない彼女に黙り込む。
それから「言い方」に何となくいやな予感を覚えた。
「あんまりからかうな」
年甲斐もなく嫉妬などする気もないが(というほど本当は年でもないのだが、榊はそう思った)それ以上に生徒の身を案じる。よく考えれば可笑しな話だった。相手は自分の恋人だというのに。
(いや、不倫に誘われたな)
それから独身としって、「スリルにかけるわ」と言い切られた。
逆に身を翻されて、焦ったのはこちら。
「ふふ、高等部に来てからにしとくわ」
まんざらでもなく、そのが言う。
「あの子、悪くなさそうよ。気持ちよくしてあげられるわ」
こんな風に。
セクハラになりかねない調子で、は榊の襟元に手を伸ばす。
前に回りこみ、じっと瞳を見つめたかと思うと、一瞬背伸びしてすぐさま十も年の違う男の唇を舐めた。
ひどく扇情的に。
「こんな風にする気なのか?」
「嘘よ。榊が一番」
は呼び捨てにする。
教師とはそもそもそんな扱いをされるものだが、はそもそも榊太郎の存在を知らなかった。
たまたまあったこの部屋で自己紹介をしたところ、「榊」という人とインプットされたらしい。
教師とは思われていなかったふしさえある。
冷静に考えながら、嘘くさい口調にまで反応しそうなほどその児戯に負けてる自分を榊は戒めるが、既に息が上がりそうなほどきつい体勢だ。
人がみたら襲われていると思うような……。
「動じないのね?」
散々試すようなことをしたあげく、すんでのところで少女はかわす。
ひらりと舞うスカートが他より長めなのに、彼女には合っていて、逆にもどかしい。
腰に回された手を掴んで逆に引き寄せてしまいたい衝動に耐えながら、むっつりといわれそうな音楽教師はぴくりと手を動かすに留めた。
犯してしまおうか?
考えるのはこっちだろうと叫びたい榊であるが、獲物をねらう豹のようにこの少女は榊の手を自分の胸元に導きかけて……試している。
「つまんないけど、ま、いいわ」
「……それで……次はいつ来るんだ?」
危ういので、逆に胸に彼女を抱きしめてしまって(この方がまだ何もされずにすむ)目をあわせず何とか口にする。
「聞いてくれるの。意外……」
うっかり胸が当たってしまい、ますます苦しくなったので、
「無断でうちの部長をたぶらかされても困るんでな」
そう誤魔化したところ、
「もう無理よ。あの子、私たちのこと気付いてるもの。さっきそこにいたの」
出入り口であって、何となく仕草で測れたのだとは言った。
爆弾がはねかえってきて、榊は石化した。
「教師形無し?いいじゃない。貴方が一番上にいなくてもあの子はやれるわ」
頭にはこなかったが、ふといいことを思いついた。
押して駄目なら……ならず受けっぱなしでいるからこそできるわざがあるではないか。
「…ならば遠慮する必要はないな。取り合えず今のところは……」
彼女ごと部屋の奥にすすみ、一歩逆に踏み出す。
「お前を……」
グランドピアノに押し付けられて舞う彼女の長めの髪。
首元に吸いついた時、景色が一点した。
は柔軟に逃れて、上に乗っていた。
首の変わりに彼女は長い指をYシャツごしに胸に滑らせ、
「UP OR DOWN?」
――どちらでもいいのよ?
楽しそうな彼女に主導権は取られっぱなし。
それでも楽しいあたり、自分の趣向はいつかわったのだろうか。
榊は好きなままされるのも憎らしいので、取り合えず欲望を先に解放することに決めた。
「主導権は渡してもらう」
「さあ?できるの?」
無理やりかけた、レコード盤をBGMに、でも第一音楽室には明らかすぎるほどの音が響いた。
完全防音とはいえ、まちがって準備室で待機していたものには聞かれたであろう。
そして…………………。
音楽室なんて、密会でしか使わない。
その言葉の「事実」を偶然知って、大人の階段を無理やり登らされるのはそこでデート(ただのちょっとした顔みせデートだと信じて待っていた大切な生徒であったという。
まきこまれた跡部景吾はそれ以後、誰がなんといおうと音楽の選択は取らず、ピアノのレッスンのときですら第一音楽室に近づく時は異常なほどの警戒を見せたとか……。 |