□ まじゆめ □
 卒業から二ヶ月。
 久々の来校に緊張した。
 とはいえ、隣の敷地なのだが……。
 慣れ親しんだ第一音楽室のドアを開けようとすると、後ろから同時にドアを押すのを手伝う手が見えた。
 大きな手だ。

「何か用か?」

 どうした?
 相変わらず変わらない表情で男は問いかける。
 音楽教師としてあって、そんなこと忘れてしまいそうになるようなラストの一年を過ごした彼が目の前にいる。

「別に。暇になっただけ。大会も終わったしね。約束を守りにきたのよ?」

「なんだ?」

 キョトンとした顔をする。
 この男は外見のわりに可愛いところがあるのだ。
 はくすりと悪戯な笑みを浮かべて、その唇を躊躇なく奪った。

「学校では――」

「するな?……止めても無理。そうでしょ?」

 諦めたようにため息をついているが、実際照れくささもあるに違いない。

「まあ入れ」

 生徒に言うよりもぶっきらぼうに案内し、ドアに鍵をかけるが、その横顔が笑みを象った。

「「センセ」、遅くなってごめんね」

「馬鹿な口調をどうにかしたらどうだ?」

「相変わらず表裏の激しい……。でも悪かったわ。急に押しかけて。さっきも……跡部君に気つかわせちゃったみたい」

「会ったのか?」

「ええ。今日中央委員会でしょ?こっちにも顔を出したから」

 中高合同一貫ゆえに、学校内の機能調整をする委員会はそれぞれの委員長と部長から成り立つ。
 跡部が代表として出ていたのも、一年から生徒会在籍の彼女が顔を出すのも当然のことだった。

「やきもち?」

「なぜ嫉妬する?わざわざお前が尋ねてきたのに」

「勘違いしないで。卒業してもまだ秘密なんでしょ?そっちがのいったことよ、私には残念だけど守れるだけのプライドがあるの。いい気にならないでね、「榊」」

「なってなどいないが?」

 お前が来る理由が他に見当たらない。
 榊はしゃあしゃあと言い切った。
 悔しいくらい平然と。
 それをみて、は嬉しくなった。

(この人は「正しい」。よくわかってる)

「……で、跡部に気を使わせたといったな?何かあったのか?

「ふふ、ちょっとね」

「ちょっと」どころではない。
 あの有名人のおぼっちゃんは一年前、「自分達の関係」を偶々知ってしまったのだ。
 偶然。
 そして榊は気づいていない。
 は廊下ですれ違ったとき、何となく分かるものがあって鎌をかけた。
 跡部はそれ以後、自分を避けてる。

「もう気にしないでって言ったの」

「なんだ、それは?」

 思わせぶりな「事実」
 乗ってくれる実直さが、榊を好きな理由の一つだ。

「あの子、可愛いのね。そのわりに色々よくない噂も立ってたし、本人も何だか疲れている感じがして……だから、ちょっかいだしてきたのよ」

「………」

 むっとする気配よりも先に少し拗ねたような弱い感じをうけた。
 眉ねを潜めている。

(本当は榊の方がよっぽど「可愛い」のに)

「でね、噂どおり女をとっかえひっかえにするなら、レベルを上げてみない?って誘ってみたわけ」

「あいつはきちんとしたやつだ」

「いいえ。貴方の目は節穴なんだから言うこと聞いてなさい。部長としては最高級でも男としてはどうかしら?「貴方」にいえた義理?」

 生徒をたぶらかして?
 と笑って見せる。
 本当をいえば、たぶらかしたのは自分の方で、榊は餌食だ。
 榊には他に手を出す甲斐性も勇気もない。
 常に受身なのだから笑える。
 でもいとおしい。

「ええ断られた」

 台詞は一言。
 監督と勝負はできません。

(愛されてるのね?)

 それが分かる。
 それが嬉しい。
 誤解されやすい音楽教師も、怖いと恐れられっぱなしの音楽教師もあんなふうに真摯に受け止めてくれている生徒がいる。

(この男を信頼するなんて、多少、目がくらんでるけど)

「安心して。「本気にならないなら別の(若い)男を見てもいい」なんて、わざわざ言うような馬鹿な男性(ひと)放っておけないもの」

 けなすでもなく、いつくしむように、口付けと共に囁いて……。
 すると意外にも応えるようにキスされた。
 反抗するの?
 溶けるように甘い視線を自分に許す代わりに、いっそきつく吸いたてて……。

「…………跡部はお前には勿体無い」

 勝ったように笑った、まけっぱなしの大人の彼に、は睫を唇で撫で、「そうね」と、小さく降参の合図を出した。

「榊くらいがちょうどいいのよ」

「そんな大きな口を叩くのはお前だけで十分だ」

「なら、もう少し」

 ――好きなようにさせなさい。
 骨抜きにされるのはどちらなのだろうか。
 嘲るようにきつく……。
 唇の隙間に噛みついた。

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