祭りのあと   後か先か >勘助・甘利・小助
【SIDE 勘助】

 幸村が上田を立って数刻。
 つい先ほど、武田の軍師は、城で信之公との対面を果たした。
 対面とはいえ、齢、僅か四。
 栄養こそ行きわたっていようがまだまだ小さな体である。正式に「殿」として治めるには、十年前後がかかるに違いない。
 それでも、これまでとは気構えが違う。
 
「健康そうな御子であった。あれならば大丈夫であろう」

 ――その間、何としてでも武田を守らねば……
 
 勘助は、決意を新たにした。
 信玄の後を勝頼に頼らないと決めてからこの方、周囲の動きは忙しない。
 勝頼派と、信之派は見事に割れ、軍は二つに裂かれた。
 幸い、幸村や甘利、馬場を始めとする生き残り武将の主力はこちらにつき、戦後の混乱に乗じてこうして新たなる主人を戴くことが出来たものの、まだまだ「形ばかり」の感が拭えなかった。

「しかし、手習いは既に始めてらっしゃられたとのこと。三好入道がいないのが痛いが、早くどこかから僧を頂こう」

「本願寺との縁は切れたが、塩山恵林寺ならばよい。誰かおられよう」

「そうじゃな」

 塩山恵林寺といえば、快川紹喜(かいせん じょうき)の寺院だ。
 横を歩く馬場や三枝と取りあえずの無事を喜びながら、教育を司る僧侶を考えている。と……

「忍びが」

 一歩後ろを大人しくついてきていた≪幸村≫が警告。
 同時に、白煙が焚かれ、小さな爆発が起こる。
 幸村の炎とも違う、それは真田忍の重用する武器の一種で、他家の、たとえば越後の軒猿や伊達の黒はばきのものとは一線を画している。
 音がせず、仄かに周囲を白くし、姿を消すためだけの型だ。

 ――放ったのは敵ではなく、味方。

 とっさの判断に上体を屈ませるより前に、呼び掛けた≪幸村≫本人が勘助の頭を低く抑えてくる。畳みの匂いがし、何事か問う暇もなく、かくんと折れた膝に手をつけば、直後、更に背を押される。
 潜り込んだは暗い障子と、細い箪笥の裏。

 ――忍び隠しか?

 当時の屋敷に多い、隙間を利用した隠し部屋は、ひと一人が潜り込むので精一杯の大きさであったが、入れられたのは勘助だけらしい。
 数分の沈黙。
 その後、戸を開き、もとの位置に勘助を戻しながら、≪幸村≫は

「他は鳥に頼みました」

 らしくもない静かな調子で勘助の前に膝をついて告げた。
 本来ならば、着く必要のない膝と、あれ、と指す方向に見られる黒い大鴉(恐らくは真田隊の長、佐助から借りたのだろう)
 そこから大方の事情が知れた。

 ――……助かったか。

 すぐに、他の人々もその爪から下ろされ、代わりに、黒装束をまとった数名が城を出ていくのが見えた。

「≪影殿≫、これは――」
 
 言いながらも、勘助には何となく予想がついている。
 勘助は、あらかじめ今日明日≪幸村≫が上田に向かうことを知らされていたからだ。
 だが他の者は違う。
 何が起きたか分からぬといった具合に目を瞬かせていた。
 その様子は、何もかも初耳といった状態で、勘助は「誰か裏切ったか」と一瞬警戒した自分を恥じた。
 しかし、すぐにも「非常に危険な現状ゆえ仕方ない」と、気持ちを切り替える。

「山本殿、いったい何が今――」

 まだ分からぬ馬場や三枝に「後で説明致す」と声をかけ、避難を促す。

 ――影殿が逃がしたのであればもう問題ないであろうが……
 念には念をというやつだ。
 馬場は納得はしていなかったが、「間者が紛れていたようだ」のひとことに、顔を青ざめさせ、信之公の身を確かめに!と叫んでいる。

 ――確かにその確認はいるか?
 
