【SIDE 前田慶次 確実に記憶を持ってる一人】
前田慶次はその日もいつもどおり、英和辞典を借りに前田利家の教室を訪ねた。前田というだけあって利家の続柄は叔父にあたる。
……といっても500年程度前の戦乱の世ならまだしも、今二人の年齢はそう離れてはいない。慶次が高校一年、利家が二年のわずか一歳差である。
そのうえ利家のクラスには篠原まつが来ていて、相変わらず前世同様仲の良いカップルぶりを見せつけてくれた。
――いいよなぁ。ああいうのって。
まつも利家も過去の記憶はもっていない。
何度も確かめたから本当だ。だが、本当に仲が良くて……お弁当を作ってもらう利家と嬉しそうにその頬についた米粒をとるまつを見ていると「こりゃどうせ結婚するよなー」と確信できるのだ。
――運命なんてちゃちな言い方はどうかと思うが、やっぱり恋はいいね。
二人を見れば、すっかり上機嫌になる慶次である。
だが、今日はすんなりいくかと思った日課ががらりと崩れた。辞書を借りに行ったところ、まつがいなかったのだ。
もともと慶次が昼休みに利家のところに辞書を借りに行くと、隣のクラスのまつがいて、辞書を持たない利家の代わりに辞書を貸してくれる、これがパターンになっていた。
何せ、まつは利家の彼女であると同時に、現世でも慶次の親戚筋にあたる。(利家の従妹だ)なんのかんの幼少から世話をしている慶次とも懇意なのだ。
もっとも、その分しつけにはうるさく、お説教が三回に一度の割合で飛んでくるから、やばいなというときは同学年で別クラスの、幸村や伊達政宗なんかに頼むこともあったのだが。
さて、ところがどっこい、その頼りのまつが本日は欠席だった。
「利、まつ姉ちゃん、風邪なんだって?」
「まあな。まつにしては珍しいが……後でお見舞いにいってやろう!慶次も来んか?」
「うーん。遠慮しとくよ。邪魔すると悪いし、いくら親戚ったって何人もで押しかけちゃよくないだろ。でもさ、俺も早く治ってほしいって言っておいてよ」
「おお、そうだな。では、ちゃんとまつに伝えておこう。……で、辞書だったな。悪いなぁ。俺もないんだ」
うん、知ってる。
とは言わないでおくが、今さらのことだ。利家が持っていたら毎度末に借りたりしない。
「さて、他に誰かいないものか」
「えーと、別に俺なら、同学年のやつらに……」
同じクラスの佐助は無理でも隣の元親――はもってそうもないか?――か、最悪政宗はあるはずだ。
慶次が、比較的つるんでるメンバーをピックアップしだした頃だった。
利家が、言葉を遮り、おう!と手を打った。
「そうかそうか!いいところにおった!」
大はしゃぎで、人が止めるのも利かず利家はぼんっと律儀に黒板を消している背の高い男に、声をかけた。
「すまん、甥っ子が辞書を忘れたんだが、貸してくれないかぁ?」
――ン?
その後ろ姿に妙に覚えがある。
ちょうどさっき辞書を借りる候補を思い浮かべてたさい引っかかった誰かと対になるような……
くるりと、その男が振り向く。
青年というか、これじゃ年齢査証だといわれるんだろうなといわんばかりの面構え。早い話が老け顔の強面。そのうえ、なぜだかうざったそうに伸びた前髪にひどく違和感がある。
「……え?」 と、声を漏らしたのはどちらだったか。
兎に角慶次はしっかりとその顔を記憶していた。……だものだから、一瞬、動きが止まる。
反応は相手の方がまだ早かった。
「あ、ああ……辞書か、電子辞書でもいいか?」
「おお!小十郎のは最新のだったな、しかも何やらいっぱい機能のある!でも、いいのか?そんないいものを借りてしまって?」
「お前に貸すんじゃねーだろうが。ええと……前田の――……慶次だったか?俺はもう今日は使わねぇ、明後日のリーディングんときまでに返してくれればいいから持っていきな」
「あ、はい」
――何で俺、敬語使ってんだ?
