「では、これからよろしく頼むな」
突然、話を降られては、何のことか分かりようもない。大体の事情は察せたが、主は主でいまだ困惑しきっている。手元に確定したのは「どうやら武田は解体の危機を免れたらしい」という大ざっぱな情報。
「これはどういう……?」ときけば、早く帰るように――しかもそこ勘助がいるようなことまで示唆されてしまう。
「要するは、同盟が決まった。それだけのこと。証に、真田幸村はうちに来てもらう。忍び隊にも手伝ってもらうことになる」
――だから、服部のやつ、俺にすぐ行くようにいったのか。
合点は行くが、いまいち飲み込めていないような気がする。
「半蔵と話したか?ちょうどよかったわ。やりづらいと思うならば別動隊にするぞ。安心せい」
「いややや、や、そこはまあそうしていただけるとありがたいんですが」
――俺様、なんか役不足?
武田は別にしても、公式な会見では日々忍んできた身の上。違和感がつきまとう。
「旦那ー?」と頼みの幸村をみるが、そっちこそ本気で理解できていないらしい。
みっともないくらいぽかんとした表情で、
「しかし武田は下ると」
……などと、間違っても口走ってはいけないことを言い出すものだから、本気で焦った。
「素直に武田が下るはずないと、三河殿が考えてくださったんでしょうが……」
あきれ顔で「寝ぼけた?」なんて、幸村の発言をなかったことに誤魔化す。
――せっかくの機会を無駄口で逃させちゃいけない。
言質を取ったと、約束を撤回されてはならないのだ。誰がどう言おうと、この話は眠らせるわけにはいかない。
本来幸村とて、そのくらいわかるのだが……佐助の見立てでは、「考える容量を大幅に上回ってしまった」に違いない。
「そういうことなら俺様も役にたたなきゃね」
独り言のように返し、様子をうかがう。
家康前に、どう振る舞うか迷っていた己としては、大胆な振る舞いだとは思う。
先ほど服部半蔵が「いけ好かない」といいつつも、「そのままで戦力になる のならばそのままいればいい」と漏らしたのを思い出して、かえって腹が据わったのかもしれない。
――後は出来るだけ、幸村の指揮下にあること――
それというのも真田忍び隊の特殊性による理由なのだ。三ツ者への指示はよしとしても、十勇士ときたら、「幸村様の下」でなければ動かない癖者が多く……いわば幸村が命令権を家康に預けたとしても、家康を試しかねない危惧があった。
――そんな危険な橋は渡れない。
だから佐助は思う。家康を警戒しながらも、今は一時的であれその下につく戦術もありだと感じられる己だからこそ、気を使う。
「真田隊は幸村の下でこそ真価を発揮する」この趣旨をいかに家康に納得させるか、考える。
真田のためであれば、俺達忍びは尽くす――さっきの独り言の真意。それを家康がどう受けるか、これが焦点なのだ。
ところがどうしたことだろうか。予想は大きく裏切られた。
「なに、真田の下にあることには違いねぇ。うちも忍びに偏見はねぇが、半蔵を始め、忠義ある忍びは主のもとを離したところで、動かない」
だろう?と問いかけられてなぜ、頷けよう。
家康は看破したのだ。こちらの真意を。
その上で、飲む、と告げてくれている。
佐助は分からぬふりで濁し、「だそうですよ?」と幸村を見やることで場をしのぐ。
そして、
――大丈夫……
主の表情にほっとした。
既に立ち直り、しゃんと背中を伸ばす幸村の目は強い。
家康も佐助につられ、彼を見た。
その様子を面白そうに眺め、
「武田はそのまま安堵。ただし、当主は信之公にまかせ、後見人の選定はわしの一存だ。真田信幸に預ける」
「兄上に?」
「ああ、徳川方につけど、真田でもあり、内情には詳しい。幸村、おめぇをつけてもいいが、おめぇさんにはこっちで頼まなければならないこともあるからな」
「はっ」
幸村はどんなとんでもない命令でも受けるつもりなのであろう。
腰をおちつけ、低く返事を吐き出した。
命令を待つ、一武将がそこにはいた。固さは三河武士の専売特許ではないのだ。家康には、これが深く利いたらしい。
「かしこまるなと……言っても、無理か」
幸村が予想以上に、素直で、そして頑固なたちだとよんでとったのか。苦笑いで、佐助の方を向いてくる。
――いやいや、流石にこれに同意するわけにはいきませんって。
かといって、否定するわけにもいかない。やむなく、同じ曖昧な微苦笑を返す。
……と、その目を合わせたまま、一瞬鋭く細くし、
「知っておるな」
唸るように告げる。
まるで、俺に問われたのかと、佐助が錯覚する頃合いを見計らい、彼は再びのんどりした調子に戻った。
そのほんの一瞬、忍びですらも気をやられそうになっていた。
話は何事もなかったように続く。
「わしは伊達と同盟を結んでおる。とはいえ、こちらと武田のそれと違い、 いつ寝首をかかれるとも分からん」
対等の力での、戦略的同盟。
武田とて、信玄があればその形以外で徳川と結ぶことなどあり得なかっただろう。
その形をもって、伊達は徳川との協力に乗り込んだ。もちろん、諸領をみても、経験を見ても徳川の方がいささか上だ。けれども、そのまま黙っていないあの竜であることは、佐助も幸村も骨身にしみていた。
「――それで?其に何と」
幸村が顔をあげる。
――素直すぎるのも考えものだ。
