蒼紅性理論>最上攻め  怖いおひと(SIDE佐助)  >佐助・家康・政宗・幸村

「真田隊猿飛佐助、只今戻りました」

闇に紛れて、天守閣から降り立てば、相手は一瞬驚きに目を瞬かせた後「おお、よいところに登場だな!」と快活な声で答えた。

「戻ったか」と主ならば自分が帰ると同時に投げ掛けてくるが、流石にそうはいかない。
だが相手、徳川家康は小さな背を一杯に伸ばして出迎えてくる。
こちらは忍で間接的とはいえ臣下だ。

――待てば膝をおるのに?

その様子に、「やっぱり……」と佐助は思う
流石は徳川、あの服部を抱えるだけはあるね、と。
それどころか、

「お疲れのところ、すまないが報告だけ頼めるか?」

愛敬ある顔で報告をせがまれれば、つい憎まれ口を叩いても許されてしまいそうな雰囲気すら感じて――その空気は幸村にも似ているものだから、佐助ははっと顔を強張らせた。
これが計算だとしたら――いや、違ったとしても、あっさりと草のものをねぎらう度量があるのなら、恐ろしいものだ。
忍びに慣れ親しみすぎた真田家と、三河武士の家康とは根本が違うのだ。

――旦那はいい、あの主人は馬鹿正直で計算がないのだから……

だが家康は戦ではなく政に賢い。
それゆえに、佐助のようなものの動きを――【成果】を重宝する。
許されるのは己の力量であって、草のものそのものではない。

――だから……

気を引き占めなければならない。
真田忍びは黙って、口を結びなおした。
もちろん家康には気づかれないだろう。
彼は手短に、「報告できるか」と尋ね……佐助は答えた。

「毛利と長曾我部が結んだ。四国を統一した長曾我部と中国の毛利をつつくのは豊臣か上杉しかいない。後は――」

「島津がどちらかにつくかが鍵か?」

家康の物言いからすると恐らく予想の範疇だったのだろう。
恐らくこの問いかけとて、意味はない。
島津が決着を握ることなどとっくに知っているに違いないのだ。

「接触は?」

「そちらの忍びの方が知っているのでは?」

「あれには別方面を任せている。有能な人材はいくらいても足りないくらい。おめぇがいるのに、二重に任せるなんて罰当たりなことはしめぇ」

「……こっちもこっちで忍びづかいの荒いこって」

「はっはっは。このくらい楽勝であろう?」

「さあ」と繋げようとして、佐助はわざとらしくすくめた肩を元に戻した。
家康の瞳はいつの間にか真剣味を帯びている。
やがて、視線を遠方に向け、思案するように述べた。

「やはり上杉が最上と組むと厄介だな」

最上と聞いて、佐助は自分の鼓動がわずかに高まるのを感じた。
最上と因縁のある伊達に、自分の本来の主はいる。気にかかるのは仕方あるまい。
だが――

家康を見やれば、月影にわずか、考えこむ横顔が浮かんでいた。
真一文字の口と、上下する眉。
人は思案するときほど無防備になる。
この場面こそ、この表情にこそ彼の真意を読み取るべきなのだ。

いうなれば、今は彼を揺さぶる好機でもあるのだ。
動揺が深そうなことを、一度投げかけてみる。

「それと……魔王の奥方ですが、依然として消息は知れず。最早本能寺でしんだと思っていいと思いますよ。もっとも前田や領内はしらべの許可がないため調べられていませんけどね」

――あんたが調べの許可を出さないのは、甘いんじゃないの?
織田と旧知の仲とはいえ、あっちは臣下。徳川は同盟相手だったんだから。

それとも何かをもう握っていて、俺ら――旦那からその情報を遠ざけるつもりならば、やめてくれ。意味がないことだ。
呪詛のように、気持ちをこめて見やれば、

「いい。犬千代殿はわしを裏切らん。槍の又左を疑って、誰を信じろと?」

それ以上言ってくれるなということだろう。
横に最強の男が控えていないとはいい、おっかないことだ。
ぎらりと光った家康の目に、降参!っと肩をすくめ、一歩退く。

「あー、はいはい。真田の旦那も信じてやって下さいよ?」

「ああ。だからこそおめぇさんを借りているんだろ」

「そりゃ責任重大だ」

「おうよ。――で、さっきの続きだが、最上と伊達んとこはそろそろ始まる。あそこがついたらヤバいのは徳川よりも伊達だからな」

――なるほど。
それで、伊達をけしかけたのか。
ようやく、ここにきて佐助は自分の主がなぜ、旧敵のもとに送り込まれたのか分かった気がした。

要するに、伊達政宗の起爆剤。

――最初は、虎を失い生きる目的を忘れがちになってるうちの旦那の為かとも思ったが……他に、二も三も狙ってたってことか。

好戦手のもとにやることで幸村に闘志を持たせて、生かそうというばかりではなく、伊達側にも別の方向でやる気をださせる。
下手に動かれると邪魔になる上杉を除くより先に、その上杉と地理的にも精力的にも組みかねない最上を取り除きたい――家康の目的はここにあったのだ。
そして最上を除くのに自軍を向けずにすむ方法は一つ。
同盟国であり、最上の身内でもある伊達にやらせるという方法だ。

