門の狼も庭の置石もあの日を再現するようで、深司を苛立たせた。
何故此処まで来てしまったのか。
答えはシンプルなものだった。
――……暇だし……。
休憩時間は残り二時間はたっぷりある。
よそからの派遣とはいえ少なすぎる職務に、感情を持てあましていた自分はあのまま皆と一緒にいたら揉め事の一つや二つ起きていただろう。
そう考えての、結果がサボり。
青山城に入り込んでいるとはいえ、あくまで深司は「不動」の者なのだ。懲罰を受けて、ハイお終いとは行くまい。後から対処に出てくる上司――橘将軍に悪い影響があってはいけない。
……と、まあ理屈は通っているように思えるが、実のところ、これも重大な規定違反には違いなかった。何しろ深司が立っている屋敷というのは普段の軍の行動領域から著しく外れた街の外にあるのだから。
しかも軍とは時に敵対もするヴァンパイアの家系の屋敷だった。
深司は年季の入った城造りの屋敷を見上げた。
石を基調として、全体に薄暗い印象である。
坂の上、木の影に隠れるようにして立っている屋敷はところどころにレンガがはがれかけ、蔦が巻いていたが、おかげで風格が増している。
「……いるよな……いたらいたで面倒だけどさ……此処まできていないのも癪だから居てくれないと困るんだよね……」
ブツブツ言いながら、門に手をかける。
そのまま軽く力をいれると扉は重い音を立て、地面を擦り、移動した。
無用心だと思うが、よく考えればもう夕方だ。
「彼女」たち――吸血鬼にとって過ごしやすく【能力】もある程度使える時間になっているのだから、危げなどあるはずないのかもしれない。
「橘さんもそうだったなんて思えないけどね……」
光の中の方がよほど生き生きしている上司、橘桔平を浮かべる。
目の前扉は城に眠る彼の妹を囲んでおり、桔平はかつてソチラ側の人種――吸血鬼だった。妹、杏との【入れ替わり】が起きて数ヶ月、今は彼が人間になり、彼女が吸血鬼の生を過ごしている。
【入れ替わり】……その現象について、深司はよく知らない。
出合った頃は桔平はただの光アレルギー気味な傭兵だったし、杏に至っては一度街で見かけただけだ。そのときはまさか血縁だとは考えもしなかったし、そもそも吸血鬼『橘』一族とはどちらも結びつかなかった。
ひょんなことで事情を説明され、杏に食事を――要するは自分の血を分けてやってほしいと頼まれたのは、橘が将軍に昇格した月のことだったが、それまでは吸血鬼という種族事態への認識も相当に曲がっていたような気がする。
更に言えば引き受け(させられ)たときの桔平の説明も大分おざなりで、「遺伝的に女に吸血症状が出ると、一族の男は一人人間になる」という簡潔なものだった。
程なく、吸血鬼的な食事(血とセクシャラスな行為)を聞かされたときは少々気を疑ったが(兄としてどうなの。それ?部下に頼むか普通……以下略……)、別にどうでもよかった深司は結果的に、杏には血を少し舐め取らせただけで終わった。
そのうえ、やっぱり彼女は血を拒んで吐いたのだけれど。
杏は、少し体内に血が入った為か顔色こそ戻っていたものの、食事はあんまり気持ちのいいものではないらしい。苦しそうな表情の中、肉体的だけでなく追い詰められてる少女の心理の『おおもと』を深司は見て取ってしまっていた。
ドアの前、戸をノックしかけた深司はそのときの杏の表情を思い出し、眉宇を一層潜めた。
女は面倒くさい。
――と、
「誰かいるの?」
中側の扉が開いて、少女が出てきた。
細身ですっとした顔立ち。揺れるボブカットの髪は夕日に染まって透きとおるようだ。
「深司君……?」
凛とした声に、名を呼ばれ、深司は嫌そうに目を逸らした。
「……これだからやんなっちゃうんだよね……なんでそんな細いわけ……」
杏はやつれてこそいないものの、確かに数ヶ月前よりも血色が悪かった。
吸血鬼だからという理由を抜きにしてもそうなのだろうことは、周囲の吸血鬼をみていて分かる。軍部には雇われのヴァンピール(吸血鬼を取り締まる側に回る吸血鬼)もいれば、協力している古株の吸血鬼(情報屋らしいが流石に彼のことを、下っ端が詳しく知りようもない。見かけただけだ)もいる。
加えて、杏が体調を害するだけの理由を、深司は明確に理解していた。
――……これだからブラコンは……
それ以上に何があったのか、恐ろしいから聞きたくもないし、想像したくもないが、杏が桔平を兄とは違う意味合いとの境界線で好いているのだろうことはとっくにしっていた。
――だから、俺じゃなきゃ駄目なんだってさ……悪いなアキラ……
街で見かけたとき、杏に一目ぼれしたらしい友人を思い浮かべ、これから起すだろう行動にため息をついた。
「取りあえず部屋、入れてよ」
「あ、うん……」
屋敷に滑り込む。
深司の中のカウントダウンが始まった。
出来れば一時間半で戻りたい。
この子に食事をさせて。
自主的にそういう気分になったのは謎だが、桔平の憂慮を案じる周囲にも耐えかねるし(一人だけ事情を知らされてるバツの悪さときたら、たまらない)、この少女に会ってから、彼女を嫌いでなくても泣かせたい――そんな嗜虐心に駆られる自分が居た。