彼、還る      >ある意味パラレル 手塚の帰還(全国直前)

「跡部、手塚が帰って来るらしいで?」

「……ああ」

 ――そんなことはとっくにしってんだよ。
 跡部は顔色を伺い、コッチの言葉にわざとらしい笑顔を浮かべてみせる忍足を押しのけて、部室のドアをつかめば、

「何急いでるんですか?」

 がらっとドアが開き、後輩――日吉が邪魔をした。
 意図的ではない。
 だが時間がないのだ。
 ――ちっ。
 跡部は低く舌打ちして、その横をすり抜ける。
 自ら進路を変えることなどないように思われた王者氷帝トップのその光景に、日吉はすこし目をみはり、忍足はははんと鼻をならした。

「用がねーなら帰るぜ」

 いつもなら、突っかかる跡部だが、今日は違う。
 その態度に反応もせず、静かに自ら退席をつげた。

「何なんですか?」

「逢引や。……たぶんな」

 納得の行かない日吉に、忍足は「戻ってきたかもしれへん。嫌味の一つでも言うてくるんやろ」と事実を教える。
 それが彼の心配であり、そういう表現しかできないことまでは伝えなかったのだけれど。
 *    *  *  *  *  *  *  *
 跡部が手塚の帰還を知ったのは連絡を取り合っていたからではない。
 九州ならば跡部の範疇外であった。橘のほうがよほど詳しい。もし仮に部長という橘の人間を頼るとしても、そちらが妥当であったし、ついでにいえば病み上がりの幸村というのも手で、跡部は選択肢上も出てこないはずだ。
 跡部と手塚は実際、あの試合を除いて対戦をしたこともない。
 選抜でも、断わった手塚のため跡部は手塚との実力比べは勿論同じコート内にいることすらできずにいた。それ以外、そこまでの交流があった事実もない。
 二人の間にあったのは、やむを得ず怪我を負わせたものと、怪我を選んだものという絆ともいえない不可思議な関係だけだ。
 だが、その数日前、

 Trrrrrrrr

 ベッドサイドの電話の音が鳴り、跡部は耳慣れた声をきかされたのだった。

『俺だ……跡部、分かるか?これはお前、直通だときいたのだが』

「あ、ああ」

 不覚にも驚きで声が裏返りかける。
 上を羽織って、体勢を整えるとようやく意識もはっきりした。

「何か、用か?」

 散々考えた言葉は、宙を舞い、ようやく選び取られたのはそんな一言。
 ――何が、用か?だ……
 自嘲するも、他に言葉などなかった。
 試合の後、さんざんきかれたことがある。
 すなわち、『後悔しているか?』というものだ。
 全国大会がきまったときも、『うしろめたさってのはねーのかよ』と知らない生徒にあからさまに嫌味を言われたことすらある。
 けれども、跡部は手塚なら分かると信じていたし、それがゆえに後悔などできるはずがなかった。
 ――納得いってんだよ、俺らは……。
 絆にもならないといわれても、テニスという絆を跡部は信じていた。
 この電話はその証拠になってしまうのかもしれない。
 あるいは……

『ああ……』

 怖くなかったといえば嘘になる。
 しかしその怖さは裏切られるかもしれないこと――ないし、相手をこうだと勝手に決め付けて信じている自分への不安であり、試合には直接関係しない。
 跡部はごくりと受話器のこちら側で喉を鳴らした。

『明後日、戻る』

 手塚の口調は変わらなかった。
 ――あっていた。
 予感が、長年の想像が確信になる。

「そうか。早かったじゃねーか」

 遅かったとはいわない。
 悪態なら、いつもならそういうが、あの怪我はそういうタイプのものでないと跡部が一番よく分かっている。これでも、不安はあったのだ。怪我事態への不安。同士が――同じようにテニスを愛し理解するものが欠けるかもしれないという焦燥ならば、なくはなかったのだ。

『努力をしたからな』

「そうか」

 平然とそういえる努力は、並々ならぬものだ。
 ――ようやく楽しくなってきた……
 全国大会出場が決まり、跡部もそれはそれなりに「氷帝を、全国でのお飾りになんてさせない」という気概はあったが、ここでの実感はまた違った。
 心底戦いたいという気持ちも、リョーマの試合で既に生まれている。
 そうでなく、手塚と戦いたいという気持ちがまた跡部を一層ひきつけたのだ。

『次は負けない』

「アーン?……待っててやる。シングルス1の勝利はわたさねぇ」

『腕試しを頼むつもりもあったが、お前では試しにならないな』

「本気で再発しねーってんなら、俺を相手にしとけよ?」

 「壊れるかどうかで、わかるぜ?」と言外にいうも、跡部はYESの返答を期待したわけではなかった。
 事実、手塚は静かに『平気とは思うが……』と苦笑する。
 見ずとも雰囲気で分かった。

