【SIDE 山南】
その日も山南敬介はいささか呆れながら彼女の逃亡を悟った。
――書類は終わっていますが……
渡しにきてから休めとアレほどいっているのに、自分の補佐がもってこなかったせいである。
ここのところ気がたるんでいるのだろうか。
お仕置きが必要かもしれませんね。だなどと呟きながら、廊下を過ぎる。
八木邸をでると、すぐに道場側の松が見える。新緑が目に優しい季節だが、まだ空気は冷たい。
此処は彼女のいたところとはちがうから、病気には気をつけろ、温かくしていけといっているに、彼女――は気にしないままだ。大方上着もきないで抜けだしたにちがいない。
夕飯までは確かに時間がある。時間はあるが…
――そろそろ戻らないと風邪をひくでしょうに。
溜息をもうひとつ。
この年にして、すっかり一児の父にでもなったような気分だ。(あんな可愛げもなく、悪知恵も長州以上に働く娘はお断りだが)
それにしても何処にいってしまったのだろうか。
かくれんぼは辞めてもらいたいところだが、実のところ心当たりはもう探してしまった後である。
第一にの自室。
ここのところ、調べ物があるため本人寝にかえるだけの部屋となっている(大体の書類は総長の部屋か指定された書庫にあるため)らしいが、彼女が寛ぐのはあの狭い部屋だけだ。一番最初に調べた。
誤解されがちだが、は一人でいることを好む。ことに思索にふけるときは、山南であっても――あるいは山崎であっても、口出しできぬ空気をまとい、ただただ静かに部屋の真ん中に坐しているのだ。
平助いわく「ありゃあなんか悪いものでもくったのか?」
それはそれはおしゃべり娘には似合わない光景だが、の無意味に豊富な知識をしれば、まあまあ想像はつく。勉強は元来好きだと本人も言っていたのだ。策を練ることはその活用。
――私にも覚えがあります。
そういうことである。
だが、その集中を促す最適な場所に彼女はいない。
――ではどこか?
総長の部屋と書庫もないとなると、浮上してくるのが、山崎のいるところだが……
彼に部屋はない。となると……
おもいあたって、「その部屋」の扉を開ける。軽く声はかけたが、ほぼ同時進行だ。
「副長」
「なんだよ、山南さん。あらたまって」
「いえ、ふと――山崎君のことを考えていたもので」
彼の呼び方が移りました。
目前に、不機嫌な土方歳三。ふと一緒くたに大量の書類が見当たり、「なるほど」思わずつぶやいた。
あらかた、この書をしたためるべく、孤軍奮闘中なのだろう。
ということは……
「山崎君はお留守ですか?」
「ああ、アイツは特務にまわしてる。ほら、秋篠長屋の例の潜入の件だ」
「夫婦者に化けて、彼らが潜伏しているという話でしたか?」
「そうだ。薬売りとしてな、あの辺りに散策を駆けるって話、アンタにはいってなかったか?」
「いえ……山崎君のことですからとっくに終えたかと」
「決行がおもいのほか長引いているようでな」
アイツも山南さんにまで心配かけるようじゃ、まだまだ甘い。
と、厳しいことをいう土方だが、どちらかというと、今猫の手ならぬ彼の手が一番欲しいところ。甘いと嘆くのもそのせいだろう。
――触らぬなんたらに……か。
ならばそう呟いて、此処には近づきもしないだろう。
――ならば、私も用はありません。
職務は職務として考えてはいるが、土方の書を手伝う謂れは今の山南にはない。(なぜならそれと同等かそれ以上の書を、さきほど片付けたばかりなのである。)で、何だ?用か?」と問う土方に
「いえ、戻ってからで構いませんので」
戻ってきてからはどうせそれはそれで、が入り浸るだろう想定をしてから呟いて、再び廊下へ出た。土方はいぶかしげな顔をしたものの、目下書類の整理に追われている自分を思い出したのだろう。すぐに背を向けた。
すっと障子をしめて、次の候補を――
「道場、はないか」
どうだろうか。可能性皆無とはいえない。
なぜなら其処では彼女の親友(?)がいるからだ。斎藤から刀を習っている唯一の女隊士は、腕が立つが刀を握って日が浅い。隙あらば、自らが生きる確率をあげるために、道場に通っているらしいことを、山南はきいていた。
そして、それを邪魔するのことも。
――悪気はないんですがね……。
流石に友達とはいえ、邪魔だから、と、どかされる様を何度みただろうか。
どうにかしないと誰も味方がいなくなると、教えてやりたいが……なんだかんだがを見はなさなそうなことも(なぜか釈然としないながら)分かっているので、
「ふう」
ため息が再びでた。
しかし、道場といえど夕は冷える。上着をおきざりにしたが熱でもだしたら後が面倒だ(本音が思わず零れてしまうわけだが、心配もまあ……そこそこにしておいていると、本人の名誉のためにつけくわえておく)
一応はいくべきだろうか。どうしようか。
怪我の後、あまり近づいていなかった分、周りに気を使わせてしまうだろう想像がついて、何となくおっくうになる。そもそも、怪我についてはようやく皆が納得したながらも、自分とてまだ割り切れてはいないのだ。仕方がない。
――それだというに本気で気にしないなんて、貴女くらいのものですよ。
