「下ろしてくれ」
買い付けたばかりの机は引き出しに象牙で紋様をもしていて、扱いが難しい。
職人たちに指示を出しながら、カイザレは次のスケジュールを確認する。
「二時からボローニャ大使と会食、三時にスタリ邸にドロリーゴの報せを届け――五時に屋敷か」
あのダンスからあけて、一夜。
父の法王就任と共に、法王つきの仮秘書として一月、儀式外の調整を図ることが決まったカイザレだが、大役を前に、まずやることと言えば自分を含めた法王の身の回りの整理整頓であった。
何せ、突然の帰郷の催促と今回の戴冠。
ミラーナの学府に大方の荷物は置きっぱなしにしてきたカイザレは、今だ居住いが定まらずにいる。
法王も法王で殿に移動するため、多くの装飾品や儀式に必要な道具以外のすべてを屋敷に残していた。
――といっても、形見分けでもあるまいし……
なぜ、こんなに多いんだ?
憎々しげに、愛人に渡すよう頼まれた宝石箱を見つめる。
世俗と切り離すために〜と、父は言っていたが、大方が手切れ金だろう。
かのアレキサンドレ6世、ことドロリーゴ・ボカロジアが最初にカイザレに臨んだのは、彼の私物の再分配と邸宅の整理だった。
まさか身内……親族や父の愛人関係の整理から始めることになるとは思いもよらなかったら、そのために裂くスケジュールに、カイザレは頭を抱えた。
カイザレからすれば、無駄な時間が多すぎる、のである。
頭痛の種は他にもあった。
「四時にホレンが来るんだったな」
そもそもが仲の良いとは言い難い義兄弟だ。別れてから数年が経過したといえ、その血の繋がりや今回の任命によってますますややこしいことになってくる。
知っているから、つい。自然と顔が険しくなる。
「この時期に訪ねてくるなんて……何を考えてる?」
断ろうにもナポリ大使とのややこしい会合を、自分に変わって受けてくれるだろうと、父にも勧められて――とても無碍にはできない。
脳裏に浮かぶ小憎たらしく笑うホレンに歯噛みしそうになるのをこらえて、間近にある柔らかな絨毯に手を滑らせる。
ゆったりとしたビロードに、心を落ち着かせる。
……と、不意に、横から、逞しい腕が延び、
「忙しそうだな、手伝おうか」
その緑の布地を奪い取って、したり顔で笑う悪友の姿があった。
「ミケレオン」
非難がましく見てみるも、相手はこちらの反応などお構い無しだ。
彼の視線は教会側、法王の殿にむかっていた。
「突然学舎から屋敷に移るといったと思えば次は法王秘書官、大変なことになってるが……あのときからドロリーゴは分かっていたんだろう」
「だろうな。わざわざ息子を呼びつけるくらいなんだから、おそらくとは思っていた」
父にずばり命じられる前に、少しでも自分が優位になるよう急ぎ学舎を飛び出した理由もそれだ。
「災難だったな、急ごしらえの荷物では足りないものだらけだろう」
「まあ。でも手伝いは不要だ。それよりお前こそ学府に戻らないでいいのか?長くとどまれば、ロマンスではなく、お前の大嫌いな【伴侶探し】がついてくるが?」
「なに、いざ困ったらお前の妹でももらうよ」
「…………」
――ふざけてる……
向きになるつもりはないが、こいつならばやりかねない。
反応に困っていると、分かったのだろうか。
「それより、息がけにミルファーディラの邸宅付近で可愛い小鳥を見かけたよ。あれは誰かな?」
ミルファーディラはこれから行く父の愛人の中で二番目に長い付き合いの女性だ。(一番はミクレツィアの乳母代わりにもなっている女性)
小鳥、とは、ミケレオンのことだ。恐らく女性を指すのだろう。
「知らない」
「ふうん。でも、ずいぶん可愛かったのだけれど?……って、カイザレ、どこへ行くんだ、おいっ」
「…………」
カイザレはミケレオンの声を無視して、歩き出す。
あの女性と父の間に女子が生まれた記憶はない。
あの屋敷を訪れるのも今や、あの女性の姉と父の間に出来た子――義弟のホレンくらいなのだ。
――いやな予感がする……。
何がとは言わない。
だが、何となく、よくないことが置きそうなのだ。
「小鳥を眺めに」
簡潔に答えて、カイザレは歩む速度を上げた。
――夕刻にはミクレツィアのもとに戻らなくてはならない。
そのことはひとまず考えずにおこう。
ただの好奇心だと言いきれてしまえばどんなにいいことか。
だが、この時点でもしかしたら、カイザレは分かっていたのかもしれない。
弟、ホレンがあえて自分にあいにくることと、その小鳥が少なからずかかわっているだろうことが。