「おい、真田」
引き寄せたのはほんの、一瞬。
何をするか忘れたのはその眼が、相変わらず真田幸村だったからだ。
真剣に向き合う視線は決して死んではいない。むしろ深みをまして、その薄茶色は、強まる一方だ。
「某は、家康殿に言われてきた。しかし、武田は……この真田幸村は、三河 殿に下ったわけではない。ましてや諦めるなど」
――お館様にかけて、か。
――ざまぁねぇな。
言葉にすることを忘れたのが悪かったのだろうか
その場しのぎでかえすことを忘れた己は、挑むような幸村の調子に、こみあげる衝動のまま、きつく首元を締めあげ――
「っ」
むさぼるように、味わうような気まぐれに口を吸う。
世間がいうように、自分は衆道に走ってはいない。なぜなら請われるがわであれど、乞う側に回る立場ではないのだ。そこに至らずと信頼できる臣下は既にいる。
――そうしたいわけじゃねぇ
分かってはいる。
だが、この奥州の宵闇に、何をみればいい?
普段治めるこの土地が妙に、穴のように――底のない、空間におもえてならない。
「何を――」とくぐもった幸村の声が漏れたが、無視をした。
否、その必要すらないのだ。
――なぜなら、俺は知っている。
幸村は徳川に下ったわけではあるまい。
だが、今、自分の元にくだる、と宣言したのだ。それは一時的であろうが、たとえそうであっても、幸村という男がそれを口にした。そこに意味がある。
「はっ」
逆らえねーのかよ?
口にすれば、なんとちゃちなことか。
「逆らわない」の間違えなのだろう。
真田幸村は武将としての覚悟で此処にいる。
自分が断れば、腹を切ってでも、本懐を遂げるに違いない。
どうする?
問わずと、答えは出ているのだ。
「ちっ」
低く、漏れ出た舌打ちは彼にも届いたろう。
けれども、決して彼には伝わらない。
折るつもりかのように、締めあげた身体を離してやれば、幸村はほっとした様子すら見せず、ただただこちらを見つめる。
自分の、奥州の王の言葉を待っている。
この土地に受け入れなければ、この瑞々しい若木は折れてしまう。
植え付け、一時でも受け持つことで、奥州は春を迎える。
「政宗様……」
後ろで低く、もう一人、この奥州の庭の番人が答えを促す。
「黙っとけ、小十郎」
断る理由など何もない。
お膳立ては完璧だ。
そこに、見える、家康の意志にいらだたしさは感じれど、的確な采配に納得はしかねれど――
「真田幸村、お前は俺が引き受ける」
踵を返す。
ぎらりと、その槍先が光り、地面に落ちるを見た気がした。
あれと交えられぬのがただ今は悔しい。
それ以上に、この状況を作り出した己が……
「ついてきな」
言葉はもはや不要。
幸村とて、同じ門をくぐりぬけることを決してよしとしたわけではなかろう。
それでも城門をくぐりぬけ、静かにつき従うのなら、己のものとして政宗も認識せざるをえない。
一時―― さりとて一生消えない時間、真田幸村は、竜のモノとして納まった。
その先を見据えるものは、誰か。
冷たい奥州の夜に、吐息が色めいた白を浸けて、かすかな熱を残す。
信玄なきあと、家康とくむことにした武田残り一部。
で、家康と不穏ながら同盟先になってる奥州に左遷される幸村。不本意な竜と若虎。
タイトルは仮で。異説婆沙羅史の一部。