RED SIGN2
「おい」
景吾は廊下を犬が転げまわっていたので声をかけた。
遠くから見るとまるきり犬のようだったそれはぴよこの幼馴染「空」だ。
「ん?なんだ。あ、の兄ちゃんか。どうかした?」
すぐ横から小うるさいのお目付け役――空もも言ってるので、景吾もそう認識して近づくのを避けていたため名前が分からない――が口を出す。
景吾いわく「めがねの方」、またの名を海という。
「空。口に気をつけなさい。この方は様のお兄様なのでございますよ?大体、あなたという人は……そもそも様に……」
案の定五月蝿かった。
「五月蝿い」
言おうとしたことは空が先に入ってくれたので手間が省ける。
「なっ……」
言葉につまってる海をさておき、空はそのまま「なんだ?」と向き直った。
景吾はまあこれはこれでいいかと成り行きに納得し、だが、出鼻をくじかれて困った。
空に声をかけた理由は明白だが認めたくなかった。
昨晩のことを聞きたかっただけである。
当然このあっけらかんとした少年のことだから何もなかっただろうがと何の約束をしていたのかが気になって仕方ない。
「昨晩は……」
「ああ、うんうん」
空は物凄く了解の頷きを見せて、
「そうそう。気をつけろよな、夜中なんだし。「兄貴」だろ?」
と、宣言した。
兄貴にやたら力が篭っていたような印象がある。
「……?」
景吾は自分の顔が険しくなるのを感じた。
「何?兄貴になるの嫌なの?あいつ、あれで結構可愛いよ。妹にしても悪くないと思うけどなあ」
本気で言っているらしいことに気づいて、毒気を抜かれる。
思わずライバル宣言かと思った景吾である。
空の気持ちは分かりやすいから。
「ま、俺は妹じゃ困るんだけどね」
と、素直に笑う彼女の幼馴染はなんだかんだいって最強だった。
素直でない景吾としては、本当に分の悪い相手だ。
だが、今のところまだ何もない。
(こいつにはばれるわけにはいかねーな)
――密かにその義妹が可愛いなんて。
まだ恋愛沙汰とは認める気のない景吾である。
「で、いったい約束って?」
「は?だからは風邪ひいてたんだって。あれ?もしかして知らなかった?―あーあ、駄目だねぇ、「お兄ちゃん」。もし兄貴やる気あんなら、分かれよ。わかんないんだったら、そばによんなよ。あいつ、はしゃぎすぎなんだから」
言いたいことばかりずばずば言われる。
景吾は言われっぱなしは嫌いだったが、ここまですがすがしく文句を言われたのも久しい。
ジローははっきり言う方だが、ちょっと意味合いが違うし、まして忍足は生意気だが跡部に対して発揮されない。鳳は当然だし、宍戸に至ってはあの調子だ。
思わず笑みがこぼれた。
もっとも、相手には挑戦のか、不敵な微笑みにしか見えなかったようで、
「あー?兄貴やる気あるんじゃん」
変な納得をされてしまった。
(本当だから許してやってもいいぜ)
空は悪くない。
ライバルとしては不足だが――テニス同様手塚みたいなのと争いたいわけでもない。
「さあな――まあに無理をさせる気はねーよ」
宣戦布告のつもりではないのでわざと後から付け足してやるが、実際敵として名乗ったも同然だった。もっとも鈍い空には通じず、それが後ろめたくもほほえましい。
だから空はこうして平気で自分に彼女の弱い場所を教えてしまうのだ。
あるいは隙があっても彼女に手など出していないのだろう。
「ならもうそろそろ起きると思うけど?りんごでも持ってけば?」
有り難く受け取った林檎を武器に、景吾は義妹の部屋に向かった。
たった一日おいての訪問は思いのほかに長くて、何となく部屋が懐かしい。
「」
ドアは簡単に開いた。
**************************
「」
寝てるなら帰ろう。
目を瞑ってるに囁いて、確認をとった。
「ん……空?」
別の名前が出て、景吾は少しあっけにとられる。
悔しい。
そういうことだろう。
「ぴょ?!跡部ぴょ?」
「そうだ。わざわざきてやったんだ、有り難く思いな」
「ぴょ!林檎ぴょ!」
(どうしてこいつは人の話を聞かないんだ?)
