「頼もう!」
風来坊が遊びに来たぞ。
大きな声で呼べば、門番はじめ、数人の家人が「この時分にうろついてんのかい」とあきれ半分、心配半分に慶次の方に集まった。
「おいおい、そりゃないよ。俺は家から勘当された身。ここにくるときもただの慶次、情勢は関係ない」
「そりゃ、そうだけどね。うちの旦那をあんまりまきこまんでくださいよ」
「はいはい。分はわきまえていますって。これ、土産」
どさっと、持ってきた旅仕様と思われた藁と積み荷を投げて、慶次は屈託なく笑う。
斜め後ろで袖をひっぱる姫の不安などとっくにお見通しだ。
だが、今何か教えたところでどうなるともつかない。
ただただ黙ってもらうほかない。
庇うように背に回すと、めざとく見つけた馬番(いつも松風に蹴られかけているかわいそうな奴)が、
「へえ、こりゃまたべっぴんさんをつれてきたねぇ」
「どこのお姫さんだい。さらって来ちゃだめだよ、かえしといで」
なじみの年輩女中は窘めるようにいって、姫に「怖い目にあってないかい?」と聞く。
「おいおい、冗談はやめてくれって。彼女は途中山賊におそわれてるところを助けたんだ。なんでも堺の商家から拐かされてきたらしいよ」
「うわ、そりゃまた大変だね。京か堺かそっちの方とは思ったけど、どうりで慶次にべったりなわけだ。なじみの姉さん方って空気じゃない理由もよっくわかった」
「アンタ、大変だったね。大丈夫。うちの旦那も、あれで堅物だけれど正義感の強いお方だから」
「うんうん俺はうちにもどるわけにいかないが、最強の直江兼次なら大丈夫だと信じてんだ。それにきっと喜ぶよ。商家の娘さんってのは、滅法頭が良くてね。兼次の蔵書たちも食らいつくしてくれるって」
「またまた」
「こんなかわいい姫さんが、兵法の書に興味もつはずないよ。それならうちの旦那を娶せたいね」
「はは、そいつはちょっと……困るかな」
「おいおい、お前にこの人は高望みだぞ。やめておきな」
「はっつぁんまでそういうこというかな」
とにかく旦那に知らせてきますからね。
この家では、主人がすべてだ。
お家の格でどうのということもない。主人である直江がそういったことに無頓着であるからだろう。
もっとも主の主が訪ねてくれでもすれば別だろうが、今のところそういったこともない。謙信は政務が忙しいし、直江家は先祖代々偏屈なことに、守りのためといって、国境ぎりぎりのところに住まおうとするのだ。おかげで、今も街道はずれの辺鄙なところに住居がある。
「いいかい?」
適度に答える分にはいい。基本的に自分に任せてくれ。
慶次は一言にそれを含ませて、濃をみやった。
いつものかんざしをおろさせて、一応一目ではわからないようにしているが……三国一の美女にして魔王の奥方。戦場にも出ている彼女を兼次が見逃すはずはない。
彼女は頷いて、聡明な黒い眼をゆっくり閉じた。
――後はどうなるか。
天のみぞ知る。
あおいだ空は相変わらずどんよりと北国の色をうつしていた。
「誰か訪ねたか」
騒がしさに気づいたか。
奥の間にいたであろう屋敷の主は、存外に早く出てきた。
ゆったりくつろいだ藍色の着物に茶の羽織ものが洒落ている。
直江はこれで風流人なのだ。慶次のように派手さはない分、落ち着いて品のいいものを知っているのだ。
「慶次郎」と、普段なかなか呼ばれぬ呼び方で、こちらをみて、その眉ねをぐっと潜める。
「すまない。突然に」
「まったくだ。謙信様のお呼びがあったら、二、三日は戻っていなかったぞ。それより……いいのか」
ここにいて。
言外に問われるということは、さすがに上杉にも通じているのだろう。
――大きな戦いだから当然か。
対立が武田と元織田陣営の間でとなれば、全国全てが注視しているようなものだ。
「ああ。うちを出て、自由にしてる俺にできることなんてたかがしれてるよ。それに…………そのせいってわけでもないんだが、こっちの方が都合がいいことができてね」
「連れか?」
「察しがいいな。やっぱり武よりも文の方が得意と見える。相変わらず勇ましく一番槍をと叫んでるってきくが」
「応。まだまだ忍び隊ばかりに活躍されても困る」
忍びといえばだが、そういえば上杉の忍びもなかなかの手と呼ばれる。
もともと上杉は武将を中心に栄えた家柄。直江兼次とて譲れない部分もあるにちがいない。
もっとも拘りを抜いて、兼次が平等であることを知っていたし、その筆頭といえる【彼女】との仲も悪くはないと分かっていたから、慶次は笑う。
「はは、かすがは元気かい?謙信も」
「むろん。思わぬ上洛の知らせに動揺もみせで、冬の用意を万端にと言われた、あの方は謙君だ。少々我慢しすぎるきらいはあるが」
「ああ……だから、ここにきた」
――謙信であればより確実に、姫さんを守ってくれるだろうが……
それだと確定した厄介を自分が上杉に持ち込んだことになる。