 思いつくと同時だろうか。

「大丈夫ですよ、若君は」

 ≪幸村≫の格好をした影、穴山小助が呟き、同時に、甘利が部屋に飛び込んで来た。
 腕に信之を抱き、乳母役の萱乃とともに、左右と後ろに三ツ者を従えている。

「甘利殿」

「安心めされよ、本物じゃ」

「ああ……」

 しらずしらず、勘助は身構えていたらしい。
 緊張は解かぬまま、ゆっくりと膝を伸ばす。
 横を見やれば、小助がこくりと縦に頷いた。間違えはないだろう。
 しかし、安心した表情は出さず、強張らせたままの顔を甘利に向けた。

「どこの手のものであろうか。わざと気配を殺さぬところを見るに忠告といったところだろう」 

「うむ。他の影が助けてくれたから大事ないが……」

 甘利の表情もまた固い。
 その場にとまりかけた二人を、小助はもう一つ内側の部屋に招きいれ、何やら降り立ったもう一人の影に何やら耳打ちをする――気配が微塵も感じられないのは影たちの特徴だが、整った顔を曝してくれたところを見ると彼が噂の霧隠才蔵なのだろう。
 そして甘利が安堵をもらすところをみるに、おそらく≪他の影≫とは彼にちがいなかった。

「ああ。いささか幸村殿と雰囲気を異にしていたゆえ、そっちの方にも驚いてしまったが……十勇士ということだ」

 ――やはり霧隠才蔵か。
 読みのあたりと、間近にみる十勇士に驚きながら勘助はつとめて冷静に続きを待つ。

 ところで、影殿とは幸村に扮する十勇士全員の総称である。中でも精度が一番高いのが小助。彼は変化の術を使わずに姿を似せられるほど背格好も顔作りも幸村ににており、傍目には分からない。
 その次が、才蔵――術の達者な忍者ということだった。
(ちなみに精度以上に術がすぐれているのは佐助だが佐助が化けることは極めて稀であり、同時に本人含めて大抵数人は幸村ができあがるため注目されない。)

「それより、勘助殿、虎の和子はまだ帰らぬときくが、いかがいたされる」

「このように突破されることは稀でございましょうぞ。影殿が失態を許すはずもない」

 責めるでもなく、「何か策があるのだろう」と小助を見やれば、幸村にそっくりな彼は幸村そのものの姿で、

「我々が残っていると悟られぬ方が都合が良い。十勇士をしばし消すために油断のふりを見せろと言われ申した」

堂々と答える。

「――幸村殿の命か?」

「は。長の命にございますればこそ」

「猿飛か……ならば、ほぼ同義だな。
 あい分かった。そのために我が家の(三ツ者)が多くついておったなら、連帯責任じゃ。――だが、これでよいであろう?ならばもう二度と」

「は。通しませぬゆえ、ご安心を」

「おう」

 短い会話が終わる。
 これでいつもどおりの上田城に戻るだろう。

 ――本当か?

 ふと、勘助は自問自答した。
 すぐそこまで探られるようでは、恐らくそろそろ「信玄崩御」もばれようというものだ。
 次の手――同盟の時期を探らせているとはいえ、何も動かずにいるのも歯がゆく感じられる。
 胸騒ぎがする。直感を信じず、進軍を許可し、身内を諌め損ねて犯した失態を思えば、 

 ――ここは慎重に行きたい。

 甘利も髭をなで付けて低く唸っている。
 やはりどこか不穏な空気は感じ取っているのだろう。
 二分された軍、その片側とて、まだ一枚岩ではない。

「ときに影殿。初見願いでるは、性格上実直で嘘のないものか、斬られてもよい豪の者が相場である。幸村殿は条件を満たすがそれをどうとらえる?」

 ふと、勘助は話をふってみたくなった。
 思うと同時に、口が開いている。

 ――珍しいこともある……。

 何せ、いくら忍びの地位が高くとも――真田にある佐助ほどの逸材がいなかった武田では、忍びと軍師が相談する局面は見られなかった。(佐助とはある程度会話、挨拶程度ならしたが作戦となれば別だ。信玄は話していたようだが、自分は直接に忍びを用いていない)
 新鮮な驚きを覚えながら、小助に、

