祭りのあと   始末のまえに >佐助・幸村・勘助
【SIDE 佐助】

 軍議は長く続いた。
 信玄の御世は、あまりに当主と距離が近すぎて意識してなかったが、主従制は堅く、途切れぬ糸。
 中央に構え、詮議を進める勝頼は、意見する古参武将をぶしつけに睨んでいた。
 あるところにおいては、其れは正しく主の面。
 本来、忍びならずと武将とて意見を許されない立場にあってもおかしくなかったのだ。

 しかし、古参や智将の了見を聞かずして遠ざけてばかりおれば、無能な主と侮られ軍全体の指揮にも関わる。
 殊に、御家が存続するか否かを決めるまさにぎりぎりの状況にあっては大きい。継ぐ者が愚君と決めてかかられれば下はそれぞれの御家のためにまた抜ける。

 そう考えると、家臣に諌められても戦場にいるをよしとし、多くの命を喪失した上で生きながらえた勝頼の立場は危うい。ましてやその態。

 ――そうは言っても、やっぱ、大将の血すじだからねぇ。

 表むきは徹底抗戦か、一度はどこかと結んで(下って)再起を図るか、の議論が続いている。
 何せ、残る主筋の若君、信之はあまりに幼く……また、弟君信繁公は亡くなられているのだ。
 本流の主筋、無碍に扱うこともできまい。

 とはいえ、勘助以下古参の武将が此処にきて三男の擁護に動いている事実を、佐助は知っていた。
 表がどうあれ、もはや、勝頼か、信之か……家臣も割れているのだろう。
 だから、長引いているのだ。
 そう考えれば分かりやすい。

 ――けど……ここまで意見が真っ二つに割れるとは思わねぇよ。普通……

 自分の実力からすれば天井に潜むことはわけもないが、周囲に武田忍びがおらず、隙がありすぎることも予想だにしない事実。

 こりゃ、本当に武田はやばいかもしれない。
 と、忍びの勘が告げる。

 ―― 一応、才蔵は旦那につかせて、六朗も配置してあるけど・……

 このがらんどうの配置は、忍び自体への扱いを意図せず映し出していた。。
 武田は騎馬隊や幸村などの武将はもちろん、裏方たる諜報と戦忍で保ってきた軍でもある。
 それがここまで露骨に草働きを厭うようでは、甲賀の里も黙ってはいまい。
 武田忍びの中にはとっくに里へ戻された者もあるだろう。
 甲賀とは、どことも手を結び、どことも結ばないことでながえらえてきた地。実力がある真田忍は、里の意向を離れられるが(自慢ではないが自分のいるおかげでやっかいだと思われて、そうなっている気がある)武田はそうはいかない。

 ――まして、信玄公という御旗を失えば・…

 それに、このまま武田にいても、かつての勢いを取り戻せるとは限らない。
 勝頼につけば滅びの道が濃く、かといって信之派はととえば、勘助や甘利の背後にいるものに結局は付くことになる。
 どうなるとも分からないご時世だ。

 ところで、佐助は上洛戦開始の折り、信玄に頼まれて、勘助他武将に接近する他軍の動きを見張っていた時期がある。それゆえに、信之派の後ろ盾になるだろう陣営は何となく察していた。

 ――徳川。

 その接近に対しては複雑な思いもある。
 まさか裏切らないよう、(一応とはいえ)真意を見極めるよう信玄に頼まれていたことがここにきて役に立つとは思ってもみなかったのだ。

