濃と合流した慶次は、すぐに加賀を目指した。何も語らない彼女とて、大方の状況は見えているだろう。
――やんなるね、聡い女性(ひと)はこれだから。
慶次は、その鋭さに舌打ちしたい気持ちを抑えて、無理に明るくすることも止め、極力馬を急がせた。
馬足をつぶさないよう、休息は取りながら、それでもただの姫ならば厳しすぎる歩みで、加賀に入った時、周囲は既に浪人どもが集まっていた。いわゆる合戦前の故郷を、慶次は改めてみた。
「頼もう、頼もう!」
こんなに必死に城門を叩いたのはどのくらいぶりだろう。
普段は城の裏側からなじみの門番に入れてもらったり、表側からひっそり帰って、見つかってみたり……どのみち、あっさり入ったものだ。
しかし、今は戦時なのだ。
既に臨戦態勢の構えかと、ざっと兵力を見積もるうちに、
「慶次様だ〜、門を開けい」
門兵が気づき、あわてて門に手をかける。
ついで二人目。後ろから来た彼はなじみの兵だった。見慣れた顔にほっとしながらも、慶次はすぐに行動を起こす。
「そ、そのお方は……」
これ以上騒がれても困るのだ。
指を唇に当て、
「言うな」
低く命じる。
一度として城主に血続きの者として――命らしい命の言葉はかけてこなかった慶次だ。いつもならば「お願い」であったり、「お誘い」であった前田の甥っ子の、ただならぬ口調に、兵はあっけにとられている。
「見なかったことにしてくれるよな」
軽く付け足してみるも空しい。
自分の声はどうやら相当強ばってしまっている――苦笑しながら、慶次は愛馬を引いた。
が……数歩としないところで、厩舎に向かう前で別の男に捕まることになる。利家ではない。彼は――まつもだろうが、おそらく今次の戦について軍議の最中だ。そして本来ならば、ここにきた将も……
「こんなところにいていいのかい?」
参謀役というのなら、奥村もいるが、前田の重鎮というのなら彼をおいて誰がいるのだろうか。
慶次がからかうように言うと、相手――前田の古参、村井又兵衛は、予想通りのことを述べた。
「奥村はおる」
だが、すぐ馬上の人に視線を遣るあたり、彼の性格上の警戒もさることながら、現状がどれだけ厳しいか伺えた。
あいにく、村井から、かの女性(ひと)の姿が、逆光ではっきり見えないだろうことは慶次とて分かっていたが、
「なに、朝鮮から姫さんを連れ帰ってきてしまってね」
警戒心は思いもよらない軽口を漏らさせる。
――ばれると分かっていても、さすがにこれは……。
慶次は抱えてきた爆弾を思い、力なく笑った。
その様子に気づくことなく、呆れたように「またおなごか」とぼやきかけた村井が、ふと眉根を顰め、
「貴殿は……いや、貴方様は……」
息をのんだ。
「あー」
頭をかいても、村井は視線をかのひとから慶次に流し、説明を求めてくる。
ここで会ってしまった以上、無言ですりぬけるわけにはいかないことは慶次とて分かる。
けれども、此処が正念場であることも。
慶次は、首を竦めて、一拍。
なぞ解きをかけた。
「前田は、静御前様をとらえて殺すか?」
威圧するように、言霊は放たれた。
呑まれたか、あるいは事実を理解できずか、息を吸いこむ村井の様子。
やがて、彼は応えず、
「殿を呼ぶ」
踵を返した。
しかし、そんな村井の前をさえぎるように、慶次の槍が道を塞ぐ。
「駄目だ。利の前に、あんたにあった。俺はあんたに――かねてから前田に仕える村井というひとに問いたい。前田は今何処につく」
利長から利家に、彼の出奔にすら付き合った古株だ。村井の答えはある意味でそのまま前田の答えだ。
遠巻きに確認し、最悪、この場を立ち去る。
慶次にとって女性が傷つかないことが第一であれば、これは確かめ算。当然声も慎重にもなる。
村井はその重みを受けて、低く唸った。
そして、
「――織田に」
「その後は?」
