蒼と紅  紫の夜更け(SIDE幸村)   >幸村・政宗
【SIDE 幸村】

 武田の領地をでることは幾度もあったが、こんなに北に足を進めたのは初めてだった。

 ――こんなに厳しい土地なのか。

 風は肌を突き破るかに冷たく刺さり、曇天の中ちらつくのは雪ばかりで太陽は滅多なことでは見えない。生い茂る針葉樹林とは裏腹に穀物の背は低く、落ちた椿は朽ちて土に塗れることもなく鮮やかな紅を保つばかり。

「上田や、甲斐とはなんと対照的なことか」

 呟けば、耳に忍びが「これでもましな時期だ」というような情報を加えてくれる。
 幸村は、そんな中でも住む者の表情が明るいことに、感心した。

「政宗殿はいい領主なのであろうな」

 はからず賛辞が漏れる。

 天候ばかりはどうにもならないが、領主さえしっかりしていればそれなりに凌げることもあるのだ。
 途中きいた噂話も、堀を作り、豪雪にそなえる仕掛けを万全に整える伊達の知恵。
 戦に駆り出された者の中には、もちろん戻らぬ者も多いが、それを丁寧に弔う風習と、思いやり。
 全てではないが、厚顔不遜な当人の姿勢とは違い、不満を持たせぬ統治は、やはり自分とは格が違う「殿」なのだと、思い知らされる。
 だが、そう思えば思うほど、徳川の狙いはますます理解できない。

 ――不安定ならば、戦うものがいるのだろうが……そうでもなければ、何故自分が?

 疑問は尽きない。
 そもそも伊達軍の兵士は政宗、小十郎はもちろん雑兵も腕が立つ方だ。
 川中島に乱入された一見で、政宗と構えたときにその動きは同時に見ているので、幸村自身よく知っている。

「それでも、ここに呼ばれるのならば、【意味】があるのだろうが」

『狙いは気にしなくていい。旦那は【日の本一の兵、真田幸村】であればいいんだ。きっと、自然と動けるはずだから』

 別れる前の佐助の伝言が、再びよぎる。
 釈然としないものがありながらも、「そうか」とどこかすとんと落ちた言葉。
 ここで考えこんでも仕方ない、と示唆するようで、幸村は再び馬上のひととなった。


 *        *      *      *
 仮にも奥州を納める王。そうともすれば、たかが面会とてなかなか叶わないに違いない。同盟相手とはいえ、裏を取り、場所を選び、周囲に気を払う……やることは山ほどあるのだ。

「早速の面会、厚く御礼申しあげる」

「くだらねぇ。固いことはぬきで行こうぜ。Hey,真田幸村。どうした?虎の若子は、三河に牙を抜かれたか」

「……っ」

 指摘は屈辱的だが、信玄のことを言いだされないだけましだろう。
 それより先にすべきことがある。
 ぐっと堪えて、書状を開いた。

 葵の家紋。
 徳川の意向により、一時的に伊達の元に膝を折る宣言――。

 差し出して、読みあげる。

「……と、ここにそれを証明す」

 ついで、「これにより、某個人は奥州の王のもと、平伏す。許しを」そのままの姿勢で告げた。
 下る、と言ったようなものだが、個人的に、の言葉を忘れない。
 ここにいるのは真田幸村個人であり、武田ありつつも真田である彼ではない。所属のないものと同様である。それでいて、徳川の保護があることを忘れなきよう――家康の文言自体も適格に――裏に幾重にも牽制を含んでいた。

 幸村を無為に傷つけぬように、しかし、尊重して戦ごとには出せるように。
 武将としての矜持は保たれるぎりぎりの線で、しかししっかりと伊達のもとに下賜するように……。

 ――これを屈辱とも感じるのは、己の傲慢か諦めか……

 だが、しかし心の内側から、かつてのような滾る思いがわかぬことだけは事実だった。

 ――きっと俺の口元は歪んでおるだろうな。

 獏然と思えば、激しく胸元を掴まれた。

「おい、真田」

 今の心境を。諦めにもにた吐息を、よしとしない強い視線。


 ――竜だ。


 そのとき、初めて幸村の目に「政宗」が映った。
 相対することを忘れぬ、ただ一人の竜がそこにはあった。
 殿としてではなく、個人としての政宗。
 よくよく見れば多いと思った軍勢も決して多くはなく……