とはいえ弱ってはいるらしく、顔だけ何とか向けたには逆らえない。
は林檎をぼけーっと見つめていた。
(むかれてない……)
直ぐそばに皿と果物ナイフがあった。
既に剥いたが失敗作なのだろうほとんど芯だけのいびつな林檎が陳列してるところを見ると、空がやったのだろう。
(だから俺に押し付けたのかよ)
そういう景吾もあまり得意ではない――というよりやったことがない。
「ちょっとまってろよ。今むいてやるから」
は小さく頷いて、またくたっと目を瞑った。
するする……
スルスル……
スルスルスルスル……
数分後、美しい形で皮が長く一枚つながった状態で剥きおえられる。
「ほら、やったぞ」
起き上がったに食べさせようと口に持っていったが……
「無理ぴょ。擦ってほしいぴょ」
(……むかつく……)
結局考えたすえ、そう立たないうちに、景吾は卸がねを台所までとりに行く羽目に陥った。
食べやすいよう、可愛めの器に移し、ついでに小さいBマークのついたスプーンを指して戻ってくる頃にははまた起き上がっていた。
寝かしつけるよう、ベッドに座りなおさせて、食器を渡す。
「ほらこれでいいか?まさか、まだ文句があるんじゃねーだろうな?」
「いいぴょ」
手にとって、はゆっくり汁ごと林檎を食べだした。
しゃりしゃり……美味しそうに夢中になっている。
のどが渇いていたせいもあるのだろうが、やたらと幸せそうに笑った。
「……昨日は悪かったな」
「んぴょ?何がぴょ?」
「…見舞い行かなくて。空に怒られたんだろ?」
「空は怒らないぴょ。優しいぴょ」
「………」
「どうして不機嫌になってるぴょ?」
「……言えるかよ…」
黙りこんでいたら、は「もうちょっと食べるぴょ」と予備で持ってきた器に手を伸ばした。
衝動だった。
刹那、器からが掬ったスプーンに景吾は噛み付いていた。
「ぴょ!」
そのまま「ずるい」と言いかけるの攻撃を避けるよう、口移しで飲ませる。
「……!!」
「のどには生ぬるいくらいの方がちょうどいいんだ」
流石にびっくりしたらしい。
声が出ないで、されるがままになっている。
唇を離した後も黙りこくって、目を点にしていた。
「……空はそんなこと言わなかったぴょ」
ようやく呟かれた言葉に少々不安になる。
「あいつには言うなよ」
「ぴょ?だって利くなら――」
そのとき開いたままのドアの外を噂の空が通りかかった。
の部屋への用事ではない様子で、こちらを見られていなかったことに景吾はほっとする。
(こいつ、あれを呼ぶんじゃ――)
すぐさま焦ってを見ると、の目にも空が映っていたようだ。
だが……呼ばない。
景吾は取りあえず取り繕うことにした。
「おまじないってやつだ。兄妹じゃ本当は聞かないって滋郎が言ってたんだが……あ、ジローってのはうちの正レギュで…その……陸の肩にとまってそうな(*陸は無類の動物好き)」
「ぴょ?」
「ともかくそういうことだ」
「利くぴょ?」
「さあ。したかったから信じただけだ。どうだろうな」
本心を漏らすのは一回きり。
「もしかして食べたかったぴょ?」
――でも、誘われたら断るはずもない。
「そうだな。お前がくれんならつきあってやってもいいぜ」
は分からずぽかんとしている。
(くっ……)
予想通りの反応のなさにため息をついて、部屋を出るかと立ち上がりかけたそのとき――
甘い味がした。
「いいぴょ」
耳元にも罠。
でも……
金属が歯に当たる―― 残念ながらそういうことだ。
が、期待していた「キス」はすぐに、嬉しそうに笑って少女がほっぺたにくれた。
確かにそう思ったが……
(違う……)
「寝ぼけてやがる」
は擦ってるとき飛んだ林檎の汁を舐めたようだった。
「甘いぴょ…くー」
寝言と化してる言葉にがっくりして、けれど景吾は大笑いを始めた。
「ははははははははははは……」
きいていたら誰もが気を可笑しくしたと心配するか、試合中の彼を思い出し、逃げただろう。
だが、本人にいたっては楽しくて仕方なかったのである。
「こいつ、いいよな」
貰ってやる。
その瞳に本物の闘志が宿る。
紅い静かな――。
「おい、。覚悟しとけ」
(――いつか俺に酔わせてやるよ)
逃さない、絶対に……。
ここに二つ目の転機が訪れようとしていた。