カンパネラ  3、dance    :カイザレ

途切れる楽器の音に、ざわめきは収束するどころかますますのものになる。
 それというのも、本日、本当の意味の主役が広間に姿を現したためだ。

 パチパチパチ……
 人一倍の音を響かせて、ゆったりと進み出たアレキサンドレ6世を見て、カイザレは苦虫をかみつぶしたい気分にかられた。

 ――全く気付いていなかったなんて……。

 気配ひとつで悟る自分が、空気ごと曲に持っていかれていた事実を認められようはずがない。
 広間の手前では、回廊の片隅で、すまし顔の姉と「メイコ、よく来てくれた」などとしらじらしいやりとりまで盗み見ていた。ミケレオンと会話の間すら、意識はしていたものだ。
 それが、ミクレツィアのおねだりに負けるようでは先が思いやられる。
 恐らく原因の数%はいたずら好きな姉のほどこした化粧や、見慣れないドレスの着こなしのせいであろうが、失態だった。
 無表情を取りつくろって、カイザレは法王の手に接吻を――公式な礼をした。
 みなが注目していることは知っていた。だからこそ、教会側に正式に所属する身として――今後ますますそうなっていく身として、父の期待も分かっていたから選んだ仕草だ。

 ――法王に身内はいらない……。

 「ボカロジアの栄光に幸あれ」などとアレキサンドレ6世は叫ばない。
 家との癒着どころか、本来ならば直血の縁のものがいること自体が、基本的に暗黙の了解としてしか許されない聖職者。そのトップである。

 ――だが、有望な右腕候補として、そのうち同じ仕草を示す、と周りにそこはかとなく匂わしても悪くはないだろう?

 自分が、「身内だからこそ」その父の元、聖職者としての今後を期待されていることも、父の言外の言葉から読み取れる。

 ――そうやってこられたから、今の自分がいる。

 周りを見回すまでもなく、父の支持者――教会の中枢を担う人物たちがここに一同にかいしている。敵も味方も紙一重。そんな陰謀の渦巻く午後をアレキサンドレは軽々と泳ぐ。
 カイザレは、状況を見て何事もなかったようにその場を退いた。
 「ただの若者」のような顔で、横に避ける。
 思ったとおりに、法王は満足げな顔こそしなかったものの、タイミングをみていたかのように「ありがたい説教」を始めた。

「舞踏も芸術――彼らのような若い芽には今後ますます文化を理解し、華美すぎぬ程度に、だがこのロマーニャ発祥の芸術を愛してほしいと私も思っている。伝導には、教会としても個人としても厚く支援を考えている」

 息子も娘もない、今はただ「芸術を理解する若者たち」の証拠……。
 ならば、さきほどの印象は一部(敵)にのみ見せつけ、素知らぬ阿呆を気取ればいい。

 ――優美(阿呆)な貴族の一端、か。

 ミクレツィアを自然と背中の半分に隠し、守るように彼らの視線を阻みながら……カイザレは、それらの貴族より、むしろ堕ちて見える自分の父親を蔑んでいた。
 再びボリュームを上げた音楽と、妹の「もう一度」と相手をせかす声で、その顔に落とした翳りはばれずにすむのだが……この時点での憂鬱など軽いものだとすぐ知ることになる。
 伝統的なダンスのパートナーに、断りを憚られる貴族から誘いをかけられたミクレツィアを逃し、代わりに馬の話題で盛り上がっていた直後、ミケレオンづてに法王その人からお呼び出しがかかったのだ。