鋭い声は真剣そのもの。
けれど、村井は静かに止まったかのように声を戻さない。
そんな緊迫した場がどれくらい続いただろうか。
唐突に、そこに、
「柴田ね。織田に忠義だてするならば、柴田につくのでしょう。ちがっていて?」
たおやかな声が割り込む。
俯く村井の様子が、状況を何より雄弁に語っている。
その姿に、慶次は理解した。
「どうやら本当に前田は柴田につくらしいな」
これで、ものものしい警備の意味もしれよう。
どおりで、戦力に数えられぬかぶき者にかまっている暇などないわけだ。
思い出すのは道すがら聞いた噂だ。
豊臣は、織田の第一子を――を、囲ったという。当然、柴田は反対とも。
――なぜなら魔王には子などほぼ意味がなかったからだ。
慶次とて、そこは理解している。
信長は自分の血にはかまわなかった。必要だと思ったから子はこさえたけれど、室は他に置かなかったし、すべて濃の下に管理を任せたと聞く。(こともあろうに本人から聞いたのだから間違えない)
「上総之介様は敢えて一子に拘ることをさせなかったはず……」と。
自分なき後の天下に利用されぬよう、というのが柴田への信長の命なのだ、と。
そういいながら、濃が目を伏せる様がたまらなかったから、それ以上は聞かなかったのだけれど……
――どうする?
いつだって大儀をとる家康や、なんやかんや次の覇権に向けて別の方向性を探る他の元織田軍勢。今考えれば浅井が消えたのも痛かった。事情がどうあれ、織田への不振の種にはちがいなかったからだ。
「明智は?」
尋ねれば、
「現況を納めるべく卯の刻には旗揚げした。本能寺は別の者の仕業かと」
簡潔に村井は伝えてくれる。
これは、村井自身が答える時間を与えてることでもあり……慶次たちからいえば情報収集の時間でもある。
「――そう。けれど、どのみち光秀は裏切ったと思うわ」
「従兄弟じゃなかったのかい」
「そうあるからこそ、彼の考えはわかるの。もっとも……」
――俺たちは松永に、あの丘で会った……ということは、つまり……
「下剋上は松永の常套。あのおっさんは、滅ぼされたか」
是、と。
村井はうなずく。
兼次にいたときからちょくちょく情報はつまんでいたが、実際、卯の刻に利家たちが出兵した先は、信貴山城だったのだ。
本能寺で織田を売ったと見染められたのは松永そのひとということになる。
「けれど、上総之介様は敵が多かったから」
「あのひとなら、誰でも可笑しくない」と濃は言外に語る。
そうこうするうちに、時間は立った。
村井はどう出るだろうか。
視線を敢えて本人に向けないようしている合間、慶次の脳裏には、ある歌が浮かんでいた。
気づけば口から飛び出すそれ。数日前、兼次が屋敷で呟いていた和歌は――
「しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな」
静御前が、死を覚悟して頼朝の前で歌ったといわれる恋歌。
――濃姫は、あの舞姫ほど柔くはないが……。
慶次の中ではもう一人の舞姫が浮かび、彼を過去へ誘っていく。
「いやになるね、女はいつでも犠牲になる」
先に、状況をかさねたのは誰か。
はっと見張る壮年の表情を慶次は目の端でとらえた。
村井は、利長から、利家へ敵対する兄弟二人に仕えている。
たしかに、慶次の父と叔父とは、兄弟で敵対したあの二人――義経と頼朝を思わせた。
源平の物語が読み継がれるご時世、家臣の中でも重ねた者は多かっただろう。村井とて例外ではないだろう。
「殿に頼朝になる気はない」
慶次の言葉を、静を殺させるか?と、そういう皮肉にとってもおかしくはなかったのだ。村井は、「殺させん」と個人的な誓いも、しかと足す。
やがて、こちらに一瞥をくれた後再び、
「第三子を主張した柴田殿につくと決めた以上、他の大義はいらぬが道理。純粋に、殿たちも歓迎されよう」
