「入りなさい」
レンは導かれるままに広間の奥に進んだ。
ぽつりと立つのは父ドロリーゴその人。流石に発表がまだだけあってわきまえ規定どおり緋色の胴衣を身に纏っている。
傍らにいると思われた兄はいない。
久しぶりの再会に挨拶を交わし、間髪いれずに要件を尋ねる。
「私への御用命は?」
カイザレへの希望と違うだろうリクエスト。それを知っていること、なおかつ成し遂げるつもりがあることを示す。
大きな秘密をもつ身としては、したたかさではカイザレに負ける気がしなかった。
「よく心得ているようだ」
「父上は祝杯を早くあげたいというタイプには到底見えませんよ」
「カイザレもそう思っているだろうな」
「ええ」
その名に揺さぶられないよう、必要以上の言葉は慎む。
「そういえばお前は指揮官の才があるそうだな。バッフェ卿が褒めていた」
――バッフェ……ナポリの大使だったか?
記憶を漁るより先に、
「覚えはございませんが」
突き放すようなセリフが口をついて出た。
しまったなと思ってももう遅い。答えは早すぎたし、声は謙遜にしては冷たすぎだ。
だが、ドロリーゴは諫めるつもりもないようだ。苦笑のまま、子供にするようにぽんっと頭に手を添え、
「そうつれなくするな。あれもお前を取り込みたくて必死だ。娘を寄越すと言ったぞ」
場を和ませるように言う。
「私のような若輩にはまだ早いでしょう」
「ホレン」をドロリーゴ、あるいは教会領への足掛かりにしたい。そんなナポリタニズムな発想(ナポリ貴族の発想は聖職者への女性の献上で埋められている)に……ステレオタイプの貴族を思い浮かべる。
いかにもな樽腹親父と気取ったアクセントの女――
――ああ、バルロゴ公のパーティーに一組いたな あの禿頭と高慢娘か……
レンはあっさりイメージが本人のものであることを認めた。
肩を竦める。
あの頭の足りていない親子に取り入らねばならない理由はない。
――むしろ、絶対ごめんだね。
有能な種馬扱いなら、カイザレにして欲しい。
ホレン(自分)は一人ではないから、結婚自体をするつもりないのだから。
幸い、冗談めかしているくらいだ。父にもその気はないのだろう。
ならばこの呼び出すの目的は何なのだろうか。
貴族の話題も聖職者の議題も変わりない。相続か財源――婚礼か立ち場
「――卿の戯言はさておくが、私もお前には策を立てることに全力をかけてもらいたいと思っている。この教会領でも、有事に備え、動いてもらいたい」
分かるな?と老獪な聖職者の裏側の顔が覗く。
「――」
答えは一つしか求められていない。
「カイザレには教会を固めて貰う。お前には貴族と張り合って貰いたい」
「戦場を制せと?」
「滅多なことをいうな」
ドロリーゴは落ち着いた手つきで書類を渡す。財や家――ドロリーゴの俗側を託す権利書は読まずと見て取れた。それに紛れて、早めの指令書も。
「指揮は任せる」
このときレンは「仰せのままに」と答える以外すべを持たなかった。
ドロリーゴは満足げに頷き、慈愛に満ちた表情で、手を差し出す。
「就任、おめでとうございます」
レンは数時間後の教皇の手をとり、口づけた。最初から教皇でしかなかった男は否定をしなかった。
「兄君はこのことを……?」
「はっきりとは告げていないが……。心配はミクレツィアへの方が強い。そのうち話す」
「――姉上も婚礼……。お相手はとお聞きしても?」
「いや。知らないでよい」
流石に言わないか。納得しながら候補を自分なりに絞りこむ。
――まあいい。
あの緑が如何に無邪気か知るだけに、巻き込まれたカイザレを憐れむだけ。他に考えなくてはならないことが山ほどあった。
一礼する。
「出すぎた質問を……」
「気にするな」
宮廷より周囲の戦況にきを配れ。
ドロリーゴはぴしゃりと言い、自らが中座を謝るかにして奥の間にひっこんでしまった。
「カイザレめ……」
うめく暇はないと知りながら、低い声が漏れた。ぎりと歯を軋ませる。
自分が狙っていた聖職者の――教会の出世は、学問を軽んじ、軍策以外の知識もない兄に渡った。嫌な予感は当たったのだ。後は彼をどう利用して役割を変わるか、隠れ蓑として動かすか。
――急いで決めないと。
ホレンは二人の問題だ。
戦場に女は不可能。結婚より下手すると不味い。ますますの焦りに徐々に気持ちを侵される。冷静にいられるうちに何とか。引き離したつもりだが果たして間に合ったのだろうか。
祝砲よりも先にレンは屋敷を飛び出した。数時間後にはカンタレラが流れるホールを荒くふみつけて。