 * * * *

「それで?何か用ですか」

 同時にミクレツィアも呼んだのだが、と一言つぶやいて黙り込んだ法王に、やむを得なく話を振った。

「……本題の前に、ミクレツィアのお披露目はうまくいった。美しい兄妹だとうらやましがれらたよ。表向きいうものはおらんが」

「まあ……そうでしょうね」

「ああ。そのあたりをあやつらは心得ている。お前も――政治が呑み込める土台程度は出来できてよさそうだな」

「さっきのことですか」

 そっけなく、父に応え、父に聞く。
 反抗期ね、と笑った姉に、答えたことを思い出したが、

 ――相手の待っている言葉を紡ぐだけなので退屈な会話になりがちなんだよ……

 全く持ってそのとおり。
 予定調和のまま、会話が進むことがカイザレにとってはおかしかった。 
 やがて、予感していたことをアレキサンドレ6世は言いだした。

「ミクレツィアもそろそろお年頃だ。とは思わないか?」

「ミク……がですか」

 思わず幼少のあだ名で呼んだのは意図的だったか。
 父が渋い顔をするのを面白がっているきらいもあったが――

「ああ。幸せな結婚を考えて……むろん焦ることはないが、二の舞にならぬよう慎重にすすめんとな」

 誰の、とはいわない。
 結婚を失敗し、面倒な身分となった姉――
 敢えて祝いの席に呼ぶことを許可しながら「アレ」呼ばわりする父に嫌気がさすが、つまりそういうことだろう。

 ――メイコの出席許可は、僕への餌も兼ねてたわけか……

「で……?」

 ――ミクレツィアの幸せな結婚に協力をしろと?
 と、声が出かかったとき、

「お兄さま、お父さま?」

 ミクに用事ですか?と、噂の人物が登場した。
 ――このタイミングすらよんでいたとは思えないが。
 腹立たしさはぬぐえない。

 とはいえ、

「お兄さま?」

 と小首をかしげられては、何も言えない。
 父上はどこまでその心情を知る?
 これはただの偶然だろうこと、また自分に協力を要請したことは事実にせよ彼女に幸せになってほしい真実は読めたから、ぐっと息をのむ。
 この時代、女性の幸せは何より幸せな結婚にある。
 少なくとも、ある意味でそれは事実なのだ。家に留め置かれればそれだけで評価が下がる。

「ああ、大丈夫だ」

 笑ってみせた……つもりだった。
 そんな様子を、不思議そうにはする少女は、さきほどダンスをしていきと違い、あどけない印象が強い。
 父が目で訴える。
 そればかりではなく、

「ミクレツィアは地上に降りたての天使のようだね。だから……慣れないと、王子に迎えられる姫君にも、誰かの女神にもなれずただ春を待つ歌姫としてさみしくお前を待つだろう」

 直接といえないまでも、何を促しているか、あまりにわかりやすいセリフが耳に届いた。
 
 ――つまり……誰かに慣らさせなきゃ嫁ぎ先を決めようまでに不安が残る、か。

 外交上少し遠くか、慣習に些かとはいえ違いがある場所――彼女の夫候補をピックアップした結果、そんな場所が出たに違いない。
 
「ミクレツィア・ボカロジアではレディにはなれないの?」

 ――本人は何事もないように「家名」までつけているが、どこまで理解しているか。
 一瞬妹をうかがうように視線を向けたが、カイザレにとてその純粋なまなざしは御せない。

 ――これは……何も知らないな……
 
 なればこそ、父の陰謀に素直に乗るほかないのだろう。
 このままの彼女をやれば、レディとしてはうまくしても「女」としては責務をはたせまい。せめて、男の野蛮さに目をつむれるほど安心させてしまうか、あるいは野蛮さは誰もにあると、身近な人間が知らせるか。
 状況を飲み込んだ頃、父親は「いいや、大丈夫」と彼女と同じ視線の高さに合わせ、

「誰かに、守られることの義務を教えてもらえればいい。それから決して陸の王子や英雄が野蛮ではないことを」

 妹をそそのかすように告げる。



 誰がいい?



 言われるまでもなく、ミクレツィアは一人しか知らない。
 彼女のあこがれ――うぬぼれではなく、カイザレは正答を見つけだしていた。

「選ばなきゃいけないならお兄様がいいな」


 無邪気にすぎるこの天使を、願わくば神よ、地上に降ろしてくれるな……と、このときはいつもより真剣に祈りながらも――

「ああ」

 唇は微笑をかたどるほか青の貴公子に出来ることはなかった。
 カイザレは、遠くから見えるであろう自分たちを意識し、その荘厳な長閑さに絶望した。さながら父の抱えた芸術家の描く一枚のようなそれが、どれだけ毒を含んでいるのか、重々知っていたのだから。