蒼紅性理論  開戦決意(SIDE小十郎)  >小十郎・政宗

最上が動き出した。
その報告は聞かずと、分かっていた。
小十郎は、ため息をもらさぬように努めて唇を一文字に結ぶ。

「北条はわれわれの手で滅び、信玄も病を前に敗北した。とはいえ、小田原では徳川殿に借りを作った形になっております。ここは、先に上杉を叩くためにも最上を!」

「保春院(義姫)様はともかく、最上義光は食えぬ男だ。ここで一気に叩かねば、春には力を蓄えて我ら牙を向けよう」

「しかし、徳川との同盟に応じたのは一部、まだ勝頼は残っているときく。上杉の動向を見ずにやすやすと動いていいものか」

「軍神は、身を寄せた信玄の身内とともに、喪に服していると聞く。越後の冬は早いのだ、大丈夫だろう」

「西は長曾我部が纏めたというし、我らも北は制圧せねば」
「いやはや、中央の動きが、あいまいである」
「上杉は毛利と組んだとも聞くぞ」


――………。

いったい、何度言われたことだろう。
水かけ論も水かけ論だ。
要するは、最上を叩くべきかどうか。
それだけの話。
そして、大方の結論は家臣団の中でもまとまりつつある。

――恐らくは、是。

叩くほかあるまい。
小十郎としても、北条戦の後の志気が高い軍を率いることに異論はなかった。

ただ横を見やれば、家臣同士の糾弾を目の前に、政宗は黙り込んだままでいる。そのことが気にかかった。

――何を考えておられるのか。


「この機を逃すことはない、叩くだろ?なあ、殿」
と先ほどから強弁派に転じている成実が政宗に同意を促すが、それも流されて、静かに片目を閉じるばかり。

何か、口にするのは憚られ、小十郎は開きかけた唇を再び結ぶ。
ただ、この人に母君を斬らせるような真似をさせてはならない、とそう強く思う。
もちろんあの場に居合わせたはずの、成実までもが戦派になっているだけに、状況が厳しいことは目に見えているのだが……

「だが、真田幸村はどうする」

横から先ほどまで無視されていた指摘が飛んでくる。

「武田は徳川に下り、徳川はうちの同盟先だ。三河殿が送られたのだから、問題なかろう」
むしろ何かあったら、それを理由に同盟を破棄するまでよ、と軽く言い捨てるもの。
「武田といえど、徳川方は一部のみ。やはりここにかのものがいる間に、身内のごたごたを見せては隙とならないか」と、諭すもの。

「真田隊ごとではないのだ、この機に利用すればいい」と納得するもの。

――そうだ、もめごとの種は、最上や義姫様ばかりじゃねぇ。

それ以上の問題となるのは、つい先日政宗に下ると宣告してきた真田幸村なのである。
かのものが、徳川家康からよこされたことに違いはない。
甲斐の虎がいない今、幸村を生かすのは恐らく家康というよりも、戦。ひいては、自分の主、伊達政宗だけに思える。

――そいつはいい。

小十郎が危惧するのはそのことを政宗がどうとるか、その一点だけであった。政宗の幸村への好戦手としての執着は、少々度が過ぎる。
そればかりではない。
天下をと決めてから、この方――特にここのところ政宗が目の敵にしている徳川が送ってきたこと。このことが、ますます小十郎の不安を煽る。

――敵対のあまり、決断の眼が曇られるのではないか。

急いてはことをしそんじる、だ。
もちろん、右目とはいえ、竜の母との敵対がみたくない甘さも若干あるから、そこは差し引きをすべきだとも分かる。
だが、「殿、ご決断を」とせがむ家臣をよそに、上唇を若干あげた政宗に、危うさを感じるのだ。

殿の決断に口を挟むつもりはない。
だが――

「最上を討つ」

ここは言わなきゃならない。
――そう思うのは、傲慢ではねぇはずだ……。

「真田幸村は、せいぜい利用してやるぜ。徳川にあっと言わせてやるには、あれを使いこなして当然のところを見せる方が早いだろう」

きいたから、小十郎は小十郎で決意を固める。
最上をうつのは、徳川への敵愾心ではないか?
上杉への布石として、家康に踊らされてはいまいか。
軍師は、軍師としての、着眼があるのだ。
むろん、どのみち受けざるを得ない道だとしても――政宗が分かっていて乗るのと、対抗意識で乗るのとでは雲泥の差。
だから、諭す――

「御安心、召されるな」

「Ah?何がだ?小十郎」

「政宗様、――貴方様は、家康殿を甘く見られておりませぬか。少なくともこの小十朗の眼にはそのように見えております」

「そんなことはねえ」

「無為に最上を潰しては、身内の火種を外にさらすことになります」

「Be quiet!小十郎、てめぇの右目も濁ったもんだ」

「それでは分かっていて、やると?」

「――てめぇの言いたいことは承知の上だ」

「では――」

家康に言われれる前にやってやる、と流行る若い眼を見つめれば、政宗の独眼竜は静かに光り、凪のような大人しさを取り戻した。
これならば大丈夫だろう、そう――小十郎が思うと同時、

