摂理 >利家(犬千代)・まつ

【SIDE 犬千代】

「まつじゃ、篠原から預かった」

 おやじ様が連れてきた子供は自分と少なく見積もって五つは離れているだろう少女だった(実際はわからないのだが)。
 細いを越して、頼りない。
 そのわりにまっすぐ大きな目は印象的で、力強かった。

「まつにございます」

 つたない自己紹介がその口からこぼれおちる。
 若干発音はあまく、ざの音は「じゃ」にきこえたり、少しどもりぎみだったりするがその舌足らずな感じすら微笑ましい。

 ――これは、きっと言葉の意味も分かっていないんだろうな。

 緊張しきっている。
 大人は愛らしさに笑みをもらしているが、どうなのだろうか。
 犬千代には、少々可愛そうに移った。

「……」

 見上げるつぶらな目が何かを訴える。

 ――そうか、こちらをみるも精一杯なんだな。

 思い立って、しゃがんでやる。
 そのまなこをぱちくりとさせて、まつはふれた手を小さく握り返してきた。

「まつ、犬千代だ」

 自分をさして、簡潔に教える。

「いぬち・・・・・・」

「そうですよ、犬千代様ですよ」と発音できていない少女を、侍女がしつけようとするのすら無視し、犬千代はもう一度ゆっくり口を動かす。

「そう、犬千代」

「いぬちよ・・・・・・」

「わかったか?」

「うん」

 返事は弾んでいる。
 大人たちはその間、あらあらとうれしそうにこちらをみていた。
 問題はなさそうだ。
 犬千代――後も利家は、おやじ殿を一度ふりかえった。
 こちらも「それでよいぞ」と言いたげに、頷いている。

「これよりまつはここで生活をすることとなる。犬千代、お前はわからないことをおしえてやるのじゃ」

「教える?」
 しつけ役のようにすればいいのだろうか。家臣のように?
 困った顔を察してか、

「兄として接すればいい」

 助け船が出る。

「そうか」

 すとんと落ちたのは、きっと年齢差のなせる技だろう。
 このときのまつはまだまだ小さく、なぜこの屋敷にくることになったのか事情がわかるほど、犬千代も大人ではなかった。

*      *      *      *

 幾度か同じ季節をすぎ、まつは偶に外へ遣いに出されるようになった。奉公とはいいがたいから遣いというが、犬千代――利家の主筋、信長公の奥方さまから手ほどきを受けているのだという。
 ――炊事や繕いごとであれば、うちでもいいじゃないか。
 思うが、濃姫様は確かにたおやかであるだけでない何かをお持ちだ、教えてもらって損はない――そう、納得する部分もある。
 ところで……

「犬千代様」

 いつの頃からか、まつは、犬千代に「さま」とつけて呼ぶようになった。
「かしこまらんでもいいぞ」といったが、「れいぎにございます」とぴしゃりと言われては、(たぶん大人から吹き込まれたのであろうが)否定するいわれもない。

「おう、どうした?」

 鍛錬のため、持ち出していた槍を横によけて、振り向くと、庭先にてとてとと珍しく内掛姿で寄る小さい姿が見えて、頬がゆるむ。(普段はもっと動きやすい服装を好んでいる)

「お休みにしないの?」

「おお、そんなに時間がたっていたか」

 松の影を確認すれば、確かにだいぶ移動していた。予想以上に経過していたようだ。

「まつも一緒か?なら休もう」

 ごく自然にそういって、縁側にかける。
 つい先頃ごろごろとしていて、信長公にしゃきっとしろとかつをいれられたことを思い出す。
 とはいえ、行儀が悪いと怒る者はここにいない。

「犬千代――」

 様、という言葉が吸い込まれたのは、いうなり彼がその小さい膝を借りたせい。
 こてんと。
 横になってあおぎみると、見下ろす髪が重力で下におち、可愛いおでこが丸見えになる。まだまだ幼い表情に、なにやら兄代わりとして和むものがある。
 あちらはそんなこと思いもせぬ気遣いで、ちいさい手で頭を支えるようにして、

「お疲れなのですか」

 不安そうに言うが、それすら嬉しくあるのは、やはり意地が悪いのだろうか。

「おう」

「なら、ちゃんと布団を」

「まつの足がしびれる前に退く。ちょっとだけ休みたい、それだけなのだ」

「もう・・・・・・」

 ふいっと顔を背ける少女の顔がなんのかんの優しいので、これは許可がおりたな。
 思うと、風のない、付近の空気ですら心地よく感じられる。
 ついでにありがたくも、柔らかい肌に、少女の成長を感じた。
 意識した自分に気づくなり、妙に気恥しくなる。ひとまず、それもまた、こうも安らげる理由になっているのならいいではないか、と、そんなふうに無理やり納得してとって、ごろりと頭を動かした。
 負担をかけないようにとおもいつつ、顔に影が出来たことで、うつらうつらと意識はまどろみはじめていた。
 