「意見はいかに?」 

 今度は意味を含んで投げかける。

「某が影として、ということであるのなら」
 僭越ながら、と小助は断ってから、否やを告げた。
 横で、甘利がむっとした顔をしたが結局傍観を保つ。

 小助はそれでは幸村様がお許しになるまいと、嗤った後こういったのだ。

「徳川を――見くびらぬ方が良い」

 甘利が顔をしかめたのは、何も下の者が意見を述べたからではない。
 勘助も、おそらく、自分の表情がゆがんだだろうことに気づいていた。
 なぜなら小助の作ったその横顔が、あまりに幸村に似て――似ても似つかないようで、最近偶にみせるようになった幸村の表情に似ていたのだから。
 不敵とも取れる、戦場で見せる微笑に、低めのかすれ声。
 徳川より劣ることは、もはや疑いようなく、そのうえでの同盟になることも承知であったが、これが意外なほど胸に堪えた
 ――幸村殿も同じことを言うだろう。
 それを連想して、の感想か?
 本来幸村がどう言おうが、こうと決めれば軍師はそうする立場。

 ――ところが、どうにもその言葉、当たるように思えてならぬ。

 武勲をとどかせるものはいるが、幸村ほどのものはいない。
 そしてまた、幸村ほど気性がまっすぐなものもいなかった。
 兄は早くに徳川方につき、まさにうってつけの逸材。

 ――だが本人は危険すぎる、せめて影を出すように、と……そういえば、あのおひとは自ら出ようとしかねん。

 その点、影――小助の言葉は正しいのだ。
 だがどうしたことだろう。
 「侮るな」という方がよほど幸村らしい言葉に聞こえてくる。

「他の人選、か」

 これはもう信幸づたいで沼田から上田へ届く幸村からの情報と照らし合わせるまで待つしかあるまい。
 「出過ぎたまねを」とへりくだる小助に、「大丈夫だ」と告げて、甘利を落ち着かせ、勘助は人選の考慮を一時中断した。

 ところが――幸か不幸か。
 このわずか半刻後、忍びから、直接に三河へくるように徳川方の希望が届けられるのだ。

  ――三河殿は「長篠終焉の混乱のうちに」と仰せられている――

 なるほどという思いと、幸村が直接に行くという予想通りの追記事項に、勘助は距離を計算し、先にこちらの使者をつけて幸村をとめるよう、「影たち」に 諌め役を託すのだった。
 下のものが、上を諌めるには覚悟がいるのだろうが、不思議と真田の忍びたちは自らその役を買って出た。

 ――幸村殿は護られている……よきものたちをもったものだ。

 その仁徳こそ、確かに三河の徳川に好かれそうではあるが、信之についで、幸村は武田の――信玄の弟子、残し子でもあるのだ。
 勘助は、慌て、十勇士にもう一つ任務を託す。
 第一の使者として、快川 紹喜を送るため、付き添うようにというものだった。

 快川 紹喜―― 信玄のもとにいた禅師。僧侶であれば無碍にも扱われず、また人格者である彼は間違えなく引き受けてくれよう。
 偶然さきほど話題にした、信之への教育を手掛かりに思いついた案は、口にしてみれば何よりもすんなりと通るものに思えた。
 そうして反対するものもなく、わずか四刻半を経て、城から数名、影が飛び立つ。
 実はこれが、幸村本人の命しかきかぬと言われていた十勇士を、勘助が動かした最初の出来事であった。

忍びの活躍。軍師視点とか……本当好き勝手やってます……。次辺りでラストのはず。