キャラ的にタメ口でいいはずなのに、なぜかそうさせられたのは、あまりにびっくりさせられたから。
慶次は反応で分かった。
――【片倉小十郎】は覚えている人だ。
前世にいたな、というレベルではなかった。こちらとしっかり目をあわせて、戸惑ったような表情を浮かべているところからもそれは分かる。
――何せ俺今、政宗とつるんでるからなー。
正確には佐助や元親も、たまには幸村もまざるのだが、小十郎からすれば一も二も無く政宗様なのだろう。
慶次は小十郎に直接面識がある。
何度か領地にも侵入して、斬り合いになったこともあるし、からかうだけからかって戻ったこともある。そればかりか、真面目に語って自家栽培の野菜をおすそ分けにあずかったこともある。
格別親しくはなかったが、片倉小十郎と伊達政宗とは、そもそもがそういう仲だった。
小十郎がいかに政宗を大切に思っていて、気にかけているか、慶次は知っていた。
半兵衛が秀吉にするのとは全く違うやり方で見守るような、兄のようで、父のようで……他の何とも代えがたい関係。
「使い方がわかんないようなら、ここを押せ……大抵のことは書いてある」
――動揺しててもちゃんと俺に教えてくれるし。
そういう気真面目さも含めて、この人間は本当に政宗にあっているのだ。今さらながら気づく事実である。
だからだろうか。気づけば、その違和感に首をかしげていた。
「覚えてないからなー」
だが、知らないのはひどい。
自分にも覚えのある感情だ。秀吉も半兵衛もすっかりねねのこと、過去のことを忘れた状態で自分の前にいたのだから。
――けど、せめてかかわってたいよな。悪い方向じゃなくて、いい方向で気にかけていた人ならなおのことさ。
覚えてないことに苦しむかもしれなくても、その方が自然だ。
その瞬間、慶次は「双竜」がみたい、純粋にそう思った。が……それも勝手な自分の欲、と言い聞かせ、叔父の教室を後にした。
が……何が味方しているのか、はたまた運命なのか。
数日も立たないうちに、双竜はまみえることになる。
* * * *
【小十郎 SIDE】
先日、前田の甥が現れたとき、こっそりと政宗の動向を掴んでた小十郎は複雑な気分になった。何せかつての主人のそばに、今一番いるのはその前田慶次(と長宗我部らなのである)
――正直あいつが覚えてるかどうか怪しいとは思ってたが……
今回の一件ではっきりした。
辞書を貸すといったとき、明らかに目を見開いたあれは、おそらく慶次が転生後の自分(片倉小十郎)がいると思ってもみなかったせいだろう。
そこかしこに戦国の同窓生?がいるというこの学校の異常さはさておき、仕方もないことだと思う。
慶次も含め自分たちを覚えている者からすれば、(思い込みでもうぬぼれでも何でもなく)政宗のそばに小十郎がいない方が違和感があるのだろうから。
そのことは、偶然再会し、まさかの同級生となっていた北条氏政も言っていた。偶然見つけた武田の主従はとっくに一緒にいるのだから、対比して考えたとしたって納得のいくことなのだ。
「情けねーな……」
もちろん、生まれ変わりとはいえ、今は今で楽しんでいるし、変わった部分も多い。どこか思い込みが多く、気真面目すぎたせいで、「主人をさがさなければ」という考えにとりつかれていた自分もいたが、それも濃姫に活を入れられて、大分ふっきれてしまった。
だが、政宗のことは気になる。
だからこっそり見ていた。まるで片思いの少女じゃねーか、気持ち悪ぃとおもいつつ、心配なものは心配なのである。憧れや恋という次元でなく、何かしでかさないかとハラハラしてしまうのだ。
――遠くならここまでならなかったんだろうな。
そこを行くと、あれだけ近くに寄られて、かつ覚えているらしいのに平然としていられる三年の一部はつわもの過ぎた。流石は天下統一を目指す「主」となりえた者たちだ。
そう、小十郎は感心していた。
すると……
「あ、わすれてた」
その主とまではいかずとも、お家的には一応代表に座っていたはずの元前田家当主利家が、間抜けな声を上げた。
基本的に良い御仁で、友達としてもそこそこ親しくさせてもらっている(堅苦しいぞーと怒られること数度、隣のクラスの今川とつるむとそのノリのよさについていけなくなること数度経験しながらも)