「………」

 それから、どのくらいたっただろうか。

「これ、やめなさい」

 何となく意識がさめる。
 ……それでもなお、しばらくじっとしていたのだが、頭の上でしかるような声色が飛んで、本格的に覚醒しだしたところで、三度、呼び掛けが響いた。

「太郎丸」

 ――某の名ではない。

 なんとなくおもしろくなくて、誰かいたか考える。
 が、身近な家来に出入りする子はなく、ましてや小姓もないこの屋敷だ。

「これ・・・・・・でいりしちゃだめ」

 くだけた口調に余計、親密に思えてうっすら目をあけると……

 ――鷹?

 ばさばさと羽音をたて、子供が扱うには――というか影のものが扱うにしても大きすぎる鳥が一羽。彼女になつくようにして、空を遊んだ。
 鷹狩りのものか。
 それにしては、彼女を守るように舞う姿は、人に――というか、まつに――慣れ過ぎていて、可笑しい。

 やがて、ぎょろりと、そのビー玉のような目がこちらを見て、一瞬。ビギャーと何とも言えぬ声とばっさばっさと羽をこする音をあげて、鷹は一気に上空を目指した。

「……っ」

 驚いたのはまつの方。
 まさか、自分が起きていたとも思っていないのだろう。
 鷹が暴れる理由も分からず、おたおたとしている。
 その様子は愛らしくもあったが、いささか悲しそう。
 やむなく、むくりと起き上がると、犬千代は、

「すまんな……脅かした」

 素直に詫びた。

「いえ」

 礼儀正しく伏せられた睫毛がゆれて、少し残念そうな表情も見え隠れするところをみると、気にしていない反面、やはりあの鳥は大切なのだろう。

「今度は慣れさせてもらえればいいのだが」

 自分じゃ無理かぁ?ちょっと情けないが、そういった技術を自分が持てるとも思わぬもので、頼るほかないのだ。
 ところがこれはまさかの方向で、まつに喜びを与えたらしい。

「まつでも犬千代様にお教え出来るのですか?」

「おう。姫とは武将を支えるためにあるのだと濃姫様がおっしゃられた」

「濃姫様が……?」

「が……某は女人は苦手でな。からかわれても、ようわからん。どう必要かも、何となく見ていて分かるような分からないような」

 言いたいことの何割が伝わるか分からないが「濃姫様は特別」というのは、まつも分かるのだろう。きらきらとした目で姫様姫様と懐いているのだから、そこだけは、あまり会わなくなった犬千代にも確信できる。

「だから、まつが支えてくれればいい」

「まつが?」

「おう」

 でも、まつは小さいのです。と、まつは真面目に答える。
 犬千代もそれは知っているから、小さくてもかまわんと取り合った。

 ――そんなまつのこととて、知らぬことがあって、かなわん。

 そうとも思う。
 姫とはこんなにしらぬうちに、何かを得て、誰かへ返すものなのだろうか。信長公が濃姫から与えられてるものが何かきいたら、「しらん」と返ってきそうだなと思うのに、何故だか、「ある」ような気がするのだから困る。

「……まつは、動物にも好かれるのだな」

 見上げなくとも、ヒューイと遠く、風を切る羽音が空を舞う。
 まだあの鳥は少女のそばにいるのだろう。

「……かもしれませぬ」

「そうだ」

「犬千代様がいうのならきっとそうなのでしょう」というまつに、「おう」ともう一度返し、本当にこのまま、まつの支えをもらうのは悪くないなぁと思う。
 あれほどの獰猛な獣をも手なずけ、濃姫に手ずから器量を鍛え上げられるともなれば、まつは姫に収まらぬ姫になる。そんな妹分であれば、外にやるのも惜しくなる、と。そうふと思ったのだ。

――まあ、どのみちまつはまだここにいるからいいか。

その根拠のない自信というか思い込みは功を奏し、やがて、「婚約」という形になって自分の身に降りかかってくるのだが……。
この頃の犬千代はまだ知らなかった。
最初からそうなるだろうと親たちが思っていたことも、それを悪くないと既に思える時点で兄でもない別の縁者になることがたやすかったということも――何もしらず、ただ、少女の鼓動を少しだけ早くさせて、のんびりと優しさを謳歌するだけだった。

アキヒコのリクエストにより頑張ってみた。怒られたらアップされないはず。