かのひとの門  >まつ・濃姫
【SIDE まつ】

濃とまつは、山脈沿いに寺を移動していた。
城の様子はもちろん見ていて、いつでも裏側を通って戻れるように、路は確保されている。
今朝の報告によれば、戦況は硬直状態にあり、こちらにまで手を伸ばせるものも早々いない。敢えていうなれば奥州と上杉くらいだが、謙信の動きは武田の騒動以降聞かれず、奥州も奥州で北の最上、南部とにらみ合って動きが取れていない模様だ。
とはいえ、この寺は暫く安全だろうが、状況次第で城と周辺を点々とする心づもりがあった。板間と板間の隙には忍び隠しもあるが、そんなもの使用せず、こんな辺鄙な場所に寄るものもおるまい。
いたとしても、僧侶くらい、だろうか。思うと、ふと、

「まつ殿」

後ろから声がかけられた。
静かに落ちた響きに、まつは落ち着きはらった声を返す。

「太郎丸」

すると、何処からともなく鷹が現れ――影……忍びの横を掠める。
びくりと。この場に違和感のない法曹姿の忍びは警戒を見せていたが、まつは気にもせず大鳥を腕に止めた。

「何を脅えているのです?」

「――いえ」

濃姫が、斜め後ろにて、相変わらず忍びが苦手なのねと苦笑をもらす。
加賀の忍びは既に彼女の――織田の正室の存在を認知しており、そのうえで、遠慮なく主たるまつに報告を延べた。
情報は二人へ同時に漏らされる。

――濃姫様はまつよりも策に通じておりまする。

だからというわけだけでもないが、手持無沙汰に待たせたところで何が出来る状況でもない。ましてや身重の体。防衛も考えて、一緒にいた方が安心というもの。
まつが、濃にもきいてもらいたいという意図は忍びにも伝えられており――

「布陣図は?」

「これに。――流石にぎりぎりまでしか入り込めず大凡のものになりますが……」

「それだけでも大したものね」

見聞を促すより先に濃が自然、その図を取った。
忍びは続いて、指で布陣図を指し、補足を述べていく。

無骨な指が裾から覗く。
特徴的な濃淡の――忍び装束替わりの、袈裟。
加賀忍びとは始めての接近だが濃は慣れている様子だった。ためらわず間合いに入るが――隙はない。
かえって、まつの腕……太郎丸と呼ばれた鷹の方がその接近に気をくばっているかのようだ。一声、啼いた。

――緊張は解けておりますが……

堂堂たるそぶりは、流石に魔王の嫁だ。
忍びにはなれぬだろうからと気を使って読んだ太郎丸だったが、要らなかったかもしれない。あるいは、まつが、織田に忍びはいないものだと決め込んだだけで、実際のところ軍備に添えられていたのかしれない。

そんなことを考えながら、まつは脳裏で前回のものと比べ、移動を心見た。

――なるほど。ほとんど変わらない。

忍びが補足に回る。

「豊臣軍の動きはあまり見えておらず……此方の布陣が優位ゆえ恐らく――」

が、しかし――

「状況を。分かる範囲で全て。まつも濃様も推測は必要としておりませぬ」

被せるようにまつは問うた。

「木ノ本布陣。その数五万――」

「五万……」

「此方の布陣が優位ゆえ、恐らく硬直状態にならざるを得ないものかと」

「いえー違うわね。――まつ」

「はい。濃様……何か気になることでもおありでしょうか」

「ええ。気になるというか……近々動く気配がある」

「何故?」

「何もなくとも、キツツキの真似ごとくらいするでしょう。硬直は望まないはずよ。地の利は勝家の陣にあるから総力戦になれば負けてしまう。あちらとて采配を預かる軍師がいるでしょう」

「竹中――半兵衛殿」

「だから仮に反乱や築城の知らせがあり、仮に虚偽かどうか見分けられたとしても、【何か】は起きる。たやすく本陣を動かすわけにはいかない」

「おとり、と?」

「かもしれない」

――柴田殿に伝えねば。

思う反面、既に遅い可能性がよぎる。
前田の陣は把握しているが、本陣までの伝令となると遠すぎるのだ。

――その際、前田はどうするか?

言われずと、これは「決める」問題だ。
今回は勝てる戦でもあり負ける戦でもある。どちらも有りうるし、どちらにせよ前田の立ち位置は微妙になる。「戦」であると同時に「政」でもあるのだ。

「万が一籠城や、長引くことが予想された場合は……」

場合にはどうするか――濃が言うより先に、

ぴゅーきゅー……

鷹、太郎丸が応えた。否、応えたのではない。バサッと、まつの肩を掴み、飛び立つ鳥は何事かを暗に告げる。
と、同時に――

「お方様」

まつ、ではなく、その名称を使う忍び。
つまりは「異変」。
大分早い読みではあったが――人の気配が……しかも動物を伴うそれが、近づいていた。

「濃様を」

声なく、返事をし、忍びが濃姫を忍び隠しに放り込んだ。
すぐ裏ゆえ、会話は可能な距離。
ほどなく、馬の嘶きと蹄が響く。真っすぐ、特別武装するでもなく駆けつけた影――それを見て、まつは、息を呑んだ。

「豊臣の……」

秀吉。
慶次の――ねねの知己であり、まつにとっても無関係とはいえない彼――敵方の総大将は、単身、この地を訪れたのだ。武装はなく、ともといえる共も見えない。(距離感から察するに、忍びはついているかしれないが)
過ぎる緊張感。

「前田の――」

主君信長も大きかったが、一層大きく見えるこの男は、空気もまた力に満ち溢れている。ただ、敢えていうならば、やはり「敵対」にしては、彼の様子は厳かが過ぎた。

――知られていては仕方ありませんね。

「まつにございます。此処へは如何様に参られました?単騎で奇襲というのもおかしな話……」

「こと伝えを」

利家に、と言う秀吉から察するに慶次が復帰した情報はまだあちら側には伝わっていないようだ。悟られていたところであちらからすればたかが一将かもしれないが、知られねば何かの折り、切り札にもなろう。
皮算用しながらも、すぐふれるよう薙刀は左に少しずらしていく。
秀吉の体勢は変わらない。

――ほんに、こと伝えのためだけに来たのならば?

だとしたら、伝令も使わずに何を伝えたいのか。
完全に言葉を拒むも拙い気がして、一拍置いたまつは、その選択を後悔とも違う不安定さをもって受け取ることとなる。


おなごの戦い、にござりますれば……。