「織田、松永の庇護がなくなり、おさめるものが完璧に費えた堺はもはやあれの手の物か」
「利休殿が転んだと聞く」
「……前帝のおとし子か」
「ああ」
噂かと軽くいえる空気ではない。
そもそも真偽を確かめようがないのだ。
万一、疑うことで無礼を働いたとされる、その可能性の方がよっぽど怖い。
確認の出来ない現実――反対に言えば、秀吉へ刃が向かぬかぎり、それは「事実」として機能してしまう。
――むしろ、これだけ期間をへてもなお御所がそれを否定するつもりがないということは、つまり「認める」か「認める体勢」をとるおつもりということ。
「後ろ盾は、はっきりしたな」
理由はわからない。
だが、秀吉の後ろには、正親町がついている。今上に否定の発言がないならば、そういうことだろう。
「やっかいなことだ。……ところで織田の跡地だが……」
「ああ」
出来るだけ今その話はしたくなかった。
そうもいっていられない時分だということもわかるが……
――立ち位置がはっきりすれば、お前と俺とは……
言わずと賢い家康のこと。とっくに気づいているはず。
――ましてや下に情報の要――服部半蔵を抱いている限り……前田が柴田につくなぞ知れているにちがいない。
だから、敢えて、次にあうときのことを言わずにいる。
ひとつの戦いが終わり――本能寺の決着を一応につけて、その後のことを。
代わりに、
「あれるな……」
家康はそう宣言し、
「ああ」
利家は頷いた。
「ことは深刻だ」
何か握っているのか、と。思わず聞きたくなる調子で家康は続ける。
利家は疑問を口にしかけて、すんでのところで口を結んだ。 家康に情報戦で後れを取っていることに、矜持が許さなかったからではない。
単純に何が起こるか、今それを知ったところで、前田家の採る道は決まっていたからだ。
――柴田を裏切れん。
友人だから、ではない。理解者だからでも。義理も、本人にはない。
だが、信長の遺言。その内容に従うがゆえ、裏切れない。
直に頂いたのは利家だけ――その自負はあるのだ。
怖さでなく強さでもなく、利家はかの魔王の「未来」に従っていたから。多少やりすぎなところが見えたとしても、彼の信じた未来にかけた。
だから、変えられない。
家康とて、その点はきっと同じに違いない、今もどこかでそう感じている
。事実――
「織田は――信長様はお強かった」
信長、と呼び方を戻した家康に、その片鱗が見え隠れしていた。
だから、「だが、もういないのだ」 と、そう。
利家が唇をかみしめるよりも先に、
「今は偲びたい」
素直に言葉が放たれた。
「ああ」
うなずき、茶を勧めれば、家康は懐かしそうにそれを手にする。
一戦がすぎ、明日になれば利家も加賀に戻る。
別れに一服するもよい。
「そういえば、茶を点てることについてもあの人は独特だった。杯がドクロだからではなく――」
「味わうが先といったな。利休殿がそれでも閉口しなかったのは、風雅を知っていたからか」
「犬千代も雅を解すると好かれていたが、わしはいかんせん足りないらしくてな」
「そうか?竹千代の場合、理解はしても敢えて追随するな、という信長様の言葉がきいていたと某にはおもえるが」
「――。信長様はへそ曲がりときまじめをおなじくらい好んだからな」
「へそ曲がりがすぎて、あいつに裏切られるとは……」
「想定内だろう。それでも下におけるなど…………わしには到底無理だ」
「……そうか」
俺も、だ。と頷いて、家康の点てた茶をいただく。
利家は、ふと作法を無視して家康を凝視した。
「この味が苦いと思う頃からのつきあいだったのだ」
ぽつりと口走る本音に悔しさが滲む。
その珍しくかげりのある横顔を利家は一番近くで見た。
この先のことをまるで予期するかのように。
しずがだけ 一歩前の話。これと並行して誰が大暴れしてます。裏側更新ですんません。でも書きたかった二人の話。