『だが……』

 そしてそれが提案―――……

 *    *  *  *  *  *  *  *
「よお」

 他に声のかけ方をしらないように、跡部は人影にむかって呼びかけていた。
 私服ゆえにいつもよりはラフだったが、どこか全体がぱりっとしてみえる立ち姿。

「ああ」

 年齢を感じさせないその調子はまるで【手塚国光】だった。……本人にむかってこういうのもなんだが。
 手塚が降りた最寄の駅は、跡部も時おり使う場所で、あいにくと学校からも近かった。
 間にあったことに、内心ほっとしながら、跡部はどこからともなく湧き上がる緊張を隠し、できるだけ抑えた声で返す。

「戻ってきたか」

 意訳で『お帰り』といったところだろうか。

「そのようだ……」

 いまいち実感がわかない、と手塚は笑った。 
 時間はそんなになかった。
 あらかじめ、跡部は手塚が着く時簡を知らされたが、会う約束まではとりつけていなかった。そして、実際手塚がこの後すぐ学校にいくだろうことは、手元の書類らしきから容易く予測がつく。
 ――ちっ……
 かといって、跡部も自分から話すのが得意な性分ではないのだ。
 すると……

「青学(うち)はどうだったか?」

 まるで戦友だったかのように、手塚が跡部に訊いた。
 ――敵にきいてんじゃねーよ。
 思うがもう駄目だった。
 勝手に頬が緩む。
 それ以上に、跡部は背中にぞくぞくするようなものを感じた。
 答えは一つしかない。
 気付けば、跡部はずっと伝えたかったことを、テニスが好きなものに言いたかったことを、告げていた。

「越前は強くなる」

 跡部は気付かなかったが、彼が自分では口にせずにいたその言葉は放たれ、手塚の胸にもすとんと落ちた。
 なったのではない。
 なるのだ。
 跡部は、手塚になら通じるだろうと思った。
 この期待はもう、偽物かどうかなんて悩まなくてもいい。
 答えは出されるだろうし、もう出ているのだ。
 同じ道を愛し、その一つの道だけを走るものとして……

 ――お前が今どれくらいの実力かなんてわかったもんじゃねーけどな、手塚。
 跡部は無言で、でも確実に問いを投げかける。
 視線を受けて、手塚は「実感」する。

「けど、俺は勝つぜ?……アイツに勝ったてめぇにな?」

「ああ」

 通じるのはもっと上へ、上へいけということだけ。
 ここで、二人こうして交差するのはこのためだったのだと、どちらが思っただろうか。あるいは必然すぎて気付かず過ぎたのだろうか。
 肩にかけられた跡部の手を払うでもなくよけて、手塚は言う。

「越前か。真田には勝てただろうが……――俺は簡単には抜かせない」

 それは意地の張り合いにも似ていた。
 だが、お互い「「三年だからな」」と、むっとしたまま口走れば、妙に気持ちが楽になった。
 手塚国光が帰って来た。
 跡部は思い、手塚も、「戻った」ことを実感したのだろうと、そう【理解】した。
 この瞬間、手塚国光はプレイヤーとして、一歩ひくでもなく、まけるでもなく、スタート時点ではない一歩上の頂点を目指す場所へ還ったのだ。

 
「俺は負けない」

「そういうことは俺を倒してから言え」

「次はどうなるか分からない」

「普通はそうだな……。だが、二度目も同じにしてやる」

 大人びてるのか子供なのかわからないやり取りの後、

「時間だ」

 跡部は氷帝(ホーム)へもどる。
 ――交差は一瞬。でもこれからもずっと変わらない……。
 確かめた感覚はこれからさきに対する期待と何かの始まり。

 ――手塚が戻った。
 喜びとは決して認めないが、そこに意味を見出すのは青学(チーム)の人間だけではないのだ。

 ふと携帯からメールの着信音が響く。
 見れば送信相手は忍足。
 内容は――
 
「あいつら……。練習だな」

 跡部はほくそえむ。
 自分だけでなく、氷帝(チーム)もやはり全国を目指すものの集まりだ。

 ――俺らからも伝言や。『絶対に負けへんで』いうとき――

「伝えなくても分かってんだよ、アイツは……」

 想像だろうが事実は事実。
 あっけらかんとメールを消去し、跡部は返信代わりにコールした。
 2,3回ののち、出た相手を確かめず、

「練習再開だ。すぐ戻る」

 それから、帰り際に交換した手塚のナンバーを登録しておいた。
 使う必要のない番号――短縮の聞かない最後のナンバーに。


全国大会会場の手塚を見る前、帰還祭に参加したときのもの。 会場で再会、ではなく、実はね……だったら編。