EPISODE:00> Three month ago〜再会〜(後編)(SIDE ATOBE)

 仕事にさえ慣れてしまえばそこは地上と変わりなかった。
 閉じこめられっぱなしだったのはたった一週間。

「跡部(あれ)はじっとしてもいられないだろう」

 かつての恩師はため息がてら、外出を許したのだと、千石に聞かされた。
 ちなみに、仕事といっても、跡部に任された任務は大したことはなかった。
 人を殺せともいわれなかったし、誰かに危害を与えるようなことではないように思えた。だが、認証タグで管理され、奥に一緒に設置されている研究所の研究員にすら秘匿の義務を負わされる現状は、人道的とは言いかねた。
 家への連絡は絶たれていたが、何せ上は知り合いである。上手く言われていることだろう。
 プロ転向する直前準備期間だったというのは残念だが、どの道それも数年で終わり、祖父母の後を継いで経営の「プロ」になることは跡部に昔から課されていた義務である。
 
(何、俺がいなくとも会社は持ちこたえるだろう)

 お飾りから昇格するまで、どんなに早くとも三年はかかると肉親ですら踏んでいたのだ。戻ったら――戻れるかどうかは分からないが、テニスをプロとして愉しむ時間はなくなるかもしれないが、生活に困ることだけはないように思えた。
 また榊ほどの男が、このまま自分を飼い殺しにするとも思われない。
 表に出して使う方が有用な人材だと、跡部は自分の正当評価を知っていた。

「ねえ、跡部君」

「んだよ……」

 考えにふけっていたら、横から、待機に飽きたらしい『上司』(不本意だが千石が直属の上司になっていた)が、覗き込んできた。
 今日のトレーニングは終わり、任務もない。
 研究所を経て、地下に戻ったはいいが、早い話やることがないのである。
 そういうとき、千石はよく跡部の部屋に入り浸っていた。
 部屋に備え付けられた小さな椅子とテーブル。簡易ベッドはそこそこに趣味のいいものだったが、冷蔵庫と小さな流し台の他、千石は質のいいソファを持ち込んでくれた。そこに逆向きにこしかけて、ベッドに座る跡部を見ているオレンジの髪は、数日もしないうちに、そこを定位置にしていた。

「俺がどうして雇われてるか、聞かないんだ?」

(きいたところで意味がねーじゃねぇか)

 それもそうだね、という風にオレンジの髪は、勝手に人の気持ちを読み取り、相槌を打った。

「インサイト、なら、もっと詳しく分かるのかな?それとも俺の方が上?」

「何がだよ」

「この間、教えたじゃん。読唇術と読心術」

「……んなの、インサイトの応用だろ?」

 所詮は分析力と、人を見抜く目。
 技術などなしに習得できる人間もいるのだ。
 跡部は、千石をどちらかというと可能なタイプに分別していた。
 自分と全然にていないようで、能力的には決して劣らない軽いふりをした人間。

「そうだね。俺もナンパは昔から得意だし?」

 ――訂正。実際軽いのかもしれないが。

「……ていうか、テニスしない?」

「気がむかねーな」

「なら仕方ないな。じゃあさ、俺の話聞く?」

(仕掛けてきた、か?)

 それとも純粋に、話し相手に飢えているのだろうか。
 どちらとも取れる。
 千石は――千石だけがここでは唯一タグなしに自由に移動していた。
 実はもう一人、タグなしの人間を知っているのだが、どうも跡部は苦手だった。
 年下の癖に、生意気な目をしている。
 それだけじゃない。
 
(アイツは千石とはちがう……)