「なんだ、利家?どうかしたか」
軽口で返すのだが、どうしたことか。前田利家は困ったなぁと珍しくシリアスだ。先日の甥の件だろうか。一瞬お互いに「お前覚えてるのか」と止まりかけた自覚はあるが……利家はどうも記憶があるともよみがえったとも思えない。
だとすれば、何か問題発言でもしたかな?と急に不安に思えてくる。
思わず心配そうに話をふったとき、どうでもいい答えが返ってきた。
「慶次はものを返しそびれるから、取りに行かないとまずいかもしれない……」
「ああ」
どんな爆弾発言が来るかと備えていたから、一瞬「そんなことか」と気楽に思う。
が……
「おい!ちょっとまて。アイツ、次どこの教室だよ?たしか一年はこの時間選択だよな」
電子辞書だからどうだとか礼儀的にどうだとかいうことはいい。問題は、それが次の次の時間までに手元に戻ってこないことである。
もちろん辞書くらいなくとも読める程度英語には詳しくなった。昔若干しか理解できていなかったことが、さりげなくコンプレックスになっているのかもしれない。
小十郎は英語という教科にかなり入れ込んでいた。
それだけに、ただでさえ真面目な彼としてはしっかり授業を受けられない状況が許せないとしては、辞書なしだけは勘弁してほしかった。
「取りに行ってくる」
有無を言わせず教室を飛び出る体制になりながら、前田の方を振り返る。昼休みが始まったはいいが、隣のクラスはまだ終わっていないのだろう。まつがまだ来ていない。
よってクラスは利家に聞くほかないのである。
ところが、利家は「さあ何だったかー」と考えこみはじめた。
――待てよ、おいおい……
これではどうしようもないではないか。
返してもらえないのならば借りてくるほかあるまい。
――隣のクラス……明智、か。
それは遠慮したい。濃姫はもっと、である。かといって、話したこともない秀吉や半兵衛には借りられないし、前世繋がりでなくともこの面構えのせいか遠巻きにみられがちなのである。借りられそうな相手のあてがあまりうかばない。厭味が数倍かえってきそうな毛利ならば確実だろうが……と、じっくり悩んでいる、そのときだった。
「すみません、片倉先輩いますか?」
「っ?!」
ドアの向こうから覗く鋭い瞳と、皮肉とも余裕とも取れる笑顔(おもにぼーっと自分を見つめてくる女生徒にむけてなのだろうが)
ほんの数メートル前に、まさかもまさか。かつての主、伊達政宗その人が立っていた。
――殿っ。
叫びそうなのをこらえて、なんとか小十郎は返事をしようとし……
「おうおう、小十郎ならこっちだ。入ってこいよ。二年坊主」
「っ」
気楽に呼び捨てる前田に、規模は違えど当主同士となんとか言い聞かせようとするが嫉妬心というか、無礼な!と叫びたくなる自分がいて困る。押さえつけるように息を吸いこんでいると、
「大丈夫ですか?」
と、これまた勘弁してほしい敬語が耳に飛び込んで、頭痛がした。
「心配には及びません。それより、俺に用ですか?」
思わずというか、当然のように丁寧にこちらも返すと、政宗は首をかしげた。何か不思議に思うところでもあったのだろうか。
覚えてるはずはないと分かっていて――さらに言えば、今は今で幸せそうなので敢えて壊したいとも思わない小十郎だったから、波をたてたくないこともあり、控え目に接しようと覚悟まで決めているのだが――それでも、気持ちが揺れる。
だが、当然何も知らない政宗の方はあっさりしていた。
「慶次の野郎が……辞書を返さないままで……叱っても無駄のようなので俺が持ってきました」
いい方は悪いが、現世でも育ちはよいらしく、なまじ完全な敬語を使えるだけに、物凄く居心地がよろしくない……。
現世でも十分かつての教えに納得したうえで伊達政宗という人についていく!というつもりだっただけに、小十郎からすれば、その他人へのような(事実他人だから仕方ないとはいえ!)言い草がひどくつらかった。
なんというか、むずがゆい。かゆくて仕方ないのである。
唯一乱暴に(昔通り自然に)吐かれた言葉は、「こんな時に限って猿もいねー」と、いうあたかも【誰かさん】をさしたものだったが、その猿とやらへの腹立たしさよりも、なれた口調を耳にほっとする感が強い。
