好事家の集い  >慶次・濃姫
【SIDE 慶次】

「もう三日か」

食料を調達して戻った慶次に濃姫はようやく自然な笑顔を見せた。
憔悴の影は濃いが、無理矢理唇の端をあげていた頃とは違う。

「猪をとったから、たまにゃ牡丹鍋といこうか。野菜は下の畑から分けてもらってきた」

かつぎ上げた藁に肉や野菜がくるまっている。
大層な量だが、ある程度まとめてでなければ移動頻度が増える。
人目につくのはあまりよろしくない。その辺りを城育ちの彼女が理解するとは思えないが、窮屈をおくびにも出さないのだから上出来だ。

 ――生き甲斐ができたのは幸いかもしれない。

慶次は思う。
もとより信長のために生きてきたような人だ。
まつが、濃姫を語るときに、「姫として殺すべき人を伴侶とし、お家をたつ覚悟をする以外、あの方はあまり多くを選んでこられなかったのです」と、告げた意味が今ならばわかる気がした。

「人付き合いが得意なのね」

「市井のもんとはつきあいがなかったのかい」

「慕われてはいたみたいで、顔を出すと喜んだけれど、織田の家臣はあんまりいい顔しなかったわ」

最初は敵国の姫で、ついで織田の鬼姫。
戦いを印象づけすぎて、本当に城下でもないかぎり、怖がられたと、濃姫は振り返っていった。

「そっか。アンタ、美人だから。見慣れない田舎もんからしたらどのみち近寄りがたいだろね」

「そうかしら。ならばいいのだけれど。――それよりいつもいつも……」

「おっと謝るなら感謝がほしいところだよ」

「ありがとう。――前田のものは強くて優しいわね」

「ああ」

前田のとお家を出されることへの抵抗はあったが、純粋にまつと利をさしているようなので、意地をはるのも飽いた。
それより、体のためと食事をしっかりとり、こちらに気を使って眠れなくなるようなこともなくなった濃姫に安堵する。

もちろんいつまでもこんな生活を続けるわけにもいくまい。
だが、一時的に隠遁生活をして、情報を集める必要があった。

 ――思った以上に得られた情報は少ない。さて、どうするかな。

 利たちがどうなっているか、今のところ倒れた話もきいていないが、決戦の頃合いはまだだろう。

 ――松永の有無程度じゃ、影響しないくらい武田は強い。

濃姫を逃すには織田配下でもなく、武田とにらみ合っても一時的にしのげるだけの勢力を探す必要があった。

「上杉かねぇ」

「……移動するの?」

 ――謙信に頼んで、動きを阻害するようなことはしたくないからな。

 言いくるめて直江。
 でも、取引材料がない。
 あいつは表裏のある人間ではないけど、何もなしに長居は出来ない。好きなだけいてもいいと、かつてその屋敷に逗留し、あまりある蔵書の漢詩を読ませてもらったが、あのときとは事情が違うのだ。


「走馬西来欲到天 
 辞家見月両回円
 今夜不知何処宿
 平沙万里絶人烟」


「磧中作だったかしら。漢詩なんて読むのね」

「意外だったかい?」

「いえ。懐かしくなったの。父の書斎でこっそり読んだものよ」

「マムシの?」

「そう。ほとんどが史記か兵法書の類だったなかで、漢詩の書もひとつだけあったわ。家のものの目がある手前大々的にはいかなかったけれどそれを持ち出したの……」

直江の所蔵を理解する女性であれば、それはそれでーーやっかいではあるが、面白がってくれるかもしれない。
考えて暗くなっても無為に時間はすぎる。いっそいってみるのはどうだろうか。


「よし!」


「あてがあるの?」

「ああ……通過させてもらうのが関の山かもな。どのみちここは離れなくちゃならないから、駄目もとでね」

武田は出来るだけ農村は荒らさずに道を進めるが今回は引き下がるまい。そんな予感がある。(もっともあの暑苦しい侍や変わり者の軍師がいるからには、無為に荒らしはしないだろうが)

「……武田は本気なのね。信玄公も年が年。確かに上洛を目指すならば絶対引かないでしょう」

「あのおっさんが謙信が来づらい冬手前を選ぶってことはそうなんだろうな」

軍神との戦い(喧嘩)を取ると思っていた慶次も、これには少し驚かされた。
しかし言われてみれば至極当然なのだ。
慶次には理解できないが、彼には理想の政があり、そのための上洛は必須だと生きてきたのだから。
 生きざままで否定するつもりは、慶次にもなかった。

