かのひとの門  >慶次・まつ・濃姫
【SIDE 慶次】

近江から長浜を落した秀吉の動きが見えぬまま、数日が立とうとしていた。
滝川一益の柴田側への賛同。亀山城の落城――
情報ももはやまばらだ。

そもそも長く風来坊を決めていた慶次からすれば前田に溶け込んでいる現状自体が不可思議で……いまだ現実味を帯びない。
西の方角を見て、慶次はさきほどの伝令を反芻する。

――慣れないな。

この辺りの木々は香りが濃く、前田の所領とは違う乾いた空気を呼びこんでいる。
此処……万福寺は、かつて浅井攻めの際に薙ぎ払われた。跡地を整備し、砦を築いたのはひと月ほど前。このような使い方をすることになるとは思いもよらなかった、と布陣後、すぐ利家は漏らしていた。


「利」

「む……」

「出るか?」

「――いや」

すぐに撃って出るのでなければ止めておいた方がいい。

信長の策を知り尽くしていた濃姫の進言だけに、利家にも響くものはあるようだった。あるいは、数日ほど柴田の本陣にいた際の……苦々しさのせいかもしれない。親父殿親父殿と慕っていた柴田勝家の言動は、濃とその子供……主筋の生存を知ってしまえば、ただの「意地」に見えた。むろん、もともとが柴田という武士の命がけの意地っ張りであり、彼の頑なと言えるまでに真っすぐな姿勢は好ましくもあるのだが、それと「前田家」のこの先とは別だ。個人としてではなく、二人は今、家を背負う者として此処に在る。
そして時間が過ぎれはすぎるほどに、豊臣の動きが不気味にも感じてくるのもまた厄介な現実だった。

「移動をすべきであろうか。我々の杞憂でしかなく、清洲会議で豊臣が和議を飲んだ形に納めてくれていればよかったが」

「利、それは――」

「無理な話にございましょう」

慶次より先に、そう進言をするのは前田の古参将だ。

「佐久間殿は大分進軍しているらしいが、我らはどう致しますかな?」

「佐久間殿が、か」

あれは昔から親父殿寄りだったと、慶次はうっすら思い起こす。あまりに幼い時分で、忘れていたものだが……何故かここにきて取り戻す記憶という情報の多いこと。

――向きじゃねぇのにな。

「伝令、伝令」

……と、そのとき、本陣からの伝令が来た。判断は前田(こちら)に任せるが佐久間は拳闘しているというような内容だ。報告がただの報告か、あるいは急かすための報告か、慶次には図りかねた。
ただ、これだから戦いは嫌いだ、と思う。
喧嘩はいい。小細工は一切なく、そこにあるのは強いか弱いか。どちらがより多く「思い入れているか」。単純でいて、絶対の道理がある。少なくとも慶次にはそう思えた。
しかし、今自分にできるのは黙ることだけだ。
「どうする?」と伺うのは――言わずと、この矢面で決定権を握る利家に他ならない。

「留まる」

答えは、出た。
この結論は先の戦況にも深く影響するもの。実際、戦況が硬直しかけている現実もあるが、動かないというよりは、前田の動き次第でわずかに変えられる今がある。

――けどな……利も、戦いを大きくしたいわけじゃないんだよ。

背水の陣であるのは、味方であって――前田は出来れば中立に抑える希望を捨てていなかった。その曖昧さが許される力を、前田は、この選択にかけたのだ。

「場所を変える。一度退いて、陣を、西方の抑えに回す」

「その後、茂山かい?」

「わからん。状況をみる」

「承知仕った」

指示をする合間、利家はどうやらまつにあてて伝令を出したようだった。どうせ急ごしらえの館にはとどまっていないようだ。硬直した現状であれば、動くのは必至。

――陣ごと戻すわけにはいかないが……

「慶次」

「一度退く際に合流するのかい? 俺にそんときだけ隊をここでみてろってか?」

「……」

「わかったって。いいぜ? 利みたいに裸になるわけにはいかないけど、今の格好ならばれないもんな」

「頼めるか」

「ああ」

「慶次、これを言うとお前は怒るかしれんが――最初はまつ人質代わりに親父殿の館にやるつもりだった」

「な、」

「要請されていたが、曖昧を通している」

「そうか」

「中立でいられるときは、この局面までだ。雪どけとともに親父殿はでてきている。親父殿がはやいか、あるいは」

「秀吉が早いか?か……」

「おう。今夜移動する」

「承知」

隊列は二つに割った。どのみち二箇所にわけて、硬直状態がとけるのをまつ心持ちだったのだ。
しかし、自体は休息に動いていく――。
木之本に陣をはってた秀吉が持久戦を見せかけて、とうに移動を開始していたのだ。岐阜城を追いだされたの反乱のせいだというが、事実は違っていた。


しずがたけの戦い。走りだしました。