「あの子は息災か」
そう幸村は、数日に一遍、引き取った子供のことを聞く。
小十郎はそのたびに「気にならないわけではないんだな」とホッとしている。
では、両者と子供――竜の姫君を横で見ていると佐助は?というと、顔くらい顔くらい見せればいいのにと歯がゆく思っていた。
幸村は、恐らくどう扱えばいいのか躊躇しているのだろう。
――でもさ、実父(竜)の敵とはいえ、あんな優しい目でいりゃあね。そのうち伝わるだろうに……。
御簾越しにまるで公家のような対面をする、かりそめの父子はいまだにぎこちない。
それすらも行事ごとになりつつある。
今日だって折角だから、と気を利かせて下がった小十郎に対し、幸村はわずか数分で、ほどなく執務に戻ってしまっているのである。
もっとも、幸村が切り上げているわけではなく、彼曰く「彼女の方が気をまわし、某に執務に戻るよう急かすのだ」ということではあったが。
そのくせ、引き返してくる当人が、少女の望み通り書面に目を通していてもなお、気がそぞろになっているのだから困ったものだ。
「そんなに気になるなら、右目の旦那に任せずに、ダンナ自ら手習いでもさせたら?」
今よりは交流の時間がとれるはずだよ?と提案するも、
「しかし、あれは姫だ。男子とは勝手が違うだろう」
「……といっても竜の娘ならば、真田幸村の秘蔵っ子として納得されそうなもんだけどね」
「佐助、不用意なことを言うな。竜の、ではなく、あの子は真田の……出自は片倉となっておるのだ」
「はいはい」
結局、何度も交した問答になり、話が流れる。
「……まあいいや。それよりもさ、どうせ右目の旦那が英才教育施しちゃってるんだから、もう遅いと思うよ」
何せ片倉小十郎の英才教育――伊達政宗程度まで持っていこうとするに決まっている。
「初耳だぞ」
ぎょっと眼を見開いていた主に佐助は「でしょうね」としゃあしゃあと言ってのける。
「俺もびっくりしたんだぜ。片倉のダンナはさ、確かに教育係として此処に控えているけど、実際は主家の姫に対して真田を監視する役目。こっちとしても優良な人質だし」
もちろん名目上とはいえ《うまくすれば東一番と誉め称えられた笛の音やら、伊達の風流とやらを姫に伝えてくれるかもしれない》程度の期待は、真田側にもあった。だが……
「英才というからには姫としてだけの教育ではないんだな」
「ええ残念ながら。まさか、竜の右目が、かの竜の思い出話や風雅の講義のほか、虎の巻まで教えているとはね」
かくいう佐助が気づいたのもたった三日前。
「姫に教えてどーすんの!武将にでもするつもり?」と慌てた真田忍びに、悪びれない竜の右目は、
「本人が隠れて読んでたんだ。誰だよ兵法書おいてったやつは」
そう言った。
まあその後佐助が観察したところ、実際、特別姫に影響もみえないようであるし、幸村が来ることを楽しみにしていることから考えても竜の復讐に兵法を習おうとしたわけでもないらしい。
つまるところ、「無害」。
だから、幸村には伝えていなかったのだが……
「あれはね、座学なんだろうよ、きっと。ああいう部分無くして竜の旦那を理解するのは難しいから」
そういうことにしておけばいい。
そして――
「――そうか。ならよい」
そうすれば、主ならこう言うと予想していた通りの答えがかえる。
佐助は満足して、「だからいっそダンナも便乗すれば?」と煽る。
「……」
だが幸村はうなずかない
政宗を理解するには奥州流、小十郎にまかせた方がいい、とききいれるつもりもないらしい。
某が水をさす必要もない、の一点張りだ。
その理屈だけならまだ対処の方法もあった。
しかし、
「それに、某、勘助殿にこれ以上の負担をかけては……」
「まあね」
これを持ち出されては引き下がらざるを得ない。
幸村の時間がこれ以上別のことに削られてはたまらない、のは事実だ。
九度山に篭ったとはいえ、幸村は上田以下甲斐の一端を任された大名。
平安の世が訪れた今だからこそせねばならないことは山ほどあるし、本当はそう閉じ籠ってもいられない立ち場にある。
そしてまた、そこを押して、出家手前の僧のような生活を此処でさせてもらえている裏には、徳川の温情と山本勘助の存在があった。
実は幸村が領地分割の際に、家康に対し、あくまで上田のみでいいと言い張った結果、勘助が一人で甲斐とその周辺を武田の土地として面倒みることになった経緯がある。
勝頼が討ち死にした後の、信玄の後継とされた幼子を支える役割……それは本来は幸村も負うべき役割でもあった(真田家自体は、兄信幸も健在で、別に石を与えられており、そもそも上田も信玄に任されていた土地なのだ)勘助のみに任せるにはあまりに重い。
