父アレキサンドレ6世の就任のその夜、
「また来たの。駄目よ、あの子放って置いたら一日中歌ってばかりなんだから。聖歌ならまだしも恋歌をね」
「意味すら分かってないのに」と歌うようにぼやいて、メイコはパイプに火をともした。長細い金の持ち手に灯が反射して、妖しく移る。
肩ほどで切り揃えられた髪を揺らし、
「どうなの?」
蠱惑的に囁く。
問われたカイザレは目を逸らした。
「後ろ暗い?」
「さあどうだか」
そのまま窓枠に視線を持って行き、青い髪を撫で付けると、夜闇のガラスに姉の疲れたシルエット。
「あの子に幸せになって欲しいのは分かるの。でもね」
一度言葉をとめ、メイコは「寒くなってきたわ」と弟のマフラーを奪った。少女のように笑う。
「貴方もよ、カイザレ」
「……」
――それはこっちのセリフだ……。
彼女がいつでも彼のよき理解者だということ。それが嬉しくも憎らしい。
苦虫をつぶすような表情をするには年を取りすぎたからせめて沈黙で肯定する。
カイザレは踵を返した。
「明日には取りに来るから」
今夜はこれ以上情けなくなれない。
声は追い討ちをかけるように響く。
「ミクによろしくね。今日はあの子に会えてよかった」
祝典にむけ、メイコにあの緑の髪をいじる許可をくれたのは父親――だが、そうし向けたのはカイザレだ。メイコには気付かれていたのだろう。
「根回しばかりうまくなっちゃって、いやになっちゃう」
「ほめられても困る」
可愛くない弟に徹し、カイザレは部屋を出た。屋敷には戻れなくなった義姉が一番気にしているのは自分と同じ「妹」ミクレツィア。だから共犯者でいられる。だが、自分と彼女は決定的に違う部分もあるのだ。
「姉さんこそさっさと幸せになってしまえば良かったのに」
カイザレは懺悔する。
『 あなた、ミクレツィアの為なら他のことなんてどうでもいいのよ。』
茶化し半分にかつて告げたメイコの言葉は事実だ。
理解者は扱いに困る。
階段を降りる音に、ひとあくの罪悪感をまぎれさせ、カイザレは冷たい裏路地を急いだ。
街頭の黄色には羽虫がたかり、何匹か、火に近付きすぎては燃やされ落ちる。
ああやって消えていくのならば気にしないでいられるが、妹の無邪気さは脳裏にこびりつく。
《選ばなきゃ行けないならお兄様がいいな》
もう手遅れだ。
――結婚どころか恋すら知らないくせに。
メイコの言葉をなぞりながら、頭を抱えた。
他意はないのだ。カイザレとて知っている。でも……
――あのあどけない目に脅かされるんだ。
朝になれば、彼女の初めての恋人として――夫になる男の練習台として付き合わせられる。父の命令は絶対だ。
一時期の幸せ――それで終われない。
だからこそ《後》を考えて早めに動かなくてはならない。
慰めを求めている時間は終わった。カンタレラ――ボカロジアの毒、カイザレが本格的に調べて出したのは翌朝のことだった。