ライバルは……

「『げこくじょう』って何だぴょ?」

 確かに何か黄色い物体が転がっていると思っていたのだけれど、まさか口をきくとは思ってもみず、日吉若は固まった。
 確かに口癖になっていたから呟いたかもしれない。
 午後のテニスコートは練習もない今日、誰もいない。
 ここは学園の特別コート。
 個人使用もレギュラーならばOKされているが、上級生は林間学校だから安心していた。
 イコール「誰もいない」と信じていた日吉である。

「教えてくれないのかぴょ?」

 傍若無人な声は下の方からした。
 視線を降らせるとすぐそばにエプロンドレスをなびかせた少女がいる。
 どう考えても、学校関係者とは思えなかった。
 さほど背の高くない自分と比べても頭三個あるいはもっと差があった。
 某薬品メーカーのトレードマークになってるナースみたいな少女だ。

「お前……どこから?」

「ぴょ?はここのお得意さんぴょ。『ジローお兄ちゃん』がよく案内してくれるんだぴょ」

 覚えのある名が出て、ようやく正体に思い当たる。

「妹か」

 確かに黄色く柔らかいひよこっ毛(猫っ毛に近いが、「ひよこ」としか形容できそうもない)も、きらきらした目も覚醒した彼に似ている。
 跡部や岳人とは違い、比較的苦手でもない先輩とはいえ、少々警戒した。
 ……と、ばれたのだろうか?

「ジローお兄ちゃんはいい人ぴょ。苦手なのぴょ?」

「いや。そういうわけじゃない」

 応えて、意外だった。

(そうか。別に「嫌い」なわけではないのか)

 流石に「宿敵=部長」をも歓迎するわけではなかったが、他に対しても苦手意識を持っているが、嫌とまではいかない自分を確認する。
 その頃には、日吉はなんとなくこのおかしな少女と打ち解けられるような気がしていた。

「ならいいぴょ」

 と名乗った少女はわりと簡単に納得すると、「ぴょ」っと掛け声をかけて、日吉のラケットを手に取った。

「何か用か?」

もテニスしてみたいぴょ。……ジローお兄ちゃんは気が向いたときしか遊んでくれないし、他はみんなには早い、危ないっていうぴょ。お前、付き合うぴょ」


 高飛車に言って、少女は確かに危なっかしい手つきで、ラケットを握る。
 触れた体温はお子様そのもの。
 若はため息を一つおとした。

(どのみち今日は練習になりそうもない、か……)

「待て。今もう少しいいやつを貸してやるから」

 なぜ、そういってしまったのか分からない。
 だが、数分後、日吉は女子部の顧問にうまいこと説明して、軽めのラケットを借りて、の元に現れた。

「いいのぴょ?」

「ああ。これじゃもてないだろう?」

「うん……ありがとうぴょ」

「お礼は素直にいえるんだな」

 可笑しくなって笑う。
 高圧的な態度や勝気な物腰はあまり得意なものではなかったが、のそれは強がりに見えて可愛らしい。
 日吉は周囲に気を使いながらぴよこをつれてコートに入ったが、いきなりラリーなんて出来るはずもなく、結局ちょっとした打ち合いに終わった。

「でも、お前、うまいな。先輩に教わったにしては打ち方の癖もない」

「当然ぴょ。も「げこくじょう」するぴょ」

 暇に任せて休憩に、下克上の決意まで省きながらもさせられたのだが、何故かすっかりお気に召したようで、はそう「ありがとぴょ」とジュースを受け取りながら言った。

「お前も誰か勝てない人がいるのか?」

 その年で、か。
 日吉はほほえましく思った。
 自分とは違うまっすぐな目がきらきら輝いて見える。

「少し羨ましいな」

 言葉はするりと口を抜けた。

「なんでぴょ?日吉も一緒だぴょ。の目標は日吉と同じだぴょ。ほんとはライバルになるところだけど、日吉ならいいぴょ。仲間ぴょ」

「同じ?」

(それってもしかして……)