 ――もしや、大将、こうなることも見越してたんじゃねーよな。

 そう思いたくなるのも無理はない。
 しかし、信玄は結果、誰の背信もなしとして上洛を始めた。そして事実誰も裏切ることなく、前線に向かっていたのである。

 ――あれからわずか数か月……

「もう何年も前のことのようだ」

 下から漏れた声に真田一の忍びは反応した。
 耳をすますまでもなく聞こえる不用心な軍議に苦虫をかみつぶしながら、偵察を続ける。

「だが、我々は長篠に破れた。これ以上無様をさらすわけにもいくまい。お館様の意向は、上洛。今は機を見るべきではないのですかな」

「上洛は結構。だが我らは戦い、弔わねばならない。ならば甘利、今出すにいつ出るというのだ」

「殿、しからばこそ、一時的撤退を」

「ならぬ。だいたい忍びにまかせて、自ら出向かぬなど面よごし。武士として武士と死ぬためにも、我が先頭にたってすすむべしと」

「勝頼様」

 はっきりと、反対を述べる古参。諫める中堅。守りに走る今回の戦提案者。
 分かりやすい構図の中、沈黙を守っていた山本勘助が口を開く。

「お下りなされ」

 一言。
 静けさに彩られた発言、強い眼光に呑まれながらも、勝頼は上半身をそらした。対して、返るは――

「ならぬ」

 有無を言わせぬ響き。

 ――決まったな……。

 これで議は終わる。
 そして新たな段階に入るだろう。
 けれども、いかに強行に動かそうと軍は疲弊し、兵も武器も兵糧も足りてない。

「どうなさるおつもりか。我らは武田の為に動く。討ち死には覚悟のうち。されど無駄に屍を作るつもりはない」

 続けざまに、いったい誰に援軍を、と当然の問いが飛ぶ。
 援軍の宛はあるのか、今の戦力をどうとらえるのか。離反する者がいないはずがないぞと。
 それでも、呼ぶ声もむなしく、退場する主。

「もはやこれまで……ならば、其は御免。隠居させていただく」

「勘助殿!」

 決別する家臣と、追って飛び出る有力な武将。
 信玄が唯一見抜けなかったとしたら、立派な親を持ちすぎたこの直系の短気だと、忍びの目で、佐助は思う。

 ――武田は終わる。このままでは――

 そして……軍議の中怖いくらい沈黙を保っていた幸村もまたふすまに手をかけた。
 既に、兄、信幸からは知らせがあり、真田本家は、徳川についた。上杉の城睨みとして置かれた段階で、お館様のなき後はと和議をのんだことを、幸村は聞かされている。


 ――そのうえで、旦那がこの展開を読むとは……。

 なんてことを見抜いてくださるんだか。
 佐助は、予め幸村から聞かされたこの流れに、ゾーッと硬直した背筋を伸ばす。

 武将として、戦場に要される随一の若武者を、残された者が見る目は鋭い。その中、彼は静かに笑みすら浮かべていた。

 ――これじゃあまるで……

 彼がそうなることを、決別を望んでいたかのようだ。
 もちろん、そのようなことを願う幸村ではないのだが、滅多にかかぬはずの汗の感触を思い出すかに、軽く握った手が熱い。

 あの日、上田を用意するようにいいつけた幸村はしかし、佐助あてに別の命を下した。指で手の平に書かれた「よめ」という伝言。
 滑り込まされた書状の中には、はっきりとこの流れ――そうなったときの幸村が取るべき動きと、沼田の真田家への配慮が描かれていた。
 それも、佐助にしかわからぬように。

 ――まさか、昔弁丸様に教えよとねだられ、即席で作った「暗号もどき」を、使われるとは思わなかったよ……

 だが、彼は咄嗟にそうすることを選んだ。選べてしまった。
 決意した真田幸村は、既に政に足を踏み入れた智将なのである。
 
 
「幸村殿――」


 その変容に、驚愕したかの武将たちを気にもかけず、幸村は宣言した。


「其はお館様の家臣、その志のある場所にある」


 図らずも、そなたらも考えよと、相手に敵か味方か問うように。
 ある種、その場で斬られてもおかしくのない不遜な響きをもち、佐助の主は、勘助に続く。

 ――旦那がそうなら、真田隊の長(俺様)も、あるようにあるだけだ。

 数えられただけで、その後を追う者は、八名を超す。
 戦力は二分どころか、ほとんどが勘助・幸村側――信之に転ぶだろう。
 
 ――さて、じゃ、あっち(勝頼様)が誰につくか見届けましょうか。

   ≪ついでに残る武田忍びもこちらに抜いてしまえばいい≫ 
 そう、あっさりと、忍びの寝返りまで諭す主は、その恐ろしさに本人気づいていないのだろう。

「簡単に言ってくれるよ」

 だが大丈夫だ。
 無自覚を利用されたとしても、幸村は幸村。あの人がそうである限り、簡単に動かされることもないだろう。
 ――ましてや徳川ならば……
 基本的には悪くない取引だろうと、手元の情報が言う。詳しくは真田信幸や山本勘助にきけばよい。
 次の瞬間、佐助は再び闇に紛れていた。
 慌てる下の騒ぎなど気にもならぬほどの静寂の世界がそこにはあった。