 ――自分はすり抜けて、乱世を愉しく生きるだけ。

「食べたら、食料を小分けにしよう。乾物を多く、持ち運びの籠もある。明日昼すぎにはここをたつ」

「わかったわ」

鍋の用意をと手伝うために、たすきがけにした袖。こぼれる白さに一瞬目を引かれてひやっとしたが、次にみた瞬間、彼女の表情はもう母のそれになって、炊事は苦手とこぼすのだ。

 ――いやになるね。

 恋を失い、恋を手に入れた彼女は強くて、輝かんばかりだ。ならば悲壮感を抱いて立ち止まる暇なんぞ自分にはないんじゃないか?
 苦笑して、危なっかしい手つきを助けるため、重い腰を上げた。



*      *      *      *      *

 松風はそこらの駄馬どころか、騎馬隊と比べても遜色のない速さを誇る。過ぎ去る景色の切り替わりに、濃姫はびっくりしたようだった。

「大丈夫かい?」

「織田でも馬には乗ったけれどここまで早いのは初めてで……」

「ここを抜けたら、峠だ。折り返して、左に降りれば上杉領(目的地)には近い。この時期の飛騨を抜けるバカもいないだろうから出くわすとしても、上杉の兵だ」

「それじゃ――」

「大丈夫。あそこは冬が厳しい。謙信がむやみに降りてこないのは、民の冬を、暮らしの厳しさを知っているか。兵も武将も例外なく、苦しい。だから冬は仕掛けず、春を待つんだ。実りの春とて、あそこにとってはわずかなものだから。秋の収穫を大切に蓄えて、譲り合って生きてる。――米だけは美味しいけどね」

「そういえばまつが、あなたがもらってくる米を自慢していたことがあるわ」

関心したように濃姫が言う。
姫の目から見た農民はどう移るのだろうか。
少しでも伝わればいいと、慶次は下の景色を伺った。

相変わらずの曇天だが、ここから先ではこれが「好い天気」となる。
日差しはほとんど指さない。
幾分松風の進みをゆるめ、そのまま峠に向かうことにする。


……と、そのとき、地を響かせる重低音と、それを追う馬のいななきが耳に飛び込んできた。
一、二、三、四……少なく見積もって七頭。
刻まれる規則的な歩みからみるに、相当訓練された隊のものだろう。

「武田の騎馬……赤揃え…………真田の隊か」

その予想に濃姫が息をのんだ。
静かに唇に人差し指をあてて、松風を降りる。自分たちが進路にいないことを確認し、

 ――忍びがいない。

 まず気づくのはそれ。幸村の決死の表情には、そもそもこちらとて何もなく過ぎたいところだが、あちらがそれどころでないことを悟った。

岩影に息を潜めて松風を伏せさせる。

「真田幸村がなぜここに?この方向だと飛騨ごえになりかねない。加賀側をせめる別動隊か?いや、それなら忍びをつれていかないはずは……」

「ええ、利家もかかえていたから、忍びは忍びへまかせる。たぶん……織田にことがあったのと同じく、武田にも何かあったんだわ、信玄公に」

「…………小隊だ。もう時期全部がここを抜ける。急ごう。上杉領へ入る」

「ええ」

言葉は不要だった。
注意深く後ろを見張る濃姫に対して、慶次は松風を巧みに導き、進路を変える。

飛騨を抜けるやり方は三つ。だが一つは前人未踏の岳であり、まず帰れないから却下。残りのふたつのうち、比較的ましな方とすれば、やはり海沿いに出るつもりだろう。

「加賀は大丈夫よ。多少の無茶でもしない限り、真田が本体を離脱する言い訳にはならない。だから選ばれた。あなたの見立てを信じなさい」

「……」

織田ではまれに濃姫が指揮を執ったという。嘘か誠かわからない噂が今はありがたい。
冷静さがかえれば後は前に進むだけ。

「ありがとう、おかげでいい方法が思いついたよ。アンタ、やっぱりいい女だね」

魔王にはもったいなかった、と冗談で言っても大丈夫だと思わせる程度に、彼女は回復して見えた。女は強い。再び松風に背を許してもらい、もくもくと上杉領を駆ける。

向かうは上杉の一の将。直江兼次、その邸宅。



兼次はタダの無敵ではないのです。