伊達政宗は誇り高き伊達男。
最上が母の生家。身内であればこそ、誰かに指図される前になんとかするの決まっている。
だが最上のことだからこそ、家臣の意見は割れる。
今度こそ戦となれば、主君の母君とはいえど殺さざるを得ないかもしれない。
しかし、あの若き竜は父を一度見殺しにした過去の持ち主だ。
二度と悲劇を起こすまいと誓ったというその後だけに、側近――小十郎も成実や鬼庭は全力で危惧していることだろう。
そんな伊達三傑に睨まれた戦い。最上憎しと指示せども、喜んで先鋒を務めたがる者はいなかった。

ここで登場するのが幸村である。

最上を倒すお膳立てとして、彼は十分すぎる。
それならば我が〜と出るものがあってもよし。ここで先鋒を果たし、伊達内に一時的居場所を固めるもよし。
武田にあって、武田ではなく――真田であって、真田とも言えない幸村の使い道はいくらでもあったし、要するは伊達が最上を下らせればいいのだ。

――計算だとしたら怖い人だ。
そして間違えなく計算なのだろう。

「あー、でもそれなら、余計にいい加減俺様も主のもとに返して欲しいところですね。なんせ竜の懐とあっちゃ本人が黙ろうと周りが放っておかないでしょ」

「そういうと思ってな。手配はしてある。流石に先鋒を努めると自分で言い出すとは思わなかったがな、はっはっは」

「はっはっはじゃねーよ!あんた、あの人の言いそうなことくらい分かってやってんだろ!」

と――佐助は聞いた瞬間、やっぱりここにも狸がいたか!と悲鳴を上げたのだった。
だがしかし、「だからおめぇも行けばいい」とあっさり、家康に暇を出されてはいつまでも怒っているわけにもいかず――結果、さっさと疲れも取れぬその脚で北に走ることになった。

*      *      *      *

紅蓮の炎が戦場を駈けている。
朱色の悪鬼がいるよ、と。
何度そう囁かれたところを見たことか。

もう佐助は覚えてない。
普段の本人を見たら――思いつかないあだ名だから、一瞬戦場で彼を見て思い出しても次の瞬間には忘れてしまう。
そもそも彼が戦うのならば自分はもっと窮地に立たされていてもおかしくないのだから、猛者ぶりを見る機会に恵まれないのは当然なのだ。

――けど、これは、……。

骨を砕く音すら聞こえず、轟轟と。
炎が肉を燃やす風切りの音色と、鉄錆と灰に似た何かの、生臭い匂い。
首筋を立ち、血を散らし、倒れる者を丁寧に屠る二本の槍筋と、それを掲げるヒトを乗せた馬を見て、佐助はもはや「鬼」という言葉すら忘れた。
虎の和子と、は、英雄か何かのように担がれるときの名前であったのだろうか。
単騎でいて、淡々と敵を処理し――
何事もなかったかのように、襲いかかる弓を、その弓手の頭がい骨めがけた槍で止める彼を、そんな簡単な名で縛ることができようか。

一瞬、あっけにとられる。

強い。
一言でいえばそれまでだが、幸村の動きは今極限までとぎ済まされている。
剣舞など嗜んでいない(軍神とは違うのだから)はずの身で、どうしてこんなに人を魅了するのか。
それがこの戦の先鋒、真田幸村という男だった。

だが……

――どこが違う?
首を傾げる程度に、どうにも佐助には違和感があった。
男が惚れる男ってのは、もっと熱くて――敵をばったばったと薙ぎ払いながらも、自分も一生懸命で、楽しそうで、もっと明るくて、まっすぐで、何かを信じて邁進する男。それこそが幸村のようなもののはずだったのだ。
それがどうしてか。
今の幸村には薄らざむいものすら覚える。

ふっと、目を背けたくなって本陣の方を覗き見る。
自分の到着にすら気付かない黒はばき(忍び)たちをどうかと思うが、それはそうとして、珍しく出てきていない普段の先鋒(成実)のことや、本陣にいたためしがない総大将(政宗)のことが気になった。

――やはり、最上は違うのか。

そして幸村もその空気に呑まれたのかと。
そんなことを思った折、であった。

「どけ」

声と同時に、本陣からすっと壱刃の光がさす。
六爪ではないところをみると、あのいなづまは小十郎のものだろう。
普段は味方を巻き込まぬように押さえている竜の右目だが、その一筋は容赦がない。
動線上のいたものは即座に巻き込まれた。
幸村がわずかに横に移動する。
だが、他は――他の伊達のものは動かない。

――いない?