 自分の話を念入りに考え直すと、一人の名前しか出てこなかった。
 そのとき、真剣に聞いていた彼女。
 ……ということは……

 と、そのとき、コートの逆側からざわざわと音が聞こえた。
 上級生の帰宅のバスが付いたようだ。
 珍しい高級バスツアーをお開きにする点呼の声についで、数名がこちらに向かってくるようだった。

「まずいぴょ」

 急にが怯えだす。

「平気だ。ばれても俺の妹ってことにしておけばいい」

「そうはいかないぴょ〜」

(なるほどそうか。自分の兄貴がいるとなればそうもいかないか)

 だが、の視線の先に兄「芥川慈郎」の姿は見えない。
 かわって、走りこそしないものの一目散にこちらに向かってきたのは……
 
「跡部部長」

「日吉よ、悪いけどそこの黄色いのをこっちによこしてくれ」

 開口一番の台詞に一瞬思考がとまる。

(わざわざ、こっちにきて、何をどうしろと?)

 黄色いの?
 首をかしげているとウィンドブレーカーの生地越しにきゅっと握られる感覚があり、ようやく合点がいった。
 確かに黄色い。
 それはの髪の毛だった。

「おい、。ここに来るなっていったよな?ああん?」

「……ぴょ。だって、今日は家に一人で寂しかったぴょ」

 まだなお日吉に隠れながら少女がむっとした声で告げる。

「あのよ、お前の崇拝者どもはいねぇーけどな。他の使用人がいるだろうが、メイドもコックも」

 日吉は黙るほかない。
 が、何となく予想が付き始めていた。
 下克上。
 同じ目的。

の宿敵はもしかしなくても跡部先輩ということになる……のか?)

「……「お兄ちゃん」はいないぴょ」

 不意に声が翳った。
 日吉は意外に思う。
 この少女がそんな風な声を出すと思ってもいなかったせいもある。
 それに……

(なるほど。部長の妹か)

 生意気さは似ているのかもしれない。
 不敵さというか、物怖じしなそうなところとか派手なところとか。

 でも真の衝撃はその次の瞬間やってきたのだった。

「……誰でもいいんだろ?お前のお気に入りなら。だったらいるじゃねぇーのか?清純も他の学校だから、ここぞとばかりに来てた予想がつくぜ?」

「おっぱらったぴょ。きよは跡部目当てなんだぴょ。、ジローお兄ちゃんもいないし、かばじは来ないし、退屈だったぴょ」

(なんだ?まるでこれじゃ……)

 痴話喧嘩のようじゃないか?
 言葉を忘れたのも無理もない。
 部長が拗ねている、としか日吉には見えなかったのだが、「今度ばかりはうがった考え方じゃないよな?」と自分に問いかけてる間も、けんかはヒートアップしている。

「だから、ここに押しかけたっていうのか?おい、よ。それでこいつがいたからいいものを、誰か別のやつがいたらどうすんだよ?」

「遊ぶぴょ」

「ふざけてんのか?ああん?」

「……ぴょ?」 

 は可愛い。
 確かに……こんな妹がいたら不安だろう。
 だが、このやり取りは……。

(……………ウケる)

 不覚にも下克上どころか十分上にたって笑えてしまえそうな日吉若(14)、跡部の年下、後輩。
 以後下克上をあえてテニスに限定しだしたのは言うまでもない。
 でも……

「日吉。こいつが面倒をかけたな。礼を言うぜ」

 別れ際、危ないだろとしかられて、しゅんとしつつもどこか嬉しそうなの手を引いて、振り返り、一言告げた跡部は少しだけ格好よく見えて……。

「下克上」

 呟いて、と秘密の目配せを交わしたのは彼にしてみてはテニス以外で唯一の「下克上」を誓った――しかも成功した――という秘密になる。

 END


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