かのひとの門  >慶次・まつ・濃姫
【SIDE 慶次】

詮議を終えた慶次は、すぐに奥殿の濃を紹介するつもりだった。しかし、利家は戦況の確認で物見と話をしていたし、奥村とはなすうちに、気づけばまつの姿がない。
先に、戻られたのだろうか。だとしたら、おそらく、奥では、再会が一足早く果たされているはずだ。
侍女に許可を求めれば、いつものような遊びめいた空気でないことを感じたのか。優秀なまつの側近は、すぐに奥に伺いに行く。やがて、すぐに奥の間に通された。
静かに震える空気は濃のものだろうか。たおやかに見えて、譲らない女性だ。のぞき込むまでもなく、声が届く。

「生き残ってもらわないと困るわ。再び私が表側にでるつもりはないけれど、だからこそ。前田にはのこっていてほしいの」

「濃姫様」

「安心してちょうだい、迷惑にならないようにするから」

「そんな……」

まつは迷惑だなどと思っていないだろう。
答えは戸惑いよりも、安堵に満ちている。鼻声になっているあたり、少し泣いたのかもしれない。まつの、花嫁修業の先は濃だったときく。

「ただ、」

とそのとき、濃が口をつぐんだ。
いいよどむ雰囲気に角からのぞけば、不安そうに揺らぐ瞳が見えて、慶次は彼女のいわんとすることを悟る。

――御子か。

ここにきて隠し通せるとも思わなかったが、明るみにでたらどうなるかは、前田の沙汰次第。
何事もなければいい――大丈夫だと信じている慶次ですら、心臓を圧迫されるような思いがする。
濃は何度か口を開き――が、声がでずにパクパクと口角を動かした。力つきたように、おろされる手元、指先が哀れを誘う。けれども、もう言葉は必要なかった。

「もしや」

普段の気丈な様子に比べれば、伝わってしまうものはある。濃の目の先には彼女の腹があり、さらに奥を見つめる瞳からは隠し通せぬ母性がこぼれる。
今度はまつの方の口があいたままでいた。絶句に目を見開いて、その予感におののいているのだろう。
しかし、目にうつる感情は「知りたくなかった」というような負のものではない。純粋におなごとしての幾ばくの嫉妬をふくむ、だが、喜び。

「気づいたのは最近なの。慶次に――あなたの甥ごに助けられてすぐに……。でも、殺すなど」

できないだろう。
そんなこと言わずとわかる。ましてや、愛する人の残した唯一なのだ。血脈や後継の問題もある。複雑で、利用価値がある、ある種の災厄だ。
だが、濃はもちろん、慶次にもまつにも、そうは思えなかった。

「そういうことにございましたか」

「いざとなれば俺がつれて逃げるよ。だから、利にも聞いてもらった方がいい」

「そうね」

濃が返す。
さとい女性だ。一度明るみにでてしまえば躊躇はない。ここにきてしまった「責任」は、もはや慶次だけではなく、自分にもあると知っているのだろう。
すべてを引き受けるつもりの、慶次からすればその気遣いこそがもどかしい。

「話をした、知らせたこと自体、迷惑とお思いならそれは間違いにございます。そのようなことで【前田】はうごかない」

「そうだったわね」

「でも本当に、生きていてよかった」

涙を堪える様は見ない方がいいだろうか。
慶次は感極まっているまつから目を逸らし、濃を見やる。あやすように、まつの肩を叩きながら、彼女は、あきらかに慶次に向かって告げた。

「状況は分かっているわ。だから……利家に伝えなさい。豊臣には後ろ盾がいる。徳川でもなく、旧織田でもない何者か。それが明るみに出るまで迂闊な動きは止めるべきよ」

「濃、さま……」

「恐らく、ではあるのだけれど。豊臣は近江に出てきたのよね? 勝家は……?」

「雪で、出陣が遅れ、一時撤退致しました」

「そう。降伏のそぶりで、にわかの和議でも図ったのかしら?」

「……」

まつは黙り込んでいたが、その沈黙こそ現状を明らかにしている。
正々堂々が好きな柴田らしくない提案だが、可能性は大いにあるということか。事態が切迫しているというより、兵力に差がありすぎるのだろう。

とはいえ(だからこそ)そもそも豊臣側も「和議」をするつもりなどなかったにちがいない。よくて「そのふり」なのだ。
そう思えてしまい現実が切ないが、それ以上に現状の秀吉の強さがうかがえる発言こそが慶次を驚かせていた。

「一気に攻め込むか――勝利を焦らず、今一度機会を待つべきか。この段階であるならば遅い。仮に交渉が決裂したとして、先鋒は、任されぬ限り引き受けぬよう」

濃だけが気にせずに、慶次を通じ、利家への伝達を考えている。
着々と下される言葉は、確かに命で――信長亡き今とて守ろうと思える力がそこにはあった。前田は完全な織田の傘下ではなかった。さりとて、信長の下す命は、守らぬ方が愚かに思えるもの。賛同に異論はない。

「俺から提案しようか?」

「慶次」

「なぁに、新参者だから、といわれるのなら、奥村(あのひと)あたりに頼むよ。利も馬鹿じゃないはずだ」

そう続けようとしたとき、畳が渇いた音をたてた。
タタン。一か所に人の重みが加わり、不自然に空気を振るわせる。

――忍び。

黒く、見るからに影と分かるものではなく、明るい袈裟に見慣れた僧服。動きに見合わない第三者が目の前に降り立つ。
敵でないことだけは、落ち着いて「伝令を」と聞きだすまつの状況から見て取れた。

「まつねえちゃん、忍びは嫌いっていってたじゃん」

あれだけ不得手にしていた忍びを使っているのか?
幾分不可思議にも思えたが、影の存在は可笑しくない。もともと、加賀は……利家は、織田の忍びと共闘していた。ただ、淡々と彼(恐らくは男だろう)の相手をする義姉への違和感に呟けば、まつは、

「本業として使い捨てる作法は前田にはありませぬ。ただただこの地で、身仏に準じる最中、我らの護国に共感する者のみ――まつの味方にございます」

「そりゃあ」

――そうなんだけどさ。
この国に寺がいくつあるとおもってるのか。その全てじゃないだろうな?

呆れか驚きか。何とも言えなくなった慶次に、まつはつけたす。

「本当のことを言うのなら……まつは、犬千代様には、生臭坊主を増やさぬよう進言していたのですが」


おかげで情報は格段はやく手に入るから、そういった本音はこの際置いておこうか。慶次は、肩を竦めて、次の行動を促した。

「急いで伝えよう、利に」


四時衆のつづき。ですが、タイトル変更・ かのひとの門シリーズでいきます。ようするに しずがたけの戦い。