 ――片倉殿と鬼庭殿と……伊達の家紋?伊達成実殿か……
 
 戦場でも特別に目立つ側近ばかり。

 つまり、幸村は伊達には、まだ預けられていない。仮に、置かれている状況である――そういうことだろう。
 ……もっとも同盟の関係上、返される可能性はほぼないのだが。
 しかし、かえって、その受け入れられない体勢が、自分に何かを思い出させる。
 
 しいて言えば幸村個人の感情とでもいうべきもの。
 ここにいるのは、まだ徳川の使者ではあれど、「己」――真田幸村という男なのだということ。
 気づけば、口が開いていた。


「某は、家康殿に言われてきた。しかし、武田は……この真田幸村は、三河 殿に下ったわけではない。ましてや諦めるなど」


 かっと、目を見開く。
 独眼でありながら竜と称される、激しい視線に、戦わせる。
 それは、己が伊吹を取り戻した瞬間――

「っ」

 わずか手前にあった政宗の舌が舐るように、喰らいつくように隙間から入り込んできて、あっけにとられる。激情は、家臣へ贈るような忠義の印ではない。ましてや情欲ですら――

「何を――」

 そう、言いかけるのも無理はなかった。
 けれど、同時に「試されている」ということも分かる。
 だから幸村は動かない。

「っ」とくぐもった声が漏れかけ、それを殺せば今度は息の代わりにぬめりとした液が流し込まれる。とんだ茶番だ。酔狂な殿の遊びで済まされる範囲を超えている。
 それでも、伊達のものは誰も動いていない。

 ――否。 
 状況を理解すら出来ていないのだろう。

「はっ 逆らえねーのかよ?」

 やがて、下唇を食んで、政宗が降参を告げる。
「ちっ」と、低くくだされた舌打ちが、周囲の動きを溶かした。
 幸村は己のが眼がぎらりと光るのを感じた。
 虚ろな空気は研ぎ澄まされ、すっかりと視界が晴れてしまっている。

 ――戦い日の夜明けのようだ……。

「政宗様……」と窘める側近を「黙れ」と制し、竜は虎を許諾する。

「真田幸村、お前は俺が引き受ける。……ついてきな」

 同じ門をくぐりぬけ中にはいれば、そこは奥州。
 表から、突破なしに招かれる行為に、ぞくりとしながら脚を進めると、感じ慣れたものとは形を異にする≪忍び≫の気配がある。

 ――監視はあるが……

 この程度のものなら可愛いものだ。

 ――真田忍であれば、この数倍は気付かせずに就く。
 そうして、主さえ止めなば勝手に手も下しかねない。(無論そうさせないのが己の技量であると、この、忍びの真の主は知っているのだが)
 
 幸村は、早くも上田を思い出していた。
 だがそれは帰郷への望みでも、懐古主義的な何かでもなく……己の立つ位置を確認する行為の一環であった。
 そんな主を、彼の側近とも言える忍びたちが見ていたらきっとこう言っただろう。
 ≪ 何とも皮肉な…… ≫
「真田幸村」と、政宗に呼ばれたことで、幸村は再び幸村に立ち戻りつつある。
 完全にかつての、真っ向さを取り戻しこそしないが、より強く歩み始めるのだろう。再び、前へ、前へ……。

 事実、幸村は決意したのだ。
 再び≪戦う≫ことを。

 虎の匂いに、周囲は緊張を強める。
 弱まったと思われていた若者は、別の何かに成長を遂げようとしている。
 竜が脱皮したように、彼がどうなるのか。
 見届ける必要と警戒、それらが伊達のものに新たに降りかかる。
 蒼を基調とした布旗の中、ゆっくりと……くすんだ紅が侵食していく。紫色に染まりつつある夜の闇の奥で。

ざくっとかいたので修正するかも。とりあえず、真田幸村、奥州に到着、の巻。