そこは慶次の自尊心が許さない。自分は戦の種火をまきにきたわけではないのだ。ただの女を護るだけで許される場がほしいだけ。
――もっとも兼次とてもう気づいているんだろうな。
早速その姿に思い当たったか、目を細め、
「…………するとこの姫は……」
呟く彼をやんわりと止める。
「おっと、書物を愛する同志だ。きっと気に入るよ。少々の間おいてほしい」
「いつまで、と?」
「少々、だ。どこも状勢が不安定で保証はできないが迷惑はかけない。そうなったら出ていくよ。ただとはいわない」
「取引など」
「いいや、こっちは【脅してる】んだ。そう納得してほしい」
「……」
「武田に大事があった」
取引の材料は先に。
「確実だよ。真田幸村は飛弾を越えて加賀能登を攻める様相を見せ、撹乱の動きをしている。だが、もう甲斐の虎は戦には出られない状況だ」
淡々と。できるだけ事実を伝えるように。
その「勘」が実は「事実」とは限らないことは、知っていて敢えて伏せながら、慶次は兼次に告げた。
「信じるかい?」
――いくら兼次でも魔王の奥方は重すぎる。
だからこそ、取引材料は中身が固いより印象深いものに限った。
それに、なまじ嘘とも言えない。
――信玄公は思慮深く、そこが見えぬ人だが、事実、今は討伐より先いに上洛を迫る方を取る。横に幸村なしでいくとしても、それは前へ進む……織田の陣営を破るためであるはずだ。
これは自分に言い聞かせているのだろうか。それとも兼次への真実の誓いのつもりなのだろうか。
口をぎゅっと結んで、一歩前へ進む。
「信じたならば、謙信に伝えてくれてかまわない。信じないなら、今ここを去ろう。ただし、」
――直江兼次は優秀な軍師の前に、思慮深い武人でもある。
信頼が一言を足させる。
「このひとのことは他言無用でいてくれると嬉しいな。恋を亡くしたこの女を泣かせても何も残らない」
踏みこんだ足と同時に、その指は無意識で槍を掴む。
槍は槍とて、心の槍だ。
手は相変わらず前にあり、兼次を拝むように重ねられる。それでいて顔は俯かず、まっすぐ、挑むようにそちらに向かった。
「……書を」
やがて、天下の軍神に使える若き軍師は口を開いた。
「嗜むので……嗜むのか」
恐らく敬語かどうか迷われたのだろう。それでもしっかり続ける。
濃姫は慶次が指示せずと、そこをはっきりと捕え、
「はい。少々」
謙遜しない声色で応えた。
「わたしは兵法よりも……今は李白や杜牧を好んでいても……」
それでも読まれるか?
兼次の真意を見越して、更に、濃は続ける。
「ならばなお……羨ましく存じます。兵法書に興味を持つ私に堀……父の家臣がどうせ嗜むならせめてそちらにせよと……」
「そうか。雅さはむしろ女性にこそ感じられるもの。風流を解する者に詩を与えぬなどとは男の奢り。この兼次が蔵書お貸しいたそう」
兼次はいうなり、くるりと振り返った。
背中のままですたすた歩くさまに、ぽかんとしていると、
「慶次、付き合え。気に入りの詩を【高貴な朝鮮の姫】にまずきかせて緊張をほぐしたいだろう。まずは茶を一服」
どうか?と、濃姫を見る横顔が優しい。
――そうか、そうこなくっちゃ。
慶次は笑いたい気分を我慢し、濃姫に「応えてやんなよ」とふった。
「頂きます」
しっかりと姫君の声が返る。
「では先に水場へ旅の汚れを落としてから茶室に」
「おう」
受け入れられた。
ひとときであれ、あやうい材料であれ。
武田とは敵対関係にあり、織田とは無関係。越後のこの国は今のところ安全な防壁となる。安定も手に入ったが、今はそれよりこの友情が嬉しい。
流石に子のことは言い難いので、けどられぬように女中を上手く言いくるめ、これより数週間、慶次は直江家に逗留することとなる。もっとも屋敷の皆からせよ、直江本人からにせよそれはよくあることであり、女性つきといっても、「慶次のことだから」で許されてしまうふうであったため、苦労などあってないようなものだ。
困ったことといえば、もともと性を抜きにしても博学な濃姫が兼次をもうならせる難題をふっかけて、夕餉が遅れる程度のことであった。
三日後、二つの知らせが届く。
一つは伊達が北条を下したということ。一つは一度は陣をひき、織田勢に向き合っていた武田が撤退したということ。
信玄の訃報はない。
だが、確信をもったのだろう。直江は翌日謙信の元へいき、慶次はまた濃姫をおいて、小田原に出向くことを決意する。
目的は特にない。
しいていえば伊達政宗。彼の心持ちを確かめたかったのかもしれない。なでぎりの噂をきいたときは嘘だと思ったが、北条を強引に攻略したとなると噂の真実も問わざるを得ない。
――独眼竜も所詮武将だったってことか。
期待するも、破られも勝手。それでいうならば直江とて謙信のもとで武将として仕官している。だが……
――俺はどうする。
それもふくめ、慶次には考える時間が必要だった。
兼次はタダの無敵ではないのです。