――どうしたものか……
会話が続かねぇ。
自覚はあるが、政宗も政宗で事務的に渡してさっさと帰るつもりのようだ。
これ以上会話できようはずもなかった。
「……ありがとうございます」
出来たのは精一杯よそよそしくない程度に、律儀にお礼を述べることだけ。
小十郎がそれだけ改まるなんて珍しいなぁと、見ている利家もなのだが、周りからすればますます意味が分からない。何せモノを返しにきた一年に対して、二年が恐縮している図である。そのうえ、相手は男子からも人気はあるが、ちょっとばかり遠巻きで見られがちだった片倉小十郎である。
事情を知らない人間からみれば、よく分からない状況だったことに違いない。ということは……必然的に、【分かっちゃいない】政宗にとっても、小十郎の言葉遣いは不可解な状況のはず。
なのだが……この時点では、そのあたりは運命的とでもいえようか。政宗は気付いていなかった。まあ単純に、まあ他人中の他人となっている今の間柄のせいや、板に付きすぎていた片倉小十郎の敬語に問題があるのだが、それはさておき。
この時点では、まあ小十郎としても「敬語は似合わないな」程度の感想ですませなくもなかったのである。
* * * *
ところが……
「おう、小十郎さん、悪いけどまた貸してくんねぇ?」
まつよりも怒られないと踏んだのか、
「おお、分かった。ちゃんと返しにこいよ。前田の」
借りやすいと踏んだのか……あれから慶次は小十郎にばかり辞書を借りるようになり……さらに――
「すみません、毎度毎度」
「いや、俺は友人の尻拭いをしに来ているだけなんで。あんまり気にしないでください」
毎度毎度、政宗が返しに来ては、美しいお手本のような敬語を使ってくれるようになる。
実のところ、「うん、やっぱりこの二人は一緒にいた方がいいよな」とふと思いついてしまった慶次がわざと始めた(一回目は本気で返しそびれ)ことなのだが、流石の小十郎もこれには気付かない。
結局数度目にして、
「毎度すみません」
「いえいえ、まさむ――伊達様」
「……さま、?いえいえ、アンタ他人だからってそこまで毎度丁寧な口きいてんのか?」
「いいえ。何と言いますかこれは、その方が自然といいますか」
「いや、それも……俺のような年下からいうのもおかしな話ですが、そこまでやる必要はないと思いますよ」
「いいえ。あの、すみません……俺に敬語を使うのやめていただけませんか?」
「はあ?」
切れたというか、耐えきれなくなった小十郎が顔を真っ青と真っ赤の中間のような色合いにして、言いだし――
「なら、そっちこそ――年上なのに敬語っていうのも。小十郎さんの……その迫力も相まって俺が変に偉そうというか、なんか何かだと思われそうなので止めて貰いたいです」
「いや……それはちょっと……。だがあなたに敬語を使われると何と言うか面映ゆいというか……」
「?」
「ならば!!間をとって、この小十郎、せめての妥協案!俺も敬語は使わねぇから、頼みます。政宗様も敬語はおやめ下さい!」
このような押し問答が始まり――
「お、おう……。って小十郎さん言ったはしから敬語に……つか、政宗って……」
「【さん】は結構。男は呼び捨て。小十郎、でどうぞ」
「What?」
「小十郎でいい」
などと押し切るような形で一応の決着を見ることとなるとは、当人もおもっていなかっただろう
ところで、この後で伊達が、「なんで間なんだ?あの人、先輩だろ……」と真剣に唸り――
「あー、ま、あれじゃん?俺と利とおなじようなもんだろ」
という、慶次の声に無理やり自分を納得させたのはまた別の話。
その後、小十郎と政宗は、慶次の策が功を奏したのか。はたまた運命のめぐりあわせか、上手く友情ともなんともつかない仲の良さになっていくのだが、それもまた別の話である。
記憶のない竜に泣かされながらもその右目は、竜の横に。今の世も顕在、である。
「ひとまずこれにてめでたしめでたし。ってか?」
慶次は勝手に「落ち着く光景」=双竜ひとそろい、を見て、和みながら、しばらく辞書を忘れては返さないことを日課にし続ける。メールアドレスを交換し、二人が辞書を抜かしても会うようになるまで。