佐助には、その答えを促す姿勢こそが既に幸村の答えになっている事実が見て取れた。彼は、佐助の主は、もう決めてしまった。
「伊達へ、奥州へいってもらいたい」
「……っ」
どんなに唇をかんでも。
決めてしまった。
――でも、俺は武田を奥州にのっとらせるきっかけになるんなら、それは黙ってらんないんだけど……
答えることすら侮辱に等しく感じられる提案だ。
佐助の体はすっと、一瞬で冷え、己のバサラが身体の奥に沸く感覚に囚われた。
――ここで、発動してもばれない。
その自信すらある。
だが、そこは主。
幸村は気付くや否や、諌める。
「佐助。気をたてるな。――すまぬ、家康殿」
ごく普通に詫びて、続きの話を促した。
――なんで、そう平気なんだ。
疑問というより苛立ちになる。
けれども、同時にもっともいらだたしいことに、佐助は知っているのだ。
幸村が武田の存続を第一にするかぎり、彼は自分の欲求を軽々と捨ててみせる現実。
知るからこそ、佐助も家康が気を害していないと願い、いっそう姿勢を低くするだけ。無礼をわびる代わりに黙り込むばかり。
だからその表情はうかがえない。
代わりに、明るいいつもの声が返った。
「いやいや結構。敵対勢力は多い。上杉、佐竹、結城……その手前の布石。竜にもまだまだ敵が多い」
「?」
――ああ。
なぜ、こう実直な三河武士の中で、このおひとは、回りくどいのか。
――旦那は分かっていないようだが……
佐助には読めてきた。
――おそらく狙いは上杉、それから東北か……。
上杉は冬ごもりをいつ、終えたと宣伝するか怪しい。
そして、また北については本能寺からしずがたけのどさくさに乗じて、政宗がほぼ制圧したときくが片づいたばかりでは小競り合いも多いだろう。
「小手森の件もある」
――撫で斬り。
伊達が最近勢いづいているのはその件が大きいという。
あれで竜は竜になった。そんな報告も下から受けていた。
一歩も引かないところを見せるうえで、伊達の撫で斬りはあるいは必要な策だったのだろう。事実、とき既に上洛に乗り出していた武田ですら、報告には戦慄したではないか。
衝撃を受けた信玄の、勘助の顔をいまだ覚えている。
ちなみに、この報告は武田への依頼であり、信玄の頼みでもあったため、幸村には告げられていない。
今思えば主従関係として秘密は不要であった。だが、
「その顔じゃ、おめぇは知ってるようだな」
「――」
「佐助、どういうことだ?」
どう聞かれても今だこれについては答えるつもりはなかった。
ただ、どうしようか考えあぐねるより先、見て取った家康が先に応じてくれた。
「一気に北を制圧したため、噂がいろいろでている。まだ確かめていないが 一揆をの扇動やなで切りという物騒な話も」
「っ」
――疑ってるな。
幸村の目は信じたくないといっている。
同時に、半分ありえないともいいきれないことを自覚した眼だ。
武将として信玄の下にいたときには、そこまでおもわなかったのだろうが、長篠の前には武田も一部が略奪もどきを行なっていた。その報告は幸村にも届い ていたはずだ。
そして、諌めるために見せしめが必要なこともあるかもしれないと、彼とて 一瞬は考えたに違いなかった。
まだまだ可能性論だろうが……
幸村の中では何かが育ち始めている。佐助はそう感じていた。だから、このところ、彼を遠く感じたのだと、妙に納得する。
全うにまっすぐ剣を交えるだけであればよかった。だが、幸村はおそらく根 本的なところで武将であり、大きな志の下につくものである。風来坊にはなれない。
――ならば、俺様がどう旦那に願おうと結局、同じか。
情報を隠すことも意味をもたないかもしれない。
それでも、佐助は今だけ、逃げることを選んだ。無意識であれ、幸村のまっとうさを支持した。
「そのようなこと、竜の右目殿がゆるすはずあるまい」
「だろうな」
家康が頷く。
だが、彼も彼で、そんなことは理想論であり……撫で斬りは事実ときっと分かっている。
――それでも、旦那のために。旦那を動かす為に。今その台詞を選んでいる。
【利害は一致している】
こちらを見て無言のうちに其れを告げる家康に、しっかり乗じている。
佐助は、そんな己を嗤った。
――徳川の狙いは分からないっていうのに……。
ただ家康に幸村を甘やかす気がないことだけははっきりしていた。
さしずめ、今伝えて動揺を誘っても意味がないというところか。
その程度ならまだいい。もっと隠し玉があるのかもしれないというのに。
それでも、佐助は、今一時の幸村の心の安寧を願った。
それはもしかしたら佐助の弱さだったかもしれない。
――徳川家康はそこまで見透かしているのだろうか。
思いついた現実に、佐助はぞっーとした。
ともあれ、
「ま、そのことの真偽をどうこうはいわねぇ。重要なのは、武田にも関係あ る話。上杉の動向だ。伊達側からどう当たるのか見たい」
ずいっと、乗り出して、家康は告げた。命令ではなく、頼みとして。
「そのためにも、幸村ーー行ってくれるな?」
答えはもともと「是」しかない。
そのうえ、幸村は心からそれを受け止めて、そうして、返していた。
「是非にとも」
虚ろうていた幸村の目。
再び闘志がわく瞬間、佐助は複雑な思いで見ていた。
次で一応 武田 長篠後ラスト予定