「潰しはしない。力を見せて、抑え、下らせる」

竜は正しく答えを受取った。
恐らくは出来るだけ母を殺すな、というこちらの心配も含めてのことなのだろう。
その目が淀みなく、頷くのを確認し――小十郎は平服した。
横で、「真田幸村の出陣などと!」と否定の声を上げる成実をおしとどめ、一言。

「出過ぎたことを申しました」


*      *      *
紅い槍は前方で舞い、悲鳴の代わりに揺らめく炎が見えた。
奥州の季節は秋も終わり――もはや冬に突入仕掛けている。
外は夕刻のように暗い。
明け方、一番、伊達軍は最上と対面した。
あちらもあちらで用意していたらしく、予想通りの場所を陣取り、むかいあう形になったのだが、そこから先は勝手が違っていた。
あっという間に、最上の一陣は消えはて、ぶつかった直後ほぼ単騎で周囲十寸、空間を開け放った者がいる。

「真田か――」

開戦決定会議の後、先陣を任せるとこちらが告げるより先に、戦と知り自ら名乗り出た真田幸村。
彼が、最上と伊達の関係を知らぬ第三者だからこそなのだろうか。
その攻め足は早く、躊躇うこともせず――だから今、一人。蹴散らして、ぬかるんだ大地に足を進める。

本陣からも見えるのは、猛攻で周囲を薙ぎ払い、彼が周囲を一掃してしまったせいなのだが、本陣から眺めるそのさまに、小十郎は彼がソウイウ人間だと知りながらも、驚きを隠せなかった。

「………?」

だが、それと同時に、ふと、紅の周りに小十郎はある違和感を覚えた。
蒼の旗が見当たらないのだ。

武田とは違った意味で血走った足軽が多い伊達軍としては、これは珍しいことと言える。
真田の騎馬隊は確かに有名だが、伊達の速さも相当。
遅れをとるようなことはあるまい。
訝しげに見ていると、ふと、

「――小十郎」

本陣の奥――政宗から声をかけられた。
伝令兵、ならぬ黒はばき(忍び隊)が状況を伝えてくれたのだろう。
もはやその必要もなく、紅の動きは恐ろしいまでに見えているのだが……

「最上側の二陣が引っ込んだ……。見れば、分かるな」

あいつ、と……静かに表情を変えることなく、呟く政宗は、無意識なのだろうか。
その瞳にかすかに、畏怖を滲ませていた。
流石の最上戦、母とやり合う気はないらしく、本陣で大人しくしてくれていることは当然の決断と思うが、好戦手を見るたびに覚えていた興奮を削ぎ落したような、その反応は意外なもので……小十郎ははっとする。

――ああ、そうか。

この人は、自分から向いに行くから知らないのだ、と。
やがて合点が行った。

幸村の槍は器用に片方で脇を狙う相手の胸をつき、後ろを二人薙ぎ払う。
同時に、前の首をしとめ、振り切り、芥のように炎で燃やすと一気に更に前方に進んだ。
刹那の切り返し、刃の返しに間に合わず撤退を余儀なくされていた足軽はみな闇に帰す。
戦いは優雅なまでに合理的。
無意味に吠える印象のわりに、幸村に一切の動きの無駄がないのが寒々しい。
ゾーッと、背筋を伝うものを、小十郎は感じた。
綺麗だと思えてしまう所作こそが、何より彼の強さなのだ、と。
生理的に訴えかけられてしまえばこそ恐ろしい。
政宗は、いつもは敵対し、熱を放っているからその零下に気づかなかったのだろう。

――だが今は違う――。

竜は、今初めて若い虎の牙を客観的に見た。
そういうことだ。
直接ぶつからぬ小十郎すらを感服させる呆れるべき直情の進撃。まして政宗の驚きは大きくて当たり前。
恐らくは、自分との直接対決を思い出しての――武者震いのようなものまで加わっているにちがいない。

しばし、止めるのも忘れその光景に二人、見入ってしまう。
結局、努めて淡々と、政宗が本陣に腰を下ろし直し、小十郎に出るように促す。
幸村を止める役目は、もはや足軽はおろか、成実がいない今、他の武将でも無理だろう。

「押さなくとも、これで最上は落ちた」

声は平静を努めていたが、主の心は知れた。

――俺も、止められるのか。

その心配は杞憂に終わり、幸村はあっさりと停止し……そのことこそが何かまた寒々しいものを感じさせるのだが、最上の攻防はここまでとなる。
数刻もたたぬうちに、下がった本陣から伝令が出て、正式に停戦。
やがて最上は伊達に対する武装を放棄し、人質を出すことになり――義姫を討たずに済むのだが、それはさておき、この一戦は小十郎の胸、ひいては政宗の胸に別の足跡を残すことになる。
誰もが気づいているようで察せているものの少ない真田幸村の末恐ろしさと、本質を垣間見た意味において。

信玄なき後、家康に奥州に左遷される幸村・成実蟄居手前の話と情勢。
異説婆沙羅史の一部。最上攻め。幸村出陣とリンク。