 比較して、なんだかんだで、このぐうたら上司に気を許してしまっていることを思い知らされ、跡部は顔を歪めた。

「……意味があるヤツならきいてやってもいいぜ」

「ないかもな」

「なら話してんなよ」

「だからさ、跡部君が話してよ」

「……あ?」
 
「どうして此処に来たんだよ」 

 ぶっきらぼうな言い方が、千石らしくない。
 いつもの茶化す調子とはかけ離れて見えて、

「しらねーのかよ」

 思わず声が裏返ってしまった。
 千石は「全部知ってるわけねーだろ」と笑い、煙草を取り出した。

「跡部君は吸わないよな?身体に悪ぃもん」

「…まあな」

 本当はあまり好きでない苦味を吸ってでも、紛らわしたい沢山の疑問符があったが、「ここを出た時のために止めとけば?」と言った千石に、手を引っ込めた。
 見透かすような目は、あんまり得意ではなかった。
 忍足にしろ、慈朗にしろ、あるいは……その最たる滝にしろ。
 ただこうして考えると、彼らはみんな自分を思いやっているところがあって……

「ヤツラにとって、俺はまだ『部長』らしいからな。こっちもその気が抜けてねぇし」

「へえ。犠牲精神ってわけでもないんだ」

「誰が困ろうがしらねーが、俺はあいつらがテニス出来ねーのに一人でぐずぐずラケット握ってもつまんねーんだよ」

「……なるほど」

 明確な脅しがあって、確実に得られる答えがある。
 頂点に行けとせかす人間の中、自分が頂点に届く位置にあることを跡部は知っていた。
 だが、それを阻む者がいることも……

(ちっ……スポーツってのはビジネスじゃねー……)

 かみ締めた唇が痛かったが、『自分』が巻き起こしただろう事実の方がもっと痛かった。
 昔ならよかったのかしれない。
 アメリカンドリームも何も、テニスは金持ち(貴族)の道楽で、そこには遊びだという了承がついていた。
 今は違う。
 ビッグビジネスのチャンスと、スポンサー。
 無論、コートやコーチ……諸々金のかかるスポーツであることは否定できないが、本格的にやる財産に困らない人間も大分増えていて――だからこそスポンサー争いが激化せよ、均衡はとれていたのだ。
 『跡部』が参入しなければ。

「フェラーリの社長令息が、セナだったっていう落ちより酷いもんね」

「うちの事業は、そっちは未開発だ」

「だけれど、参入の予定とかちあった」

「……否定はしねぇ」

 それだけで、こんなことにはならないが……。
 潰す気はないのだろう。
 ただ、今のタイミングをずらさせたい誰かがいて、それと同時に、自分の性質をよく知っている者がいた。
 すべては不幸なめぐり合わせなのだ。

(それにしろ、ここまで腐敗してるとは思わなかった)

「だねー。俺らは地下(ここ)のコートだって、楽しめるのに」

 「強いやつとやりたいだけなのにさ」
 笑う千石の心情も、どうも得たいが知れないが、言葉に篭もる「本当」は理解できた。
 跡部は、「そうだな」と答え、ベッドサイドに手をかける。
 ラケットを取り上げれば、使い込まれていない新品のそれは妙に手に馴染んできたようだった。

「一試合するか?」

「そうこなきゃ」

 千石はにかっと歯を見せた。
 ここだけは同じなのだ。
 そういえば、とふと思う。

「お前はプロには……」

「なれたかも。けど、色々なもんが足りなかった」

 才能とか?
 その言葉の裏に、ドキッとした。
 足りないのはそういうものじゃない。
 
(金か……)

 本当に才能があっても、潰すものもいるのだ。
 この社会には。

 習ったばかりの技術を駆使して、無表情を装い、罪悪感を極力悟らせないよう急いで部屋を出るも、跡部には後ろからついてくる千石の苦笑が見て取れるようだった。

「ま、いいや。天下の跡部様を相手にできるんだし」

「ちげぇねーな。俺のレンタル料は高い」

「いってろ。今度こそ、1ゲームとってやるから」

「低い目標だな」

 変わってしまった何かに、目が熱くなったが、先ほどまでの空虚はどこかに消えている。
 地下コートの脇、シューズの紐を直して、跡部は大きく深呼吸をした。
 日が暮れていく様は、ここからは見えなかった。


written by MAYMOON

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