手早く利家の状況を明かしてくれる。
だが、慶次は「家臣は?」とは訊ねられなかった。
聞くべきでないと、分からぬほど子供でもない。
しかし……
「案ぜよ。皆、殿についていくと決めたものだ」
そっか。
慶次が一言もらすのと、濃姫が溜息をつくとどちらが早かっただろうか。
「だからこその前田だ」
そっけないが、力強い、その声に、ようやっと村井は踵を返すこと許されたかにして……遠巻きに二人を城内へ先導する。
信じてはいようとも、頭の働く村井のこと、きっと裏から案内するのだろうが。案の定、颯爽と裏口から入る彼に、慶次は肩をすくめ、安堵の息をついた。
いつぶりだろうか。ある意味では初めてかもしれない。あるいは最初にこの城門を叩いて以来か。
久しぶりに、前田にかえった、という実感が沸いたのだ。
* * * *
進んだ先、大広間には、詮議を前に多くの家臣が控えているようだった。
この時代、殿が下した結論につき従うことが必ずしも道理とは限らない。ことによってはその場で上になり代わり、土地を納めるものとている。
そうでなくとも、反対の意を示し、内側に敵を誘いこまれることだって十二分に懸念された。
そうあればこそ、慎重を余儀なくされたし、外に対しても色々と策を講じる――その意を見せることが重要だった。
利家が、「独眼竜がもしもつくというのなら、」という検討を送っている事情は分かりやすい宥め言葉である。
あるいは、決定が下った後だというのなら、本当の作戦の一部か。
どのみち、柴田側に婆沙羅をもつものも少なく――実際、利家だけでは戦力が不安であることは、慶次からも理解できた。
――だから、今度くらい。
秘めた決意が先を急がせるが、村井は好んで先を歩んだ。
畳の匂いはどこか懐かしく、板の間から移動すると冷たくなっていた足袋の底も若干温かく感じる。抜かしていくことも躊躇われて、慶次はその後に続き、ゆっくりと襖の前に進み出る。
身は軽い。気持ちも――。
最後の一人は置いてきた。
「あの御方は来ると言ってきかなかったが」
「いいんだ。せめて俺が信用できるように、いざというとき逃れるよう言ったら納得してたよ。前田がそんなことしないことは分かっているとごねてたけど」
「それは光栄なこと」
濃姫には別の場所を手配させた。
本来まつが控える奥だ。恐らく詮議に参加するだろうまつのこと、侍女以外にあちらに人は立ち入らぬだろう、とのこと。
――とはいえ、今回ばかりはまつ姉ちゃんも戦場に出させられないだろうな。
いざというときの、前田家を継ぐものは家臣にとって、これもまた優先されねばならぬものなのだ。
――そして、自分がいる。
そのとき、村井が、襖に手をかけた。と――
「ならば、我らは織田の言うとおりにするが道理」
「しかし! さりとて、殿! もしも豊臣が他と結ぶことになればっ」
「武田はなく、上杉はおらぬが、伊達もおる」
「そうじゃ、そうじゃ」
「伊達じゃ! 伊達のこせがれは何処に着く?」
「撫で斬りの話も聞こえる。あのようなものがあちらに着けば」
「つかんだろう。伊達政宗は豊臣を嫌っている」
「だが奥村、味方にする前に、さきの北条全貌を確かめなば信頼などできまい」
柴田につく前提で話は進んでいる模様。それ以上に、誰を巻き込めるか、巻き込めないか、誰が仇をなすか、あるいは仕掛けてくるか――まるで何かを二分するような物言いで詮議はなされる。
利家はおろか、あの方物奥村ですら周囲は気になるらしい。
――上杉の不参加は伝わっている、か。
力のない武田、立場を明らかにできぬ旧織田勢はいい。遠すぎる毛利・長宗我部含めた西も、ひとまずおいておけるだろう。
――そして、今の焦点は伊達、か。
前後の関係が分かりづらくなっていたので、かぶきものの帰参へつなげてみました。そのまま続く形です。