愚かなのか、賢いのか分からない少女に脳裏でぼやいて――探さなかったと言われるのも癪に障るので、道場に踏み込んだ。その刹那、
「あ……」
道場から、ちょうどが顔を出す。
噂をすれば、といいたいところだったが、どう見ても横にの姿はない。
此処も外れか。
しかし厄介なことになった。相手にのことをきくのはなんとなくはばかられる。
とはいえ、邪推はどう見ても避けられない。
となれば、
「を探しているのですが見かけませんでしたか?」
単刀直入に問う。
その方がよっぽど面倒がない。
彼女もそこは心得ているようで(というか単に面倒だったのだろう)
「そう言えば見てませんね」などと当たり前の返答をしてくれたから助かった。
「そうですか」
「はい。見かけたら戻るようにいいましょうか?」
「戻らなくともいいから何か上に羽織らせて下さい。アレの機転のきかないところは、あなたもよくお知りでしょうから状況は分かるでしょう?」
「それはそれは」
良く知っているから理解した、とため息まじりに(曰く)「仲良し」な彼女は、肩を上下した。
「にしても、何処にいったもので……」
しょうか、と。
いうより先に、隣の気配が変わる。
何かを、見つけたその雰囲気に警戒はない。敵、ではないようだが、何だろうかと、興味を持ってそちらを眺めると…
「………」
原田の姿が見えた。
よくよく横に視線を走らせれば例によって馬鹿騒ぎをしているようでもあるが……
「おや……」
三馬鹿と言われる三人――藤堂、永倉、原田の組み合わせは良く見るのだが、あいにく平助と新八は夕食の担当だ。ということは残るは原田だけ。原田が一人で騒ぐとは思われない。そもそもこちらでも分かる寛いだ様子を見るに、誰かいるのだろう。
と……
――ん?
横に何処かピリピリとした空気を感じた。
斎藤でもいるのだろうかとも思うが、よくみれば道場前には彼の下駄。が警戒するのなら沖田だろうが、それもまた任務で外して、今日はいない。
――となると……
などなど、その原因を考えていたせいだろうか。
「いましたよ?」
の声に、反応が一歩遅れた。
そうして、「いえ、別に」とそう。
応えるより前、はそちらを指し、
「いいんですか?」
そう。いささか意味ありげに問うてくる。
その視線は正しく一人を指している――。
――なるほど。
だ。
「原田君のところにいっていたとは」
「意外な組み合わせですね」と世間話の調子ですすめてみれば、
「いや、最近はよく見かけるが……」
後ろから斎藤が出てきて補足した。
「大方夕飯の手伝いにいって追い返されたところを、原田が引き受けたのだろう」
「山崎君もいませんからね」
気紛れでしょう。
貴女がいたら違ったでしょうが?――さきほど一瞬の苛立ち(一種殺気までいかずと相当気が立っていたので分かった)を隠しきったに向けて続けると、
「アンタもたまには甘やかしてやれ」
――おや?
珍しいこともあるものだ。
より先斎藤が口をきいた。
恐らくは気付いてないだろうに、凄い局面で援護射撃をしてくるものだ。
しかし、こくりとかすかに頷くに「他意」を少しだけ感じ直して……
――なるほど、やはり……
そうきたか、と納得する。
向こう側では楽しそうに色男とが雑談をかましているが……そこに色気はあったもんじゃない。
――嫉妬するにも、あれは何も考えてませんよ?
言って一本取りたい気もしたが、なんとなく自爆しそうな体もあったので辞めた。
余裕があると告げれば強がりと――余裕のない男だと取られるかもしれない。(それもないだろうが、なんとなくそうも思えて癪にさわる)
「私は十分甘いと思いますがね……」
素知らぬそぶりで斎藤に返せば、意外な返答だったのか、今度は斎藤の方が目を見開いた。(の眼は動かない。予想内か、実際そう見えていたのか)
が、ふと視線があちらに滑ったために――続く言葉は封じ込める。
「しかし、」と続けた。
「範疇を越えて……風紀を乱されても困りますからね。……敢えて厳しくすることも大事でしょう?」
「なるほど」
頷く斎藤は納得したのだろうか?
の方は含むところもあるのだろうか?
――それより……あれはいただけない……
あちら側ではが原田の袖をひっぱっていた。(かつひっついている)
ついで、気付いたようにふりむいて何か話す原田の姿。
もともと甘やかしたがりの原田ならば、ああされなくとも女扱いするだろうが、ああされたらますます……
――つけ上がります……。
「教育的指導は必要ですね」
斎藤の言葉が気持ちを代弁してくれていた。
「ええ。あれでも参謀見習いという節も……一応でていますので」
もちろん、其処に私見・特別な思惟はない。たぶん……。
さて原田から彼女が上着を貸されるより最初に動くのは結局、でなく、山南だった。
譲られたのかどうか、分からないのが微妙なところでもあるので、の意外な側面をみつけたこと自体、今のところ忘れることにしておいた。
斎藤だけが何やら「総長とはそうあるべきか」と思案に耽るのだが……ソレはまた別の話。
【オマケ】
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