そう。真田幸村は先鋒をつとめながらも単騎同然であった。
むしろ今の今までそのことを不安に思わなかった佐助がおかしいのかもしれない。

だが、それ以上に……

「下がれ」と命じられて――素直に、小十郎を狙う脇の小物二匹を打ち取って、あっさり引き下がった幸村にこそ、佐助は戦慄を覚えた。

しかも明らかに突発的な作戦変更での退却である。

言うまでもないが、武田にいたときは、最初からの作戦でもない限り幸村が退却という事態はありえなかった。それだけ武田の騎馬隊が強かったという証しでもあるし、事実それで負けのなかった軍ゆえ撤退線にせよ、「計算づくの一時的なもの」であったわけだが、そんな上からの指図幸村の性格によるところも大きい。
つまるところ幸村が戦場で任されるのは、狩りの役目だ。
狩人は、知能が必要だが、まっすぐ走る強さが更に要される。
武田が自身で幸村を虎の和子と呼ぶのは、そこに由来していたのではないかと思われる。
幸村は実際優秀な狩人だった。

けれども、それゆえに、止まれと言われればとまるが基本狩りは徹底的に決着を見るまで続けられるのが常だったのだ。

――今回は違う。

相手は(精神的な余裕などないだろうが)十分余力があるし、幸村がもう少し深追いしたところで、幸村側に負荷がかかるとは思われない。

「最上だから、ってことなんでしょうが」

それにしても、ね。
忍びらしく忍ばず口にでもしないともうやっていけないような気分だった。
幸村が堪えている。
自分がいない場所でも、なお――

それは独り立ちのように一見、微笑ましくも思えるはずなのだが……

――かえって恐ろしいよ。

幸村のもとにはさっさと小十郎が近寄り、恐らくは退却の意図を説明している。
佐助はワガママひとつ言わず、何事もなかったようにこちらに踵を返す幸村から隠れるように姿をくらませた。

やがて、本陣の前に現れるとき、

「あいつ、どうなってんだ?」

と。
待ち構えていたかのように(それこそ家康とも幸村とも違う距離感で)訪ねてきた竜に、思わず、「さあ」と首を傾げてみるばかり。

たった数瞬、とはいわない。
だが、あれからまだ一か月もたっていないはずだった。
その間に幸村に何があったかは分からないが、この政宗の様子を見るに何ごともなく――それなりの生活は送っていたにちがいない。
それでも……

――俺は離れるべきじゃなかったか?

何かこびりついたものが離れない。
どこか、不具合が生じたような、空恐ろしさがある。
幸村が乱心したわけでも、あれからさらに気落ちしたわけでもないのは分かる(大将を失ってからの幸村の焦燥は見てきたから、あれとはまた少し違うもののように感じる)
かえって悟ったかに、大人しくなった幸村はかつてと違ってみえてしかたがない。主君として慕い、忠義を尽くすことに異存はないのだが、どうしたのだろうか。

――いや、最初からこうだったのかもしれない。

佐助が幸村を離れたことは信玄の時代から何度もあったが、こんなにはっきりとそのもとを離れたのは大分なかったような気がする。
それで客観的に距離をとれたせいなのかしれない。
ともあれこの幸村は、かつての幸村とは違う。

「強くなんのはいいことでしょうが……」

なんとなしに竜に返してみるものの、

「はっ。ならいいがな」

少なくとも今は俺の臣下だぜ。てめぇもせいぜい頭を下げな、と。

憎まれ口を叩くその竜にせよ、何か戸惑っているように見えてならない。
佐助は、家康が自分を幸村のもとに送った意図とは別のところで、自分なりにその家康の指示を享受して、幸村にしばし着いていることを決めた。
鳥を呼び、その文を持たせる。
幸村は喜ぶだろうか。それとも遅かったかと怒るか。
どちらにせよ、戦いさえ終われば、またもとの生活が戻る。

もう二度と、上田には戻れないかもしれなくても。
しばらくの間は、この竜の土地にいることを余儀なくされるかもしれなくても。

「ま、しばしは休戦ですかね」

竜に、返事をしながら、戦わずにいる竜と自分の主を思い浮かべ、「こりゃ別の意味で大変そうか」と肩をすくめた。

「忍びらしくねーやつ」

という、いかにもな政宗の言葉の方が、戦場の幸村よりもなぜか近しく思えて……少し嗤った。

信玄なき後、家康に奥州に左遷される幸村。の裏側で徳川にこきつかわれる佐助。
異説婆沙羅史の一部。最上攻めの裏舞台から、戻ってきた佐助が幸村の戦いざまを客観的に、かつてと今とで比べる場面。