「山本の旦那も、よくやってくれてるけどあくまで元は一家臣だし。統一に活躍したのは真田旦那だからね。本当んところ、真田幸村っていう旗印が欲しいんだと思うよ」
「分かっておる」
戦の英雄の方が都合がいいことは山ほどあるのだ。
佐助が伝えずと幸村も理解しているから、頷く調子は重々しく、
「家康公の期待もある。此処にいるうちにせめて、周辺のことふくめて整えておかねば……」
休む間はない、とそういう結論になる。
上田の統治と、此処らのごたつき(ちょっとした秀吉の置き土産――小競り合いが残っている)の平定と。
どちらも、幸村が九度山にある我侭に対する代償。家康がそれとなく与えた、幸村が解決すべき問題なのだ。
時間はいくらあっても足りない。
「流石に出家も諦めた」
と、そこにきて幸村は苦笑いで付け足したものだから、
「ええ?いいの?」
佐助は思わず声を出す。
せめて姫が育つまで、さもなくば(そもそも姫は行く末は幸村の室にという意味をこめて出されているのだから)人質としての意義が下がるとと小十郎に、説得されてなお、出家する気まんまん幸村だったのだ。
あえて口にしないが、「竜を滅ぼしたときからこのお方の時間は止まっている」と、屋敷の者は誰もかれもが思ってさえいた。
佐助とて例外ではなかった。
――それがここにきて……
あまりの意外な出来事に、主の顔を、幾分ぶしつけに覗き込む。
……と。
何年ぶりだろうか。
あの頃のように、自分の不甲斐なさに呆れては立ち直り、まっすぐ進む真田幸村の目が見えた。
迷いの無い視線は、戦場にあった赤い一陣。その核、虎の若子を思わせる。
「どういうつもりか、姫にまで諭されてはな」
「ありゃ。旦那が山から下りてこなくなるのは嫌だって言う【可愛い我侭】とか?」
「――いや。統治者の義務について叱るようだったぞ」
それはすごい。
「さすが!」というか「あちゃあ」というべきか、姫らしくない姫――竜らしい思考回路の持ち主である。
「もういっそこっちのこと、姫に任せちゃえば」
そう言ってやれば、幸村は「そうなるかもな」とまんざらでもない様子だ。
先ほどまで姫だからといいわけしていた人物とは到底思えない。
だが、それじゃまずいだろ、と幸村の忍びは思い直した。
――久しぶりの親子の会話がそれってどうよ?
やっぱりせめて、会話らしい会話をさせてあげないことには、修復不可能以前に、「父子」に馴染まない。
姫ももう11歳。
幸村のほうは自分の室に迎える気もさらさらないようだが、他の嫁の貰い手がこれではなくなるんじゃないか?――そんな心配も出てきそうだ。
「そんな旦那に朗報。毛利の旦那が徳川へ忠誠を示そうとこちらにまで気を配ってくれてるみたいだし、今年は暑い日が多かったから作物の心配もない。旦那はもう暫く休んでてもよさそうよ」
「だが甲斐の今年の取れ高は――」
「そっちは信幸様が便宜を図っている」
信玄のため戦場を駆け回っていた頃とは比べ物にならない責任。
忍び遣いが荒いと文句を言っていられた佐助も最近では、幸村が被っている圧力に軽口を忘れかけるほど。
だが、休まなければそれはそれで危ない。
「まあ旦那に時間が足りないのは分かりますけどね」
佐助は真面目すぎるのも考え物だと、突破口を考える。
――ああ、そっか。
いっそ執務の一部を、片倉の旦那に任せてはどうだろう。
教育や近場での農作物作りで終わらせるにはもったいない人材なのだ。
その脳裏には、「かの右目の執務を押し付けて逃げていた若い竜」がこっそりと浮かんでいたりするのだが、そこはあえて言わない。
見習ってほしいよとぼやくわけにもいかないので、しょうじのむこうの気配を巻き込んで、
「片倉の旦那がお守りだけじゃなくて、たまには政務もしたいって。じゃないと脳みそが腐るとおっしゃっていますが」
「なっ」
悲鳴を上げるあちら側を無視して、話を進めてしまえばいい。
「おお、そうか。それは気付かなんだ」
「とりあえず午後の書面は簡単だから変わってもらいますか?」
「片倉殿ならば内情については知れて問題ありますまい。引き受けてもらえるか?」
「大丈夫でしょ、」
たぶん、も何も本当はすぐそこにいるのだ。
そして小十郎ならきっと纏めてどうにかしてくれるだろう。
それでもまだ政治の話ばかりつらつらとしているようならば、自分も混ざってしまえばいい。
久々に戻りかかった幸村らしい空気に笑みを殺して、佐助は障子の向こう側に回った。
小十郎への、幸村の「お願い」という名の命令を伝えるために。
だてもの だもの、的な世界観。についてはそのうちまた。転学の方も同じ歴史設定です。今のところBlogにちょこっとだけのっけてます。